雪夫人絵図(1950)のレビュー・感想・評価
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愚かな人間のありのままを耽美的映像で描いた溝口演出の新境地
「夜の女たち」で溝口監督本来の力量を見せつけられたのに対して、この作品ではリアリズムと言うより耽美的な映像美に人間の愚かさが表現されていて、とても腑に落ちた。それでいて何かさっぱりした印象に嬉しくなる正直な感想をもった。けして人間の核心まで追求したドラマとは言えないまでも、原作のもつ妖しげな男と女の雰囲気が美しく映像化されている。原作は舟橋聖一の同名小説で、脚色が依田義賢と舟橋聖一の実弟舟橋和郎の共作である。
旧華族信濃家の一粒種である雪夫人は直之を養子に迎えたが、この夫は放蕩無頼のとんでもない男であった。京都のホステス綾子といたずらに財産を蕩尽している。仕事もしないでただ遊ぶだけの夫で、よく生活して行けると思わせる程全く何もしない。雪は、こんな夫と早く別れなければと頭で考え焦るも、体の方はいう事を聞かない。肉欲に溺れる訳ではないが、彼の欲求に逆らえない自分がいる。このような女性には、強引に別れさせ奪い取る男性が必要だ。その役目にあるお琴の師匠菊中方哉は、雪が心と体の矛盾に悩み苦しむのを知りながら、同情するだけで行動には出さない。冷静な言葉を掛けるが、却って彼女を苦しめることになる。全くダメな男だ。
そんな状況で父の死後、財産が雪の住む熱海の住居だけになる。これを方哉の助言で高級旅館にするのだが、馬鹿としか言いようがない夫直之は綾子と彼女の情夫立岡を連れて遊びに来る。ついに離婚を決意した雪は京都まで行き直之に会うが、反対になじられる展開になる。
これら登場人物に模範となる人間は一人もいない。誰からも救われない雪の最後は悲劇的に終わる。特に結末は綾子と立岡の企てを入れて、人間の悪を強調している。肝心の直之は、失って初めて自分の愚かさに気付く男の馬鹿を、一人芝居のように演じるだけである。これほどに人間の醜さ、愚かさ、嫌らしさ、矛盾を並べ立てても映像は美しい。モノクロ映像の時に幻想的な美しさは、主人公雪の無垢さと純真さに共鳴するものである。小原譲治の撮影と溝口監督の演出は溶け込んで、独自の映像の世界観を創作している。湖畔の朝もやのシーンの美しさは特に印象的だ。愛欲の場面は当時の表現の限界であろうが、その妖しさは現代より遥かに上回る。主演小暮美千代の好演も印象に残る。
1978年 7月13日 フィルムセンター
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