劇場公開日 1965年7月24日

「全5作をかけてようやくたどり着いた結論は重く深いものでした」宮本武蔵 巌流島の決斗 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5全5作をかけてようやくたどり着いた結論は重く深いものでした

2020年1月5日
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鑑賞方法:VOD

第5作シリーズ完結編です

2作目以降ダレてきて3作目でもういいかという気分でしたが、前作の第4作で持ち直して結構面白かったので、なんとか最終作まで辿り着けました
そんな本作ですが予想以上に面白い!

そうして全五作観通してみて、この宮本武蔵シリーズは傑作であった、日本映画オールタイムベストの一角を占めて当然の作品であったと断言できます

当時の東映は時代劇の衰退に伴い任侠映画にシフトしていく時期にあたり、社内の製作反対、シリーズ打ち切りの意見を、後に東映社長となる岡田茂京都撮影所長が押し切って低予算で製作にこぎつけたものといいます

岡田は本作前年の1964年に京都撮影所長に就任して、大リストラを断行した人物です
さらに京都撮影所で撮影する映画の年間製作本数を大幅に減らし、その製作内容も時代劇から任侠映画中心に転換させて、時代劇映画の製作を止めるという方針を打ち出した人物です

その彼が社内の、それも上映館や経営数値に直結する営業の反対を押し切ってまでして、本作を製作させシリーズを完結させたのですから、その意味を汲まねばなりません

内田吐夢監督、中村錦之助はじめ、時代劇製作スタッフ陣への熱意を大事にしたものだと思います
第一、宮本武蔵みたいな看板作品を未完にしたら後生まで東映の沽券に関わります

その決断たるや、大したものです

果たして製作スタッフ陣も出演者陣も意気に感じたかそれに応えております
低予算といえど全く貧乏臭さを感じさない、むしろ片岡千恵蔵の出演もあり豪華さすら感じる作品に仕上がっています

前作ラストシーンで提示された、剣の道と、人間を高める為の道の矛盾は、本作冒頭で武蔵手彫りの観音菩薩像と、それを安置した背後の阿修羅像の対比という形でズバリと映像でみせてきます

佐々木小次郎もまた、武蔵と同じく剣の道をまっしぐらに突き進んでいる人間です
しかし、彼にはその矛盾はないのです

本作ラストシーンで宮本武蔵は剣の道と人の道の両立について、遂に結論を得ます
それは何の為に剣の道を究めようとしたのか?
それは人間を高める為では無かったのかです
人の道が優越すると言うことだったのです

つまり、佐々木小次郎とは軍国主義の大日本帝国を象徴しており、宮本武蔵とは戦後の日本のあるべき姿を探し求める我々であったのです
そして武蔵は勝った

本シリーズのテーマは、宮本武蔵をして60年安保闘争世代への鎮魂歌であると思っていました
しかし、この完結編をもって戦争に負けた日本への鎮魂歌でもあるのだという更にスケールの大きなテーマを掲げていたのだいうことに気付かされました

我々は軍国主義日本に代わる戦後日本の歩むべき道を宮本武蔵のように探求してこそ勝ったと言えるのです

剣の道を究めて、極めれば極める程の、この空虚感はなんだ
そのラストシーンでの武蔵のモノローグです

軍国主義を究めて、世界の列強に互してきた大日本帝国は虚しく瓦解したのです
何の為に軍国主義を究めてしまったのか?
それは日本の発展を願ってのことではなかったのか?
国土や国民の平和を守る為ではなかったのか?
60年安保闘争で日米安保に反対した若者達も、戦後日本の発展と平和を願ってのことではなかったのか

剣の道と人の道
軍国主義でもなく、空想的平和主義でもなく、つまり防衛と平和の両立こそ目指すべき道だということなのです

宮本武蔵のシリーズ全5作で語ろうとした真のテーマとメッセージとはこれなのだと思います

お通、又八、朱美、お婆々の因縁も大団円を迎えました

巌流島の決闘自体は呆気なさすぎかもしれません

それでも全5作をかけてようやくたどり着いた結論は重く深いものでした

さて、本作では前作で退場となった、というか忘れ去られた城太郎少年に代わって、伊織少年が登場し新たに弟子となります
城太郎少年と年格好も似ているので少し混乱します
城太郎少年は父と再会できたと信じたいものです

あき240