竜二のレビュー・感想・評価
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金子正次、怒涛の1983年
萩原健一の「ララバイ」が流れ始めて物語の幕が開け、エンディングロールが終わる頃に何も映らない真っ黒なスクリーンから再び萩原健一の「ララバイ」がフルに流れる、もうそれだけで堪らない訳で。。。
金の無心に来る相手に給料袋を差し出そうと躊躇する竜二、最終的には財布に入った有金を渡す、観ているコッチとしては安堵する場面でもあり映画的で派手に演出することはないからこそのリアルを感じながらラストに決断する場面に繋がっているようで、迷いはあれど責任逃れで自分に甘い人生の選択をする竜二には共感も出来ない、男の美学に酔っているだけにも、それでも格好良い、儚い、見守りたい、不思議な魅力を醸し出す竜二のキャラクターと演じる金子正次の存在感に酔いしれる。
演じるのが金子正次では無かったら、今でも生きていたのなら、この作品の評価や位置する価値も今では違っていたりするのか、公開当時に『竜二』を観て熱狂した人はましてや長渕剛がヤクザを演じたTBSドラマ『とんぼ』なんか鼻で笑う程度でしかないだろう、そんなドラマが今でも長渕剛と共に大好きならば本作を観てその価値観を脱ぎ去ろう、パクリやマガイモノがオリジナルを上回り騙し続ける腹立たしさ!?
伝説の作品。
ずっと、「何事も起こらないでください」と、祈るような気持ちで見ていました。
大好きな「チ・ン・ピ・ラ」の原作者と聞いていた金子さん。見たいと思いつつ、もう何年たったことか。やっと見ることができました。
萩原健一や山口百恵の歌が印象に残ります。
名作!
(という一言では表せない名作です)
ヤクザホームドラマ
80年代の新宿の風景が見られて興味深かった。サワー300円。配達の仕事に二人がかり、3ヶ月であげてくれる給料…うらやましい。
甘えんなよ?!という気にはなる。これが男の美学なのか。女だってこういう気持ちあるけど、子ども置いて行けないじゃない。
とはいえ、自分の居場所探しという意味ではシンパシーを感じた。安売りに並ぶ妻子、そのあまりの平凡さに立ち竦んでどちらを向くか。中学生くらいのときはこんな感性もあったなあと思った。
葛藤もあっただろうが、大事にしてくれ、側にいてくれた父のことを思った。同世代の父はこの映画をみて当時、何を思っただろうか。
夜空に嘆き青空に惑う
映画館のスクリーンで観れた。
すごい映画だな。
金子氏すごいな。
いきなり冒頭に金子氏の死が告げれ、そこから、キレキレのイケメンヤクザ竜二、かわいい子分たちとのやりとり、、夜の街、、画面からナイフの刃先のような緊張感が溢れ出る。
タクシーで、夜の繁華街クルージングするシーンもめちゃくちゃカッコいい。
妻子は九州の実家にいき、ヤクザとしては絶好調。やばいことはやらない、ビニール本印刷を生業とする年配のおじさんとの会話、時代が変わりヤクザの収入源も変わってきて銀行員にヤクザが足元見られて舐められる時代。ヤクザとしてはそれでも絶好調だが虚無感に取り憑かれ金に飽きて心は妻子との暮らしへの憧れとなり、ヤクザからカタギ家族との生活を実現した元先輩ヤクザの料理屋夫婦のアドバイスをもらいに行く竜二。オラつく竜二も印刷屋の親父さんや先輩や子分と話すときの優しさが溢れ出てしまう竜二も、どちらも一瞬たりとも目を離せない眼光の輝き。妻子共に生きることとなり、新宿からそんなにとおくない中野あたりのアパートで、酒屋の仕事をしたりカメラを買い子どもの写真をとり貧しいくらしをやりくりする妻をねぎらい、腰を痛めるような酒屋配送の仕事でわずかな給金で、でもこの時代、ヤクザをやめて紹介でこんなふうにカタギの仕事につけて、2か月めには、少しお給料上げといたよと言って現金入りの封筒を渡される、当時はそんな風に頑張ってるやつに給金をあげるとか、人の社会の営みとして当たり前のことが世の中全体で普通にあっただろう。今ならあぶれ者が非正規労働に吸い込まれそうで、個人個性として関わりをもたれないのではないか、、、とふと思ったり。
シャブで失敗してる昔の仲間が金を無心にくる。もらったばかりの給与封筒がポケットにあるが財布の小銭しか渡せない。仲間は公園で倒れ、やがて死ぬ。
安アパートの窓を開け放ち、なんにもないなと新宿の街とはちがう静かで特筆すべきものはなにひとつない夜空を眺めて呟く。夜空を眺めているのか仲間が苦悶している公園の地面を眺めているのか。空を見上げて何もないとうそぶく竜二のみが映され、何もない空の方からのちっぽけなアパートのちっぽけなその窓そこに佇む竜二が、映され、何もない窓からの景色も夜空も、それは私たちには見えない。竜二が見ている風景は私たちには見えないところがすごいシーンだった。
仲間が死に、可愛い子分だった一人もやがて同じ道を行きそうなことになっていて、よりへなちょこだった方の子分が羽振りよくド派手なヤクザスタイルでアパートに遊びに来て、、、なんもない夜空大事な暮らし大事な家族だが野菜の値段に嘆息する生活、足を洗って酒屋で働いてるのにマウント取ろうとする仕事仲間にいらつき、なにもない夜空から心のバランスが失われていき、最後、いよいよ、家族との生活今の暮らしとの訣別のとき、ギラギラと輝く、カミュの太陽のような陽光、青空、福引に並ぶ庶民我が妻子、太陽に青空にくらくらと惑い、涙を流して歩き去る竜二。うつくしい妻はおいかけることなく、子を抱いて、おじいちゃん家に行こうと言い子はまた全日空に乗れるの?というて竜二の物語は終わるのだ。冒頭からエンディングまで対象への温かくシャープな眼差し、ふわふわと浮かれたように見えるごくごく普通のちんまりした世の中の街の人々の景色。ショーケンの歌が流れる。
ただ1本だけの、続きのない傑作。
この頃のかっこよさがぎっしり詰まりカッコ悪く生きてくしかない私らの身体をこわばらせるすごい映画だった。テアトル新宿さんの素晴らしい音響で、上映ありがとうという気持ち。
命を削ったような自主映画
映画の題名は知っていて、また、俳優・金子正次が公開後にすぐに亡くなって、命を削ったような遺作と感じていたものの、観たことがなかった。今回上映中ときいて、VOD配信もほとんどみつからないから、テアトル新宿まで夜遅い時間帯を観に行った。
約90分があっと言う間で、昭和の雰囲気に浸かることができました。俳優の声の質がいまと違うのは単なる録音技術の違いだけではないような気がする。当時の熱量が伝わってくる声音。それと、俳優・金子正次の粘り気のある目力、本気度MAXの目力、これこそこの映画の核、成り切った目してます。それと、永島暎子もその場に溶け込んだような演技で、自然な笑顔、自然な視線、まるでそのもののようにこちらもなり切っていて、俳優の力で血肉の通った映画になってます(監督の演出の力もあったはず)。
それと、最初に流れてきた主題歌、長渕剛?と思ったほど、萩原健一「ララバイ」の歌い方に似ている。長渕剛、デビュー当時は透き通った歌声だったのに、いつからか、こね回した歌い方に変わっていったけど、この映画を真正面から影響受けたと感じる。この映画の口上も歌詞に採用しているし、「とんぼ」の長渕キックもこの映画そのもの。この映画を何度も観て、主題歌も何度も聞いたのかもしれませんね。中高時代に長渕ファンだったので、そのルーツがここにあったと感じられ、夜遅く新宿まで行ってみた甲斐ありました。
テアトル新宿、オンラインで予約していったけれどチケット印刷する機器は置いてないんですね、また地下で電波つながらないので、メールのリンクのバーコード出せない(ま、メールのリンクそのものが壊れてったのでどのみち出せない状態でしたが)ので、メール本文で入りました。
ラストシーンの余韻に浸ってます。
ラストシーンが秀逸。
今の映画みたいにあれもこれも丁寧な説明はありません。
むしろ、コンプラ無視の女性蔑視発言や暴力、過激な性描写にウンザリするかもしれません。
でも、その間から読み取れる登場人物達の感情の動き方は丁寧に描かれてます。
この作品を最後にこの世を去ったという金子正次の伝説的な作品という前振りがありましたが、確かにこれは素晴らしい作品でした。
優しくてセクシーな竜二。女性はもちろん、男である私ももっていかれたのはここだけの話です笑
永島暎子のキュートな笑顔が不憫でたまらない
1983年公開の本作品。
70年代の匂いに溢れていた。
永島暎子お目当て。
右目と鼻の間のホクロがいいんです。
熊本美人。
ヒロシ(北公次)が路上でバーゲン品の紫色のジャンパーを買って帰ると直(金造)が竜二さんに知れたらなにされるかわかんないぞと言うシーンが、まり子(永島暎子)が娘と肉屋のタイムセールに並んでいるところを見かけてしまった竜二が背中を向けて去ってゆくシーン(一瞬で全てを悟ったまり子が娘にお祖母ちゃんちに帰ろうねと言って、娘がじゃあまたANAに乗れるねと言うシーン)の伏線になってたんだなぁ。やっぱりヤクザは見栄っ張り。虚勢を張る生き物。環七の高円寺陸橋で辺りで助手席でイキがる笹野高史の手の甲にタバコを押し付けるシーンのすぐあとでした。覚醒させちゃった笹野高史は当時35歳。
亭主関白で瞬間湯沸し器。まり子役の永島暎子は助演女優賞を総なめ。いつも明るく笑顔のまり子への同情票か。
刺せば監獄、刺されば地獄
金子正次の早口のセリフが聞き取り難くい。竜二だけアフレコのような音声が気になった。
主題歌を歌っているのはショーケンなのに長渕剛に聞こえてしまう妙。
長渕の演技も歌い方もこの映画の影響だったことがよくわかりました。
テレビ画面の中のアゴ&キンゾー。
そういや、2007年の都知事選では巣鴨商店街(染井吉野発祥の地)に来た桜金造に一票入れましたっけ。
金造さんは演説サボって、お花の植え込みに座って休んでばかりでしたけど、一票入れてあげました。
ラストの永嶋暎子
永嶋暎子の演技で間が持ってるところがあったと思う。ラストの表情は凄かった。
しかし永嶋暎子演じる妻はこんな男と暮らして変わってるなーとただただ不憫になってくる。桜金造の顔芸もよかったです。あご勇さんチラと出てましたね。
ヤクザの悩み
子どものために堅気になった竜二。まり子の実家でも誘いがあったのだが、それを断り、ヤクザをやってた頃と同じ新宿中野で酒屋の仕事をもらった・・・素直に九州へと行けばいいのに、東京に残った時点でヤクザに未練が残ってた証拠。舎弟からは「金が必要なんだ」と頼まれたり、アパートの部屋にヒロシ(北)がやってきたりと、ヤクザに戻りたいという心を芽生えさせる誘惑ばかり。
ラストシーンは意外な心理描写。肉屋の売り出しに並んでいたまり子が竜二と遭遇。普通の人間の生活なんて真っ平だ!と顔に書いてあるぞ、竜二。といったシーン。「また九州に行こっか?」「また全日空に乗れるの?」という母子の会話が痛々しい・・・
暴力団同士の抗争だとか、ドンパチといったものは一切無い。暴力はといえば、舎弟である桜金蔵に対する殴る蹴るといった行為のみ。
すごくいい
長渕剛の『とんぼ』の元ネタだそうで、『とんぼ』を見てから見ると、長渕剛は金子正次の完コピを目指しているかのようだった。竜二がカリスマ性を発揮してみんなに好かれているのに対して、長渕は哀川翔しか心酔していない。竜二の怒鳴り散らしたり、罵声を浴びせたりする声がかっこいい。特に最後の方のトラックに同乗した男が少年院経験でいきっていたところに罵声を浴びせて煙草を押し付けるのはすっごく怖くてかっこいい。顔もかっこいいし、みんなに愛されるのも分かる。
ヤクザをやめたからと言ってお酒の配送につくのはいくら何でもブルーワークすぎるのではないだろうか。お金はたんまり持っていたので、ゲームセンターとか古物商などの経営をするとかのんびりすればいいと思う。しかし、お金に飽きたと言っていたからほぼ無一文の状態からやり直したいという意図だったのかもしれない。
娘さんがすっごくかわいいのでヤクザに戻ってから、会いたくてつらくなるのではないだろうか。
不純物のない純度の高い映画です
圧倒的な名作です!
これを名作と言わず何を名作というのでしょうか
日本映画のオールタイムベストに入るのは当然です
脚本やロケのリアリティーは群を抜いており、役者達のキャラクターのたった配役と演技
それを際立てせている演出
なにもかも素晴らしいものです
伝説となった金子正次は言うに及ばず、特に永島暎子!
彼女の演技はいくら称賛されても足らないほどの感嘆、驚嘆するほどのものなのです
終盤の夕方の商店街で仕事帰りにはまだ早い時間に竜二を見かけた時、喜んで声をかけようとするその顔が一瞬で引っ込みます
大売り出しに恥ずかしげもなく並ぶ自分をみる冷たい視線に気付いて全てをさとります
すると一瞬目に涙が光ったかと思うと、彼女は全てしようががない、それが竜二さんなんだとスッパリ諦めた顔になっているのです
そして幼い娘に話かけようとしゃがんだ時にはもう清々しい笑顔が浮かんでいます
そして、おばあちゃんとこに帰ろうかと言うのです
この一連の芝居が流れるように自然に嘘くさくないのです
心を打つものなのです
日本映画屈指の名演技かつ名シーンでしょう
ラストシーンの白いスーツで歌舞伎町を颯爽と歩く竜二の姿もまた素晴らしい演出の終わりかたでした
時代は1978年頃と1983年
前者の時代は竜二がやくざの幹部として最前線にいた時代です
かれの住まいからみたと思われる歌舞伎町の俯瞰シーン
新宿バッティングセンターのネオンの位置関係からおそらく大久保ニ丁目交差点辺りの階数の高いマンションから見た光景に思われます
歌舞伎町の裏口の全てが眼下に広がっています
そして後者は西武新宿線新井薬師駅辺りと思われる堅気になった竜二の物語です
心を許せる妻とかわいい娘と汗水垂らした勤労で得た金で慎ましいアパートで暮らす幸せな日々です
しかしある日彼は夜にベランダから顔をだしてこう大声でいいます
この窓から、なんにも見えないなあ…
もちろん夜景のことではありません
将来の展望も、野心の行方も見えはしないということです
不安げに顔を向ける妻の顔とともにロングショットで捉えて長く時間をかけて引いていくカメラ
そこにかぶさるエレキピアノ、そしてサスティーンを効かせたエレキギターの哀愁のある音
この台詞とこの映像、音楽は本当にお見事としか言い様のない名シーン名演出でした
いつまでも心に残るものです
この映画が心をうつのは若者が人並みの大人になる幸せが、同時に若さの喪失を意味しており、年をとること、人並みの大人になることを拒否した生き方もあることを描いているからだと思います
だから普遍性を持つ共感なのです
特に公開当時、団塊の世代の人々は正に竜二と同じ年代でしたから圧倒的な共感を集めてヒットしたのは当然だと思います
竜二が酒屋の配達のトラックの荷台から、こうはなりたくねえ!という視線をむけた、公園でゲートボールに興じる老人達の姿
しかしそれは21世紀のいまの竜二の姿なのです
彼等団塊の世代の姿なのです
人は老いるのです
いつか死ぬのです
単調ではあっても幸せな日々のうちに次第に老いてそして死ぬ
それは当たり前の人間の人生なのです
それを拒否するなら竜二のようにやくざな存在に戻るしかないのです
やくざに戻った竜二の36年後の現在
70歳になった竜二は今どうしているのでしょうか?
今も「竜二」なのでしょうか?
そして同じように老いることを拒否していた団塊世代も老人になったのです
いやもしかしたら、老人になって責任がなくなった今だからこそ、はじめて彼らは竜二に戻ろうと考えているのかもしれません
もちろん普遍性のある物語ですから、21世紀の若者も素直に感動できます
老人にだまされたり、洗脳されたりする嘘や不純物は一切ありません
純度の高い映画です
ヤクザ役以外は観たくない俳優
女 「コーヒー頂戴」
竜二「・・・てぇめぇで入れろこの野郎~~~!」
当時これ真似したひと多かったのだと思う。男も女も。
東映も惜しい才能を逃した。
Vシネマの雛形とも言うべき作品。
それにしても映画ドットコムはいわゆるヤクザ映画の評価が低いね。
金子正次さんの全て
金子正次さんの人生が乗った、最初で最後の一本。公開前に亡くなり伝説の一本だと言うことは知ってて、観るタイミングはこれまで何度もあったけど、僕も色々経験して30過ぎて観れて良かったと思う。最後の一本と聞くとド派手なヤクザ映画かなと、そういうのを撮りがちだと思うのだけど、ヤクザからカタギになった男の心の動きを丁寧に描いた静かで優しくて、でも狂気も孕んでてなんとも切なくなる映画でした。終わり方がまたなんとも言えない。浸れる映画でした。金子正次さんがこんなに人間味があって魅力的な方だと知りませんでした。
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