喜びも悲しみも幾歳月

劇場公開日:1957年10月1日

解説

「太陽とバラ」以来久々の木下恵介が自らのオリジナル・シナリオを監督した抒情篇。撮影は木下恵介とのコンビ楠田浩之。主演は「ただいま零匹」の佐田啓二、「あらくれ(1957)」の高峰秀子、「「夢に罪あり」より 処女」の中村賀津雄、「悪魔の顔」の田村高廣、この作品で木下監督に抜擢された有沢正子、伊藤熹朔の娘の伊藤弘子。ほかに桂木洋子、田中晋二、井川邦子、仲谷昇、明石潮、夏川静江、坂本武など。色彩は松竹イーストマンカラー。二部構成。

1957年製作/162分/日本
原題または英題:The Lighthouse
配給:松竹
劇場公開日:1957年10月1日

あらすじ

上海事件の昭和七年--新婚早々の若い燈台員有沢四郎ときよ子は、東京湾の観音崎燈台に赴任して来た。日本が国際連盟を脱退した年には、四郎たちは雪の涯北海道の石狩燈台へ転任になった。そこできよ子は長女雪野を生み、二年後に長男光太郎を生んだ。昭和十二年には波風荒い五島列島の女島燈台に転勤した四郎一家はともすると夫婦喧嘩をすることが多くなった。きよ子は家を出ようと思っても、便船を一週間も待たねばならぬ始末であった。気さくな若い燈台員野津は、そんな燈台でいつも明るく、台長の娘真砂子を恋していたが、真砂子は燈台員のお嫁さんにはならないと野津を困らせた。昭和十六年--太平洋戦争の始った年に有沢一家は、佐渡の弾崎燈台に移り、今は有沢も次席さんとよばれる身になっていた。B29が本土に爆音を轟かす昭和二十年--有沢たちは御前崎燈台に移り、東京から疎開して来た名取夫人と知合った。まもなく野津といまは彼の良き妻の真砂子が赴任してきた。艦載機の襲撃に幾多の燈台員の尊い命が失われた。戦争が終って、野津夫婦も他の燈台へ転勤になった。それから五年--有沢たちは三重県安乗崎に移った。燈台記念日に祝賀式の終ったあと、美しく成長した雪野と光太郎は、父母に心のこもった贈物をするのであった。やがて雪野は名取家に招かれて東京へ勉強に出ていった。昭和二十八年には風光明眉な瀬戸内海の木島燈台に移った。ところが大学入試に失敗して遊び歩いていた光太郎は、不良と喧嘩をして死ぬという不幸にみまわれた。歳月は流れて--思い出の御前崎燈台の台長になって赴任する途中、東京にいる雪野と名取家の長男進吾との結婚話が持ち出された。やがて二人は結婚して任地のカイロに向う日、燈台の灯室で四郎ときよ子は、二人の乗っている船のために灯をともすのであった。そしてめっきり老いた二人は双眼鏡に見入った。そして、長い数々の苦労も忘れて、二人は遠去かる船に手を振った。旋回する燈台の灯に応えて、船の汽笛がきこえて来た。

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映画レビュー

5.0 雑感「夜の荒海の、僕の灯台」

2025年9月28日
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灯台の光が好きだ。

子供の頃、幾度か引っ越しはあったものの、どこかしらに海は見えていた。
そして居間や子供部屋の電気を消すと、遠くの海岸で光る灯台の光が見えていた。ゆっくりと回ってくる光の点滅。白が1回、そして待っていると2回続けて。
じっとそれを見ているのが好きな子供だった。

その灯台の光を歌詞に歌った真心ブラザーズの「エンドレスサマーヌード」がめっちゃ良くって。あそこで歌われる情景《暗い海辺の岩かげを照らす》《一瞬の一条の光》に、
心がギュッと持っていかれる。

灯台を舞台にした映画といえば、洋画の「ライトハウス」や吉田修一原作の「悪人」なども思い浮かぶ。

本作、「喜びも悲しみも幾歳月」は、佐田啓二と高峰秀子による長編ドラマだ。主題歌こそラジオで耳馴染みはあるものの、今回初めての ちゃんとした鑑賞になった。

神奈川県観音崎〜北海道石狩〜伊豆大島〜豊後水道水子島〜五島列島女島(めしま、福江島から80キロ、国内最後の有人灯台2006年まで)〜佐渡ヶ島弾埼(はじきざき)〜静岡県御前崎〜志摩半島安乗埼(あのりさき)〜瀬戸内海高松市男木島(おぎしま)〜

「灯台」は人里離れた辺鄙 ヘンピな岬や断崖に、そして隣人ゼロの孤島に立つ。
結婚も子育ても、孤独と人恋しさとの闘いなのだ。

・・・・・・・・・・・・・

僕の深夜の長距離トラック生活も、もう三十年目を迎える。
いちおうの定年も間近なのだが、長野県から岐阜県を経て愛知県に入り、ラジオ深夜便を聴きながらへろへろになって、長い運航もようやくやっと終わりがけの頃に、
荷下ろしステーションの手前の国道端に「一軒の家」が建ったのだ。

実に堅牢な立方体の二階建てで、あれは三井ホームあたりだろうか。そして地震に備えてだろう、窓はごく小さめだ。
ささやかな玄関前の植栽も合わせて、どういうお人が住まっておられるのか、その堅実なお人柄が想像出来るいいお宅だった。

ふと《それ》に気づいたのはしばらく経ってのこと。
その家の、おそらく二階に上がってゆく階段の踊り場に、僕は「小さな灯火」を見つけたのだ。
ガラス窓とレースのカーテンの間に、小さな電気スタンドが置いてあるらしい。豆電球が灯っているのが通りから見える。何のためだろう。子供部屋があるのだろうか、夜の階段のための常夜灯だろうか。常夜灯にしたって心許ない とても小さくて暗い明かりだ。

真冬の星辰ふるえる夜更けにも、春のおぼろ月夜も、そして夏の暴風雨の最中にも、あの豆電球は必ずそこにあって
僕はその《小さな光の粒》を道の左側に確かめてから先へと進んだのだ。

三十年もやっていれば喜びもあれば悲しみもあった。絶望や涙に打ちひしがれての運転も本当に多かった。家には帰れなかった。だからあの《光》がありがたかった。
二度と朝はこないような苦しみの中、まるで漆黒の嵐の海に、黒い大波にもみくちゃになって沈みかかっている難破船が、「やっと暴風雨の彼方に奇跡的に灯台を発見した時の気持ち」と言おうか。
あの《灯台》には心底、どんなに助けられたか分からない。

最終日には郵便受けにメモをそっと入れて、お礼を届けたいと思っている。
びっくりなさるだろうが、夜通し通る大型トラックの振動と騒音へのお詫びも、必ず記しておきたい。

・・・・・・・・・・・・・

「灯台ってのは、人里離れた、それこそ泣きたくなるような場所が多いんだ・・」
「沖を通る船だって私たちの苦労を知っているのかしら?」

これは新妻を迎えた晩に、「絶界の灯台生活」で気の触れてしまった元灯台守の奥さんが押し掛けてきた時の、新郎の説明だ。
そしてもう一つは主人公の同僚の妻が臨終の床で漏らした恨み言だった。

・・

光の灯るところには人が住んでいるわけで。
どこか遠くから灯台の明かりを見ていてくれるかも知れない「その誰かのために」、
灯台守の善人たちは、ああやって命を賭し、その仕事の意味を信じて、《あの小さな灯》を守るのだろう。

佐田啓二と高峰秀子。
素朴な暮らしの中にこそ人間の光はあった。そして人の内側からその光は輝きいだすのだと
木下恵介は教えてくれた。

・・

今夜は僕は御前崎灯台の近くにいます。
東名高速道路、静岡県の牧之原サービスエリアで今夜は車中泊なのです。数百台のトラックが今夜も停泊して寝ています。
車中からこのレビューを送信。

トラック乗りの独り言です。

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きりん

5.0 日本の良心

2025年4月2日
PCから投稿

脚本も演出も演技も誠実で「日本の良心」みたような作品です。
2時間半以上の長編ですが日本各地を旅行しているような楽しさに、それぞれの地で起きるエピソードも落ち着いていながら抒情も抜群です。
ラストシーンは圧倒的な感動が迫り木下作品では「二十四の瞳」と双璧です。
貴一君のお父さんもデコちゃんも日本映画史に残る名演です。

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越後屋

5.0 運命、出会いと別れ、行雲流水

2025年1月18日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

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しゅうへい

5.0 美しい映画

2023年10月13日
Androidアプリから投稿

何が「美しい」のか、今の自分には上手く説明できないように思った。中盤あたりから惚けてしまっていた。しばらくそっと大事にしまっておきたい、久々にそんな風に思える作品でした。

蛇足で印象に残ったことをいくつか。木下作品を見ていると、構図の中に妙に存在感を放つモノが配置されていて、絶妙なトーンを与えている画(分かりやすい例を挙げると「永遠の人」のラストの土間に置かれた冷蔵庫とか)が印象的だけど、本作は風景にしても屋内にしてもそうした画面が多くあったように思えた。
また、東京のレストランに招待されたシーンで娘が料理を取り分ける時の目線で男女関係を匂わせるショットは木下作品ではあんまりない演出に思えて印象的だった。セリフにしても本作は割りと前のシーンや後の展開の含みをもたせたものが多く、観客に対して丁寧につくられた印象だった。

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抹茶

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