劇場公開日 1964年1月1日

「【”非道の剣。されど、我、事に於いて後悔せず!”今作は、最後半の吉岡一門との1対73の戦いの凄さと、戦いの前の武蔵の心情を鋭く突いた吉野太夫との遣り取りが秀逸な逸品である。】」宮本武蔵 一乗寺の決斗 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0【”非道の剣。されど、我、事に於いて後悔せず!”今作は、最後半の吉岡一門との1対73の戦いの凄さと、戦いの前の武蔵の心情を鋭く突いた吉野太夫との遣り取りが秀逸な逸品である。】

2025年6月3日
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ー 京都に縁がある方であれば、詩仙堂や曼殊院などを詣でた際に、白川通りに降りる途中で、「宮本吉岡決闘之地」と書かれた石碑と、脇に立つ数代目かの松が立つ三差路に立った方も多いであろう。今では、閑静な京都の高級住宅街になっているが、少し山側に道を辿れば、今作で描かれた吉岡一門との闘いの場の、残り香を感じるのである。-

■宮本武蔵は清十郎の弟・伝七郎(平幹二朗)から仇敵とされ、吉岡一門から追われる身に。ある日、武蔵は伝七郎から三十三間堂での亥の刻での果たし状を突きつけられる。だが、武蔵は、本阿弥光悦に誘われて、遊郭に行った際に中途で抜け出し、この立ち合いで清十郎と同じく、伝七郎をも秒殺するのである。
 そして、面目を失った吉岡を率いる壬生源左衛門(山形勲)は、未だ子供の息子源次郎を名目人とし、一条寺下がり松での決闘を申し入れる。
 武蔵は、下がり松の上部から吉岡一門の配置を紙に書きつけるが、相手の数が73と知り、決死の思いで敵の“大将“目掛けて、二刀流で駆け降りて行くのである。

◆感想<Caution!内容に触れています。>

・第三作に続いて、今作も中盤までは風雅である。特に、本阿弥光悦に誘われて、遊郭に行った武蔵がこっそり抜け出し、雪の三十三間堂で伝七郎を秒殺した後に、再び遊郭に戻ったシーン。吉野太夫(岩崎加根子)が琵琶を聴かせた後に、本阿弥光悦が吉岡一門が遊郭の周りにいる事を知り、武蔵を吉野太夫に一夜任せて去るシーンでの、武蔵に対し吉野太夫が”琵琶の細やかな音色に気付かない”武蔵に対し、厳しい言葉を掛けるシーンは秀逸である。
 あれは、剣の道を究めつつある武蔵が、”人としての気持ちが無くなっている。”事を、吉野太夫が見事に見抜いたシーンなのである。
 最初は、食って掛かる武蔵が、最後、頭をガックリと垂れる姿は印象的である。

・そんな、武蔵の前に今作でもお通はストーカーの如く、突然、武蔵の前に現れるのだが、彼女は病の中、武蔵に想いを告げ、弱気になっていた武蔵も初めて、お通に対する想いを告げるのである。

■そして、日が昇る前の一条寺下がり松。数名の配下を木の上で弓矢を構えさせ、数多くの配下をあちこちに忍ばせる壬生源左衛門。
 怖さで震える息子源次郎に”案じるな”と言っているが、武蔵は、敵の“大将“である源次郎目掛けて駆け降り、木の上で弓矢を構えていた二名を小刀を投げて斃し、他の者には目もくれずに壬生源左衛門が庇う子供の息子源次郎を、源左衛門と共に“許せ!”と叫びながら背後から刺し殺し、泥でぬかるむ田の中を、追いすがる吉岡一門を斬って捨てながら、又、吉岡一門を破門された林吉次郎(河原崎長一郎)が、武蔵の非道の剣を目の当たりにし追うが、彼も目を武蔵に斬られるのである。
 そして、その全てを高見の見物で見ている、全てを差配した佐々木小次郎なのであった。

・武蔵は、比叡山の無動寺で吉岡一門の為に仏像を彫っている。多分、源次郎に対してであろう。だが、そこに比叡山の僧兵たちがやって来て、武蔵の非道を激しい言葉で詰り、比叡山を去れ!と告げるのである。それに対し、武蔵は”幼き子を名目人にした吉岡一門こそが非道であろう。名目人と言えば、大将であろう!”と返すのであるが、どこか空しげなのである。

<今作は、最後半の吉岡一門との1対73の戦いの凄さと、戦いの前の武蔵の心情を鋭く突いた吉野太夫との遣り取りが秀逸な逸品なのである。>

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