ラブ&ポップのレビュー・感想・評価
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「時間の価値は」
〇作品全体
10代、高校生活、青春と仲間…どれもその時に意識していなくても、後で振り返るとあっという間に過ぎさったな、と感じる時間たち。そのあっという間に過ぎ去る時間を”庵野節”で切り取った作品だった。
作品中盤までは少しやんちゃな女子高生たちの「無敵感」をテンポよく切り取る。友達と一緒にいる裕美は明らかにいかがわしい男のアパートへも入っていくし、校舎内でも図書室で大声で盛り上がる。悪く言えば「群れてイキがる女子高生」なのだろうが、そこにしかないエネルギーがあることは確かで、「女子高生」という勲章がもたらす「無敵感」の明朗快活な感じが心地よくもあった。
一方で仲間内の関係性を見直す時間はすごく長く時間を取っている。千恵子がフラれたときや、4人でした援助交際のお金を裕美が断るとき。特に後者は長回し+横アス比を狭めて密度を圧縮して、印象に残す工夫がされている。
1カットごとの時間は裕美たちの記憶に残される面積の広さなのだろうか。そしてその1カットごとの時間の極端さが、気持ちを整理できていない10代の感情というものにつながっているのだろうか。大人へ向かう時間の時計の針が、不規則になっている10代の感覚、というような。
カメラワークとレンズの多様さは、裕美たちの自らへの興味と他者の裕美たちへの興味がどこにあるのか、ということに直結しているように感じた。わかりやすいのは裕美の主観ショット。裕美は手元を見る(カメラが向く)ことが多く、ネイルを塗った手や、食べ物を映すことが多い。今、目の前の事に対する興味を印象付けるのにもってこいのカメラポジション。知佐のセリフにもダンスへの情熱に対して、「今、この時だから」ということを強調するセリフがあった。彼女たちにとっての今がいかに目下のところにあって、大事なのかがわかる。一方で外に出ると裕美たちを映すカメラはやけにローアングル。性的に消費しようとする他者の目が顕在化しているように見えて面白かった。
作品後半からは「無敵感」が徐々に消えて、普通の16歳の女の子へ戻っていく。契機は仲良しな3人と「対等になりたかった」と裕美が気づいたあたりだろう。突っ走っていただけの時間から横に並ぶことができる人を探し出し始めたタイミングだ。追いすがる男たちに対して出て下がって…と太刀打ちしていた裕美が、横並びで援交男と話しはじめ、対等になるために男たちの日常に興味を持つ。一時的には理解をしたつもりでも、援交男たちの目的は別にあって、そのことにも気づけずに自らを汚してしまう裕美。いずれは訪れたであろう時間に対して、あまり奇をてらったカメラポジションは使わず、1カット1カットに比較的時間を使って丁寧に切り取っていた。
ラストの自室のシーンではフィルムをカメラに入れず、フィルムを落とすところが印象的。「今、この時」を無理にこだわらず、友達と対等でいることも夢の中で整理をして、それを忘れず生きていく裕美。この気持ちの整理こそが、大人への時計の針を早すぎず、遅すぎず進める一つなのかもしれない。
〇カメラワークとか
・カメラポジションだけでフフッと笑ってしまうくらいあちらこちらに置かれたカメラ。特に序盤は裕美の股下とかにもついてて面白い。なんというか、アニメでは作画の難しさから置くことのできないカメラポジションを庵野監督が楽しんでいるような感じがした。
・一方でアニメ監督だからこそのカメラワークもちらほら。真俯瞰で天井の木梁を境界線に登場人物を割る、みたいなのはアニメでしかやらない気がする。
・「女子高生っぽさ」を切り取るときに足元のカットを作るようになったのはいつからなんだろうか。本作品もスカート、靴下、ローファーだけを映して足の動きやポージングで「女子高生っぽさ」を強調するカットがあった。『けいおん!』の山田尚子監督がよく使うメソッド。
〇その他
・レンズ感といいクレーンショットといい、『彼氏彼女の事情』のEDを思いだす。本作と『彼氏彼女の事情』ED、どっちが付随してできたものなのだろうか…
・希良梨のボーイッシュながらスタイルの良いビジュアルと、仲間由紀恵の他の女優とは違うベクトルの美人具合がとても良かった。この二人は私服を着ていることが多いのに裕美役と奈緒役の女優さんは普通の女子高生っぽいスタイルで、制服を着ているというが猶更双方をデフォルメさせているような感じ。
【”あの素晴らしい愛をもう一度”村上龍の全然ラブ&ポップではない、乾いた世界観の中、自分の気持ちに素直な優しい女の子たちが様々な経験をしながら成長する様を、庵野秀明監督が見事に実写化した作品。】
■高校2年の、ヒロミ、チサ、ナオ、チエの4人はいつも一緒に渋谷の街を歩き、時にオヤジと援助交際をする仲間。そんなある日、ヒロミはデパートのショーウインドーに飾られたトパーズのダイヤに魅了され、代金12万8千円を手に入れるため、援助交際目当てで伝言ダイヤルに手当たり次第に電話する。
◆感想<Caution!内容にやや触れています。>
・今作の原作は読んではいたが、実写化作品を観るのは初めてである。驚いたのは、村上龍の乾いた世界観が、ほぼ忠実に再現されていたことである。
■気持ち悪い、オジサン達
1.しゃぶしゃぶを彼女達に奢りながら、自分の娘や自分自慢をするオジサン(モロ師岡)
2.チックがある、不潔なオジサン。で、ヒロミとレンタルビデオ屋に行ってエロビデオコーナーで自慰行為を手伝わさせる。(手塚とおる)
3.人形に話しかけながら、悪い事をしようとするも”お前には、価値があるって事なんだよ!”と捨て台詞を吐き、ラブホにヒロミを一人残して去るオジサン(浅野忠信)
・今作の後半はヒロミの援助交際シーンを主に描かれて行くが、ヒロミ、チサ、ナオ、チエの4人が、オジサンをちょっと小馬鹿にしながらも、実は自分の気持ちに素直な、心優しい女の子である事が描かれて行くのである。
そして、彼女達は、様々な経験をする中で、絆を深めつつ、成長して行くのである。
■ラスト、両岸をコンクリートで固めて護岸工事をしたどぶ川を、4人が横一列で前を向いて”あの素晴らしい愛をもう一度”が流れる中、歩くシーンは、名シーンだと私は思います。
<今作は、村上龍の全然ラブ&ポップではない、乾いた世界観の中、自分の気持ちに素直な優しい女の子たちが様々な経験をしながら成長する様を庵野秀明監督が見事に実写化した作品なのである。>
世紀末の援助交際
いつの時代も、この世代の女子はこんな感じで…。
渋谷の女子高生
方向性が違うだけで、「リンダ・リンダ・リンダ」の女子高生たちと何ら変わりはないのかもしれない。
若い頃の仲間さん、浅野さんがよかった。
最後のエンドロールは物凄く好き。
〈追記〉
配信だったので、何度もエンドロールを見ているうちに、最初につけた評価「3」が変わってしまった。ごめんなさい。
〈追記の追記〉
配信が今日までで、その事に気づいて、午前0時になったら突然終わるのか試したくなり、実験してみた。結果、巻き戻す間はずっと見れることがわかった。「この素晴らしい愛をもう一度」を聞きながら、「ああ、この歌は自分が終わろうと思ったところで終わりになるんだ」とわかって、この映画自体とリンクした気がして感慨深かった。「シン・仮面ライダー」以来、どうにも好きになれなかった監督のことが、こんなエンドクレジットを作れる人なんだと思うと、見方が160°くらい変わってしまった。
援交、パパ活をした、しようとしてる人に見てほしい。
モロ庵野の構図というもので、序盤から机の下の構図で、奇妙な構図だと思わされたが、次第に慣れ、そしてそれが無いと物足りなくなる。見た夢の話は、やはり難しく、解釈の余地があると思う。
中盤までは、楽して稼げていいなというのが、男である、私の感想。
現代、パパ活や援助交際はやはりまだあって、1部の女性は、それが最も効率的で、価値のある「仕事」としてしている人もいる。
無論、この作品の主人公はお金が欲しいのではなく、指輪が欲しい為現代のパパ活をしている女性とは少し違うのだが。
そして、援交を行う主人公に、Mr.(自主規制)は、お前を必要としている誰かが、お前がすぐに体を売っている事に死ぬ様な思いをしていると、怒鳴りつける。
ハッとさせられましたね。援交、パパ活は「楽して稼ぐ」事じゃないんだって。大切なものをすり減らしているんだって。金で買えないものを、売っちゃ行けないんだって。
全国のパパ活や援交をしてる、しようとしてる人、そして、パパ活や援交を「楽して稼ぐ」事だと思ってる人は1度は見ておいて欲しい作品。
これがデビュー作かよ・・・
私の思春期
いえ、これはみんなの思春期なのでしょうか?
大好きな村上龍×大好きな庵野秀明。
なぜ彼らに私の思春期が見透かされるのか、不思議というか、恐ろしいというか、ムカつくというか。
庵野監督の大好きなアングル技がしつこい。それによって感情移入と客観視が完全に鑑賞者(私)にフィットする。
まるであの頃を思い出すように、自分の視点として違和感なく受け入れられるのです。例えば、ルーズソックスを履いたり顔を洗ったりする朝のルーティンや、男にスタンガンを向けられたり、ドアを開けて両親の顔を見たりするとき。
一方で、背伸びしている未熟で滑稽で逞しくて愛しい主人公(自分)を俯瞰で見ることもできる。例えば、期末テストの前に図書室で談笑するシーンや水着を選ぶシーン、ホテルで男と離れて座りながら裁縫するシーン。
庵野監督にとって、線路とは何なのだろう。
●ポップでパンク。
闇
この年代の高校生って今の高校生よりも
グッと大人な気がする。
何というか、ごく普通の健康な女の子なのに危なっかしい一面もあり、変な色気があって、すごく冷めてる部分もあるというか。ヒヤヒヤしちゃう
あと、手塚とおるさんがもうリアルに気持ち悪くて気持ち悪くて!!(いい意味)でも主人公のみんなと平等でいたかったっていうシーンの気持ちなーんとなく分かる気がした。
カメラワークも特殊ですごく凝っていて、
1つ1つの画に惹かれながら見終えました
90年代ノスタルジー
1969年の『あの素晴しい愛をもう一度』にしなけりゃ
1989年に5歳から7歳だった幼児が、1998年に思春期を迎える。
あの事件で難を逃れた少女も、結局は異常な性愛を持った輩に食い物にされるのだ。
これが普通の社会であった。
大都会の街かどに普通にアンダーウェアまで売っていた。勿論、誰が使用したか分からぬ物が。つまり、
一言で言えば狂ってる。
「オタク」のステレオタイプが生まれる時代だが、実は全く違っていた。普通にネクタイを締めた普通のサラリーマンが「こんな癖」が認知されていると思っていた。
短絡的に結論を言えば、21世紀は対岸の火事で堕天使が姿を見せ、その約10年後に他人事ではなくなった。
いつから、日本はこんな事になっちまったのか?そして、何が原因か?
結論を急ぐ。
疲弊した経済だと思っている。それは遡れば1960年代の所得倍増を叫ばれるようになってからであるが、1970年の減反政策から始まる。それが1975年に「休耕奨励金」が終わり減反政策が終わるかに見えた。しかし、合法のままなのである。
かくして、地方経済は疲弊しまくる事になる。
後は言う事もあるまい。
経済の一極化。「スクラップ・アンド・ビルド」を繰り返し巨大な不夜城は欲望の渦を巻く事になる。
そんな現在は
「ヒートアイランド現象」と呼ばれる異常な状態になっている。
経済は疲弊。少子化。そして、高齢化。的外れの温暖化。そんな
今のヤマトンチュは世界で24番目の賃金。非正規雇用。
どうなっちまうんだ。
「ラブ&ポップ」の堕天使は、天使の衣を手に入れて、自分達だけの事しかかんがえられなくなっちまった。それで、共感ばかりが大事にされ、いつの間にか個性すら淘汰され、「ごめん」と言えば「やさしい」と認知されるようになった。
そんなふうになっちまった。
1975年は昭和50年。今年は2025年だから
令和7年であるが、昭和100年なのだ。敗戦後と言っても昭和は良くも悪くも続いているのだ。少子高齢化を合わせて考慮すると、最先進国なのかもしれない。
追記
この映画はかなりリアルなのだろうが、自虐的であってはならない。老若男女を問わず狂っていた映像が欲しかった。
色々な災難に合われた方々の今後のご多幸を祈ると同時に被害に合われた方の冥福を祈りたい。
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