夜の河のレビュー・感想・評価
全4件を表示
とても現代的な物語だと思います 21世紀の現代にこそリメイクされるべきです
大傑作です!
日本映画オールタイムベストの一角を占めるのは当然です
今回の大映4K映画祭でようやく鑑賞が叶いました
本作は赤の色彩が大きな意味を持つ作品だけに4K化は大変に意義のあるもので、関係者の皆様に感謝致します
感動の余韻が長く続きました
こんなに長く余韻が続いた映画は久方ぶりです
原作を取り寄せて読んだほど
小説は1952年に文芸誌に掲載されたもので僅か30ページくらいの短編です
それを104分の映画に膨らませています
本作は原作の良さを損なわず、さらに独自の価値を獲得した好例と言えます
脚本はあの田中澄江です
成瀬巳喜男監督の名作の多くの脚本を書いた方です
短い原作の背景を見事に掘り下げて、こういこともあったろう、こうであったろうと原作では触れられないことも納得の形で補完されています
一度丸由を辞めたのに、また終盤に戻ってくる若い職人
美大生岡本五郎
お茶屋の女将せつ子
近江屋の主人
これらはみな映画だけの登場人物です
また原作では、きわと竹村はすでに2年ほど前に深い仲になっています
7歳下の妹の美代も3年前に嫁にいったことになっています
原作では晩秋に竹村の妻の葬儀がありその前後できわが様々なことを思い返す構成です
それに対して本作では春のメーデーから始まる、ちょうど1年間の物語にされています
1956年公開
高度成長の始まりの年です
空襲を受けなかった京都で撮影されています
戦争の傷跡は何一つありません
街中に活気が溢れています
しかしきわにとっては青春を戦争に塗りつぶされてしまい出会いの機会が無いままこの年齢になったのです
戦災が内面に起きていたのです
冒頭の橋は堀川に掛かるものです
堀川は材木を流すほどの水量があったので、この水を使って染屋が多くこの堀川の東側、特に姉小路から御池通にかけて集まっているのです
原作でも丸由はその辺りにあるとされています
本作のラストシーンでは2階の物干し台から、二条城を背景にした堀川通りと御池通を進むメーデーの行進が見えています
ただし冒頭のシーンで、タクシーが入っていく脇道は押小路通りのようです
また中盤で竹村の娘あつ子が一人できわを訪ねてくるシーンもそこです
二条城の南東隅櫓が真後ろに見えます
姉小路辺りとは場所がずれています
映画として絵になるようにとの意図かも知れません
先日、二条城に花見にいったついでに
堀川のその橋に立ち寄りました
67年も経ったのですから、光景は一変してしていますが、それでもまだほんの少し古い民家が残っているので、やっぱりここだと分かりました
堀川と掘られた石のその部分だけは現存していますが欄干は新しいものに変わっています
堀川はこの橋から南は、今は暗渠化されています
堀川の北側は改修され今では水は殆どなく底の方にせせらぎがながれているだけの親水公園として整備されていました
堀川の東側を市電が走るシーン
この市電も本作の5年後には廃線になっているそうです
主人公の染め物屋丸由の娘、船木きわ
を山本富士子が演じます
なんと美しいこと!
輝くばかりとはこのことです
彼女が画面に登場するだけで見とれてしまいます
いつまでも穴の開くほど見つめていたい美人とは彼女のことです
19歳の1950年、初代のミス日本に輝いているほど桁違いの美女なのです
大阪の資産家の娘で生まれ育ちの良さが滲みだしています
和服の着こなしと所作の美しいことには感嘆するばかりです
女学校のときの数年間は京都に住んでいたそうですから、彼女の話す京都弁は実に自然でネイティブそのものに聞こえます
当然、映画会社の熾烈な争奪戦となり大映に入社することになったのは1953年のこと
数多くの映画に出演するも3年目にして遂に本作で彼女はスターとなるわけです
その彼女も本作出演時は25歳になっていました
当時の事ですから、25歳はすでに行き遅れの雰囲気が漂う年齢なのです
きわの年齢は原作でも映画でも30歳目前とされています
当時ならその年齢は現代のアラフォーのように感じられたでしょう
原作小説が、まるで撮影時の山本富士子に当て書きされたのではと錯覚するほど、彼女にぴったりな内容なのです
主人公のきわは毎日仕事に打ち込み、才能を発揮して充実した毎日を生きています
仕事が面白くて仕方がない
夢中で働いているうちに気がつくと30歳目前になっていたのです
縁談は本人が首 をふるばかり
当時は珍しい存在だったでしょうが、現代ではこんな女性はいくらでもいます
一方、妹はサッサと東京の男を捕まえて嫁にでるのが冒頭のシーンです
ゴールデンウィークに入ったばかり
5月1日のメーデーで赤旗を持った行進が四条大橋を通り過ぎるシーンがあります
ラストシーンでも、メーデーの行進が写されます
それで1年間の物語と分かります
同時に赤の色彩を観客に特に印象づけるシーンでもあります
メーデーの行進は映画だけの登場で原作にはありません
しかし原作が発表された1952年は「血のメーデー事件」があった年です
皇居前広場でおきた、死者1名、負傷者数百人を出した大騒乱事件のことです
本作の公開はそれから4年しか経っていませんから赤の色彩はその衝撃を思い出させ不安にさせるものです
そして大阪大学の竹村教授の研究するハエの色も赤なのです
ハエもまた嫌悪感を起こさせる虫です
竹村教授を演じる上原兼は、本作公開時47歳
仮に竹村教授が50歳なら、30歳目前のきわとは20歳の違いです
年齢差が有り過ぎです
きわは早くに母を亡くし、少女のころから母代わりを務めてきたのです
原作にはきわと3つ年上の継母がきて一晩だけ泣いたとありました
そのことが影響しているのかも知れません
きわが再会を願って竹村に名刺を渡したことが全ての始まりでした
これも映画オリジナルのエピソードですが、原作からとても納得できるものです
その場所は奈良の唐招提寺です
京都から電車で小1時間のところです
帰りの電車の中できわは窓から田園風景をみているようで、実は竹村の熱い視線を受けていることを意識しています
頬からうなじにかけてほんのり赤く染まるのです
見事な演出と演技力が示されます
原作では竹村の家は大阪市電の上町線に乗るとありますから、竹村親娘は大和西大寺駅から乗り換えて大阪上本町駅まで帰ったはずです
きわはそのまま京都に向かうので、あの電車のシーンは西ノ京駅から大和西大寺駅までのたった2駅5分程度のことだったわけです
きわは竹村が妻帯者であることは初対面から分かっています
それでも恋のときめきを感じているのです
後日、竹村が丸由にきわを訪ねてきて、二人の仲は一気に接近します
先斗町の洋食レストランのシーンは有名な「開陽亭」です
いまは宮川町に移転されています
その後二人は八坂神社の西楼門から南門楼門に抜けていきます
きわは竹村に積極的に好意を示しています
彼が妻帯者なのを分かっていても、ただ一緒にいられることが嬉しく楽しいのです
その先に進もうとかまるで考えてもいないのです
きわと女学校の同窓生のせつ子と若い美大生の岡本の3人がいる比叡山がよく見えるビルの屋上のカフェぽいところ
あれは位置関係からみて四条大橋東詰めの南座の向かいの角に今もあるレストラン菊水の屋上と思います
確か夏は今でもビアガーデンになっていたかと思います
丸いテーブルに白いテーブルクロスの喫茶店は堺町通三条下ルのイノダコーヒーです
いまも同じ場所にあります
染屋組合の宴会で大騒動になるシーンで舞台になるのは、夏の風物詩の先斗町の床です
同窓生せつ子の鴨川沿いのお茶屋は、位置関係から、四条大橋西詰に今もある東華飯店の脇の狭い路地を入っていった先にあると思われます
そこで大文字さんの送り火の夜に二人は結ばれます
真っ暗な部屋の中に外の提灯の明かりが差しこんで赤く染まっています
もちろん、きわの血が情熱で沸き立っていることを表現した演出です
このように赤い色彩が重要な意味を持たされて演出に多用されています
竹村の娘あつ子が一人できわを訪ねて来て、竹村の妻が大病にあることを伝えます
彼女が来た本当の目的はそれだったのです
それでもなお、きわはまだ竹村との夢の中にいます
きわがあつ子を見送ったバス停は四条河原町
バス停の案内表示板にある烏丸車庫は今の北大路バスターミナルのことです
岩場のある海辺の温泉宿は南紀白浜に見えます
原作では阪大校内でのことが置き換えられてあります
あと少しの辛抱なんだ
竹村のふと口走った本音が、きわを一気に冷めさせてしまい、きわは引き止める竹村を振り切って毅然との別れを告げるのです
その言葉は、結局自分もそれを待つ身であったことへの嫌悪でもあるのです
きわが竹村に年齢差を超えて恋愛感情を持ったのは、尊敬できる男性の登場を心の中で長年強烈に求めていたからです
彼女の中では不倫ではなく、本当にただの尊敬とか憧れとかだったはずです
彼女は竹村の家庭を壊さないと言っていたこと自体、自分がただの不倫女になっていた証拠だと突然気がついたのです
子供が出来たらと思わず本音を口走ってしまったときに竹村がひるんだことも思い出して「おとこはんはこすい(ずるい)」と彼を嫌悪するのですが、それは実は自分自身への嫌悪でもあったのです
夜の河 の意味
本来、夜の河は危ないから渡ってはならないものです
葬式のシーンの壮絶さ
不倫の恐ろしさが強烈に表現されています
原作では竹村の妻の葬儀の帰りに四条大宮から堀川姉小路の店まで夜道を歩くきわが、耳にした堀川の水音です
この当時はまだ暗渠化されていません
堀川の流れに様々な色の染料が流れて行きます
しかしそれらは複雑に混じり合ってもいつしか消えてしまう
自分と竹村の関係もこのように混じり合ってもいつしか消え去るものだと決意するのです
映画では原作のこのシーンはありません
別れは葬式の前に白浜の温泉宿で握手でなされます
映画では代わりにラストシーンのきわの表情で置き代えられています
これが大きな余韻を残す、映画独自の見事な解釈と演出だったと思います
竹村のことはすべて忘れて吹っ切れてまた仕事漬けの日々に戻ろうときわは張り切っていたのです
ところが物干し台に登って、メーデーの行進を眺めた時、彼女の顔色が変わります
堀川通りを南から北に二条城の正門の前を進む行進
御池通りを西から東に進む行進
無数の赤旗が行進して行きます
彼女の顔色が何故変わったのでしょうか?
それはメーデーの赤旗の赤い色を見たからです
彼女の背後にも染め上がって干してある赤い反物が垂れています
その赤い色が、彼女を一瞬にして夜の河に引きづり込んだのです
竹村が研究していたハエの赤い色とおなじ赤なのです
そしてそのハエの赤い色を染め物に再現しようとしていたことも思い出したのです
竹村にまた逢いたい!
彼の胸に飛び込みたい!
強烈に彼に抱かれたくなったのです
なにもかも振り捨てて彼のもとに今すぐ行きたい!
竹村の妻は死んだのだから、もはや不倫ではないのです
危ないから渡ってはならない夜の河ではなくなったのです
それでいいのだろうか?
その葛藤が彼女の顔色を一瞬に変えたのです
そこで本作はエンドマークとなります
果たしてきわはどうするのか
それは語られません
毎日毎日、仕事漬けで、恋愛をしたくても機会も出会いもなく、ただ日々が過ぎ去っていく
仕事は成果が上がるほど忙しくなる
3ヵ月くらいはあっという間に過ぎ去って、季節が周り気がつけばまた1つ歳をとる
ついこの間まで30歳だったのに、もうアラフォー
そんな女性は当時はそういなかったでしょう
しかし21世紀の現代では、きわのような女性はどこにでもいます
とても現代的な物語だと思います
本作はテレビでも3回映像化されていますが、3回目はすでに50年も昔のこと
21世紀の今こそ本作をリメイクされるべきだと思います
大映4K映画祭にて再見
角川シネマ有楽町にて鑑賞。
この映画、9年前に観ていたが、「大映4K映画祭」で<4Kデジタルリマスター版>が上映されたので久しぶりに鑑賞。
やはり、京都の染物屋での染物が鮮やかな色彩となっており、主人公の舟木きわ(山本富士子)と大学教授(上原謙)が初めて一緒になる場面での夕陽の色が綺麗であった。
ただ、今回の『夜の河<4K版>』、音質も改善されたのかクリアだったが、クリア過ぎて「山本富士子や若い女性の高い声がキンキンと耳に突き刺さる感じ」がちょっとキツかった(^^;
これは映画館ならでは…の音響によるのかも知れない。
(若尾文子のように円やかな質感の声だったら良かったかも…)
物語は、京染老舗の娘=舟木きわ(山本富士子)が、仕事一筋に父親(東野英治郎)と一緒に染物づくりに専念してアラサーだが結婚せずにいる。
そこに、岡本五郎なる画家(川崎敬三)が舟木きわに恋慕するものの、彼は子ども扱いされる。
そこに、大学教授(上原謙)が現れて、舟木きわと深い仲になる。
…まぁ、本命の上原謙が登場だから、そうなるのが普通(笑)
川崎敬三だけでなく、舟木きわの商売手助けをしながら下心丸出しの男(小沢栄)が、いい味だしていて、笑える(笑)
吉村公三郎監督の初カラー映画で、それを撮影監督の宮川一夫が補ってあまりある「カラーが綺麗な映画」になっている。
山本富士子は「五社協定問題」で大映退社後、かなり辛い思いをしたそうだが、この映画は山本富士子の代表作と言える。彼女の熱演が伝わって来る佳作。
<映倫No.2256>
お別れしまひょ 握手しておくれやす
想像以上にとてもいい映画でした。山本富士子の映画もドラマも見たことなく新派みたいな人?といったイメージしかありませんでした。それは大きな間違いでした。宮川一夫のカメラはもちろん、田中澄江の脚本が素晴らしい。当時の空気をリアルに感じました。まだ戦後、民主化、労働者の権利、メーデーのデモ行進。様子が晴れやかに映りテーマになっていた。5月1日は世界的にメーデー、休日で集会に参加するのが例えばヨーロッパでは普通というかみんな知ってるけど日本はしない?あるいは知られていない?やってんのかな?ゴールデンウイークとか作って見えなくされたのかな。
ろうけつ染めの今でいえば染物作家先生である、30歳手前あたり独身のきわ=山本富士子。同じ染物職人の父親も認める腕の持ち主。職人としてだけでなく商売のセンスもある。嫌なこともたくさんある。商いのストレス、とりわけ商売相手の男の嫌らしさ(セクハラ、パワハラ)、廃れ始める着物文化、京都という窮屈な町の人間関係の煩わしさ。そんな中で主人公のきわを演じる山本富士子は仕事をして自分の足で立っている女性で、人あしらいも上手で頭もいい。男女関わらず年齢も関わらず皆から一目置かれ愛されあるいは尊敬され憧れられる対象。本人はでもそんなの軽く受け流す感じに見える。
そんなきわが男(大阪大学教授。専門は赤ショウジャウバエ!だから、きわは赤い蠅のモチーフを染めて着物にした。モダンで素敵。虫好きにとっては萌える柄)と偶然出会い愛することになったけれど、その男の偽善と狡さを見抜く。それに目をつぶって先に進むことを彼女は選ばなかった。長患いの妻が亡くなったから結婚は当然と思っている男にがっかりしたし、男の娘は自分を真っ直ぐな眼差しでおばさまと慕ってくれる。後ろめたい思いで自分の恋を成就させる気持ちは彼女にはない。この映画はフェミニズム映画だと思った。山本富士子、かっちょいいー!
男に別れを切り出し「これからはお友達、握手をしましょう」と差し出す彼女の手の指が染め物の藍色に染まってるところは何にもまして心に沁み入りました。ふと、講談から落語になった「紺屋高尾」を思い出しました。あと思い出したのは、きわが家の仕事場で髪を洗っている場面。真っ白な肩に漆黒の洗い髪の姿は上村松園の絵から抜き出たかのよう、息をのむほどの美しさでした。
おまけ
帯締めの位置が帯の真ん中よりかなり下。この映画でも「細雪」(1959)でも。京都、大阪のやり方?当時の流行り?新鮮だった。細長くてソリッドなバッグが流行っていたみたいだった。それを左手で縦に抱える感じで持つと手の位置が美しく決まる。細雪でも同様。
山本富士子の美しさ、宮川一夫のカラー映像の素晴らしさ
純愛に生きる京女の内面を優しく、時には頑強に描く情趣深い作品。脚本がいい。吉村公三郎演出も弛緩することなく堅実にまとめる。山本富士子の美しさ、演技が一際輝く。宮川一夫の色合いを強調したカラー映像の世界に感服する。教授役の上原謙がもうひとつ冴えない。男の嫌らしさ身勝手さをもっと出せたら、女の虚しさが美しく更に表現されただろう。
全4件を表示