「「救いの光」は闇」アルカトラズからの脱出 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
「救いの光」は闇
ドン・シーゲル末期の名作。光と闇の運用という点において傑出した映画だった。
まずは冒頭にやや望遠から捉えられる刑務所の廊下のショット。それまで薄暗かったのが、明かりが点いたとたんに空間全体がパッと輝きを放つ。おそらくリノリウム製と思われる床はその光を何倍にも増幅させている。ここで我々は、本作における光が監視・抑圧のメタファーとして機能していることを感じ取る。
次いでイーストウッド演じる囚人が自室の明かりを落として脱獄のための小道具作りに勤しむシーン。光に囲繞された廊下と個室が並ぶ中で、彼の部屋だけが黒く沈み込んでいる。もちろん中で作業をするイーストウッドの姿は見えない。この光に対する闇の強さが囚人の抵抗の意志を表象している。しかし一方で、暗い自室から廊下を覗くショットでは、光が意外にも部屋の内部まで侵食していることが示される。看守が近寄ってくれば彼の計画は一瞬にして露呈してしまうだろう、というくらいには明るい。視点次第で即座に変転する光/闇の趨勢が、物語のサスペンス性(囚人たちは脱獄できるのか?できないのか?)をさらに加速させる。
ラスト、囚人たちは遂に監獄の屋根から脱出を果たす。突破口を求めて右往左往する彼らを、看守の操る巨大なライトが掠めていく。囚人たちは雨どいのような突起を伝って地上に降り、それから柵を乗り越えて真夜中の海岸線に躍り出る。このとき画面のほとんどが黒で埋め尽くされていることに注目したい。レインコートを改造した救命胴衣を着て真っ暗な海へと逃げ去っていく囚人たち。彼らの行方は杳として知れない。
よくある脱獄モノなんかだと主人公がシャバの光に向かっていくところで終幕する作品が多いけど、これは主人公が実のところ冤罪やら陰謀やらで不当に収監されているだけの善良な市民であるからに他ならない。他方本作の囚人たちは元来が救いようのない悪人であるわけだし、となれば帰っていく先は当然暗闇の中だ。光が持つ安易な解放・救済のイメージを避け、闇の中に自由への逃走線を引くという倫理性は、50'sノワールの名作家であったドン・シーゲルならではという感じがする。