「60年安保闘争世代の鎮魂歌」宮本武蔵(1961) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
60年安保闘争世代の鎮魂歌
60年安保闘争の翌年の1961年公開ということに着目して観るべきだ
60年安保闘争世代の鎮魂歌として、当時の若者達の胸に響くようにとの意図で製作されていると強く感じる
本作は5部作の1作目として製作されている
原作は文庫本にして8巻もの分量のある大長編で、忠臣蔵並みの超人気小説なのだから5部構成で企画されても納得はできるのだが、それでも、それほどの長さが本当に必要だったのか?
一体何故5部まで膨らむのか?という疑問がまず浮かぶ
その疑問の答えは、結局のところ監督の内田吐夢と脚本の鈴木尚之が撮りたかったのはこの第一部だけだったのではないかということだ
本作を単体の映画として撮りたい
となると、この長大な物語を序盤にあたる部分だけで一本の映画にしてしまえば、構成のバランス上全5部となってしまう
それでも仕方ない
メインの剣豪としての物語は、ハッキリいってついだ、それぐらいの気持ちだったのではないだろうか
そもそもこの第一作の本作では剣豪の時代劇であるにも関わらず一切の殺陣がないのだ
国論を二分した60年安保闘争が敗北したことを天下分け目の関ヶ原の合戦に見立てて、宮本武蔵を学生運動崩れの若者になぞらえてある
沢庵和尚に諭される言葉の数々は、宮本武蔵に向けているようで、実は観客席の若者達に向けられているのだ
天下分け目の戦いに敗れ戦のない世の中になった
そのことにうちしがれたり、むやみやたらに暴れたりしてそんなことで世の中が変わるものか、千年杉のように微動だにせぬわ!
村民から敵視されるのには、武蔵自身の内面に問題があるのだ
頑健な身体と優秀なる血筋を誇れども、それを活かすことを知らず、辺り構わず暴れまわるだけならば、ただの獣とかわりはしないのだ
今は和漢の書を読み力を蓄える時だ
どんなに良い血筋でも磨かなければ腐って獣の血になってしまう
それが本作のメッセージだったのだと思う
それを言う為だけにこの5部構想がぶち上げられたのだと思う
そのメッセージが当時の若者達の胸を打ったのだと思う
浪速千恵子や、特に三國連太郎の演技はみものだ
中村錦之助の若い迸るエネルギーは過剰なほど
しかし本作だけでは映画としての物語性もカタルシスもたいしてない
当時の若者が、くすぶり続ける情熱をどう鎮めたらよいのかと挫折感を胸にかかえていたからこそ本作の意義や価値というものが胸に届いたのでは無かろうか
21世紀に生きる私達が、そのような背景を知らずして見ても、果たして感動を得られるのかは疑問だ
60年安保闘争の世代はこのような建設的に挫折を止揚する鎮魂歌の映画があった
一方、70年安保闘争世代はどうか?
このような未来に向けた建設的な鎮魂の映画はあったのだろうか?
残念なことに思い当たらないのだ
傷を舐め合うようなものしか見当たらないのだ