「和製ダーティハリー? そんなチャチなもんじゃないと断言します」野獣刑事 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
和製ダーティハリー? そんなチャチなもんじゃないと断言します
野獣刑事
1982年10月公開
これはもの凄い!異常な程の傑作を観た!
もっともっと高く評価されるべき作品です!
東映、工藤栄一監督作品
ヨコハマBJブルースの次の作品です
「野獣死すべし」は1980年の松田優作主演映画で題名が似ているだけてで本作とは何の関係もありません
主演緒形拳
緒形拳は普通、凶悪犯役が多いですが、本作では刑事です
でもタイトルどおり野獣刑事です
正にはまり役です
彼以上の配役は考えられません
しかし本作の前に凶悪な犯罪者を演じたのは1979年の「復讐するは我にあり」ぐらいです
本作以降、大悪人役がどんどん増えていきます
配役への眼力がさすがです
和製ダーティハリー?
そんなチャチなもんじゃないと断言します
Vシネマ登場以前にもうその世界がここにあります
舞台は大阪
まずそれが成功ポイントです
大阪でこそ相応しい世界なのです
関東が舞台ではこの味は出ません
ディープな昔の大阪がそのまんまフィルムに写し取られています
あまりにリアルすぎるほどです
同じ1982年の深作欣二が松竹で撮った「道頓堀川」の大人しい大阪とは大違いです
これが本当のディープ大阪です
オールロケ
津森団地、淀川区加島、西成区あいりん地区、天下茶屋
ロケ地の地名を並べただけで大阪を良く分かっていることが分かります
あいりん地区であの時代にロケだなんて隠し撮りでも危な過ぎです
今では大阪府警もだいぶ普通になったようですが、昔の大阪府警は本作が誇張とは言いきれないものがありました
今の神奈川県警とはまた違う恐さです
本作を語るとなれば、とにかく、いしだあゆみが素晴らしいを挙げなければなりません
結婚を餌にされ、連続殺人犯逮捕の為のおとり役になることを承諾するシーンからの演技は圧巻です
いしだあゆみ
長崎の生まれですが、大阪府の出身なので、大阪弁がネイティブ
単に抑揚とかアクセントの違いではありません、会話に入る時の呼吸と最初の発声、その間の取り方が本物、それも下町の一番下のもの
「あんな、としやんもうでてくんねんて」
方言指導なんてものを超越した次元のナチュラルさでした
これができなければ、その他の本物らしさが全て、台無しになって嘘ぽくなったことでしょう
本作公開時 34歳
若過ぎず、年増過ぎもなく絶妙な感じ
くたびれ感を出していても、まだまだいい女、しかし薄幸の影が強い
この配役が本作の最大の成功と思います
彼女は、本作前年1981年の「駅station」での、ほんの少しの笑顔だけの登場シーンで強烈な印象を残して注目を集めました
その結果翌1982年は2本の映画で大きな役を得ます
一つは同年8月7日公開の「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」、そして同年10月の本作です
本作での汚れ役での自然な演技は、日本アカデミー賞の助演女優賞となり、更に注目されることとなります
1985年には「夜叉」に出演、
そして、1986年には、本作の緒形拳と共に「火宅の人」に出演することになるのです
つまり、彼女の俳優としての大きな開花は本作にこそあると思います泉谷しげるも、ものすごい実在感を発揮します
子役も凄い
オーディションで抜擢され妙に上手くて子役ずれしたところがありません、自然そのものの演技を示しています
そして本作を語るにはなにより、第二部のように30分追加された派手なカースタントのあるカーチェイスのシークエンスへの賛否です
この追加には賛否が分かれます
当初は本作のポスターのシーンで終わる脚本だったそうです
それは刺された恵子を抱きかかえる大滝の姿です
確かにその方が余韻のある作品になったかも知れません
あるいは
稔の台詞
カレー辛いんか?
そこでエンディングにするかです
大滝が泣いているようにも見えます
自分はここでエンドマークが出るものと思いました
ポスターのシーンでエンドマークなら、大滝が恵子を失ったことへの感情移入ですが、それは恵子との結婚の約束を信じての大滝の哀れへの感情移入です
でも結婚の約束なんてことを平気で嘘をつけるのが大滝という男です
そこでエンドマークをだしたなら、悲しんではいても、実は大失敗したという後悔の方が大きかったはずの大滝という大悪人に可哀想だと観客に思わせてしまうことになるのです
しかし、追加シークエンスの後に来た本作のエンディングは稔からの拒絶を受けてアパートの前を寂しく去る大滝の姿です
踏みつけにしていた坂上の復讐を受けて、足も不自由になり、警察も追われたであろう、アパートにもはいれずどこにも行くところが無くなって、堤防を足を引きずって途方に暮れて歩く大滝の姿です
カーテンの影からそれを覗く稔
その目に浮かぶ感情は分かりませんが、大滝を呼び戻す気など全く無いものなのです
自分には野獣刑事の結末はこれしか無いと思うのです
一言でいえば、因果応報です
あの追加シークエンスの全体が、坂上の怒りの爆発の強烈さの表現であり、また大滝の悪の大きさを表現するためには、それほどに大きな釣り合うものが必要だったのです
坂上は稔を除けば登場人物の中で一番の弱者であったけれども、恵子と稔を真剣に愛していたのは彼です、シャブ中毒錯乱の強烈さでそれが見えなくなっていますが、そもそも坂上がシャブ中毒に戻ってしまったのも、元を辿れば大滝のせいです
中盤の台詞にあったように
大滝がいなかったら三人で本当の家族みたいに幸せに暮らせたのはずなのです
坂上に感情移入したなら、カタルシスがあるエンディングにするためには追加シークエンスがなければならないのです
そうすることで稔が窓のカーテンを閉めて大滝を拒絶したとき大滝にザマーミロ!と思えるエンディングになったと思うのです
坂上がシャブ中毒で錯乱してバットを振り回して暴れるのシーンの前に恵子が窓の向こうの遠くの爆発火災の煙を見つけるシーンがあります
それはたまたまロケ中に起こった本物の爆発火災だそうです、
しかし工藤監督はそれを撮り、芝居を即興でつけたのだそうです
それは単なるシャブ中の錯乱のキッカケとしてではなく、坂上の怒りは巨大なものでもうすぐ大爆発するのだと予告するシーンに相応しいと咄嗟に判断されたのです
坂上のシャブ中錯乱シーンは恵子に坂上との暮らしを諦めさせ、大滝の結婚を餌にしたおとり捜査に協力させる為のものですが、この火事シーンは、まるで追加シークエンスが入ることを前提として最初から脚本にあったかのような見事さです
神がかっています
また追加シークエンスを加えてどう終わらせるかを、カレー辛いいんか?のシーンをいれる事でラストシーンでの稔にまで拒絶され、大滝が全てを失った哀れさを増幅させるようにしているのです
つまり追加シークエンスは工藤栄一監督の神がかった演出計算の末に下された結果だったと思うのです
決して大悪人の大滝に感情移入させてエンドマークをだしてはいけないのです