「ミサイルや熱線砲の攻撃に耐える“受けの美学”、風圧だけを武器に近代兵器に対峙する孤高の守護神の姿には哀愁すら感じるのだ」モスラ(1961) kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
ミサイルや熱線砲の攻撃に耐える“受けの美学”、風圧だけを武器に近代兵器に対峙する孤高の守護神の姿には哀愁すら感じるのだ
午前十時の映画祭11にて。
総天然色、TOHO SCOPE、世界同時公開(実際は海外は翌年)、東宝が巨費を投じ総力を結集した一大スペクタクル巨編。
街並みのミニチュアセットの完成度、怪獣のスーツアクションと操演の妙技、映画作りが職人たちの“もの作り”に他ならないことを明確に示している。
モスラの幼虫は数種類のモデルが作られていて、最大のものは全長10mで9人のスーツアクターが入って動かしたというから驚きだ。バイクのエンジンを搭載して自走させたモデルもあったそうだ。
成虫も大中小のモデルがあったが、さすがにスーツアクターは入れない。マリオネット方式の操演しかなかったわけだが、釣竿の素材を使った軸にメリヤスを張って作られたという巨大な翼が、そのしなりを活かして悠然と羽ばたく様は実に壮観だ。
モスラの各モデルに合わせて、1/20スケール、1/50スケール、1/100スケールでミニチュアセットが組まれたとのこと。
幼虫が東京タワーに向かって進むシーンのパノラマ映像では、セットの巨大さが想像できる。
青梅街道、渋谷道玄坂の緻密な再現力はミニチュア好き男子の心をくすぐる。
ニューカークシティーの上空を成虫モスラが旋回するシーンでは、風圧で車がショーウィンドウに突っ込む凝ったアクションが見られる。
ゴジラを筆頭に、これまでの怪獣の造形は恐竜をベースにしたもので、スーツアクターを想定して擬人化された体型だったが、巨大蛾を主演にすると決めた時点でスタッフのハードルは上がったはずだ。
特技監督円谷英二の要求に、東宝スタジオが誇る特撮職人たちが見事に応えている。
物語りは、女性観客への訴求を意識してファンタジー性を強めたとのことだが、小美人という突飛な設定とザ・ピーナッツをキャスティングしたことが効果を上げている。
過去の怪獣映画のように怪獣の生態を解説する学者は登場せず、ファンタジーはファンタジーのまま変なこじつけを避けている。
但し、放射能に汚染されたインファント島で原住民が生き続けている謎は置き去りだし、調査隊のリーダーとなったネルソンが結局何者だったのかよく分からないままだったりする。
水爆実験を行った無人島に原住民がいたかもしれないという設定には、第五福竜丸の事故などを揶揄しているのか、核実験への批判的目線があったことは確かだ。
成虫モスラは火を吐くわけでもなく、巨大な翼の羽ばたきによる風圧だけが武器だというのが泣かせる。(りん粉を振り撒く技はまだ開発されていない)むしろ幼虫の吐き出す糸の方が強力なのだ。
だからか、後の『モスラ対ゴジラ』でゴジラを追い詰めるのは双子の幼虫だった。
なんでしょうね?この怪獣映画の楽しさは!
私はそれほど特撮に詳しくはないのですが
なんかどう言う訳か怪獣映画が好きなんですね。
出来の悪い作品でも苦笑しながら観てしまうし
平成ガメラシリーズの様に出来の良い作品には唸ってしまう。
理屈抜きで楽しい!
これからも続いて欲しいジャンル映画ですわ。(笑)
どうも、ロリシカですね。
インファント島で原住民が生き残っていたのは漂着乗組員も飲んだ赤いジュースのおかげでしょう。イスカンダルに行かなくても放射線の害から逃れられる。当時も今も日本人の願いですね。
あの洞窟の謎解きをする尺が有れば上原謙博士の出番も増えたと思われます。