もう頬づえはつかないのレビュー・感想・評価
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もう男には
ほぼ5点、
おそらく30年ぶりに再見、
リアルタイムではないが高校時代のATGもしくは東陽一は観ないわけにはいかない存在だった
「サード」にこの「もう頰づえはつかない」も素晴らしい
この時代の桃井かおり(無論今もだが)は誰にも表現できない存在と演技をしてた
話し方、服の着こなし、歩き方、目つき、、、、、、
どの作品を観ても桃井かおりに惹きつけられる
撮影当時20代後半、まり子は女子大生だが彼女の不安定(男がいないと生きていけないと思われてきた世の中、時代)から奥田瑛二と森本レオの行き当たりばったりな時間の過ごし方に翻弄される(あの20歳をすぎた頃のどうしていいかどうにもならない時間と気持ちはとても理解できる、この3人の時間として)
まり子は何を思いどういうことを決断するのか、その微妙で曖昧で本人すらわからない気持ちの揺れ方を桃井かおりが表現している、彼女が放つ台詞よりもその表情や視線、少しだけ下に下げた顎の位置、
東陽一監督はその動きを台詞じゃなく表現している
どうしたらいいかわからないまり子が自分の部屋の蛍光灯の薄暗い光の中でまんじりともせず横たわるシーンはまり子の気持ちを私たちはじっと見てどうにもならない時間と気持ちを共有する
私の青春時代
1979年の風と共に去りぬ
早稲田大学の女子学生の物語
1979年の青春
桃井かおりの演技は圧倒的で伝説になったのも当然
主体性を持たず、身勝手な二人の男に流されていくだけだった女性が、物語の最後は確固とした人格を持つ女性に成長しています
風にそよぐカーテンを後にアパートの部屋を去っていく彼女の爽やかな表情はそのテーマが雄弁に表現されている素晴らしい演出でした
正に風と共に去りぬです
かすみ草を買って、退去するアパートの部屋に飾る
白いかすみ草の花言葉は、清らかな心、幸福、感謝
あなたは心の清らかな人だった、幸せになってね、感謝してます
東陽一監督の演出力は確かです
前作のサードでは団塊世代の喪失感を、その下の世代を使って表現していましたが、本作ではそうな回りくどいことはなく、素直な原作の映画化であったと思います
むしろ今度は団塊世代の役者を使って、下の世代の青春を演じさせています
前作のサードで下の世代をダシにつかった埋め合わせなのでしょうか?
いや政治運動に明け暮れた団塊世代からの、このような青春でありたかったとの素直な憧れ
そのように見えました
21世紀の青春と1979年の青春
違いがないのかもしれません
アパートがワンルームのマンションに変わっただけのようにも思えます
でも決定的に違うのはコミュニケーションの濃密さです
何をするにも電話して、直接合わなければ、始まらないのです
それも今すぐ会う、それ程の濃密な関係なのです
どうかすると21世紀の青春はSNSで終わってしまう時代
ましてコロナ禍で合うこともままならない
電話で話すこともない
始まる前に既読スルーで終わっているのかも知れません
21世紀の若者は1979年の青春を憧れるのでしょうか?
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