「「子宮の記憶」」水のないプール Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
「子宮の記憶」
「子宮が覚えている」。ある漫画に登場したフレーズ。女はたとえ意識が無い中でレイプされても、その事実を子宮が覚えている、というのだ。本作を観てこのフレーズを思い出した。
窓の隙間からクロロホルムを室内に注入し、深夜女性宅に忍び込んで暴行を働く主人公。この全編無表情な主人公を演じる内田裕也がとても不気味だ。家庭もあり、駅員としての仕事もある普通の男が、あることをきっかけに犯罪に目覚めていく。しかし、一連のこの行為が何故か性的なエロさを感じさせない。女性を犯し、裸体の写真を撮るという変質的な行為が、この男の場合、単純な性欲からきているのではないからだ。意識の無い裸の女性たちを、整えられた食卓に着かせ、華やかな晩餐風景を作り出す様は、子供の人形遊びのようだ。遊び相手のいない子供が、1人でする“ごっご遊び”。これは誰からも注目されない平凡な男が築く王国ごっこなのだ。
本作には主要な女性が4人登場する。まず、主人公に頻繁に犯される被害者女性。彼女こそ「子宮の記憶」の持ち主。朝目覚めるといつのまにか全裸で寝ている。やがては知らない間に、朝食の用意がしてあったり、食器の片づけや洗濯がしてある。確実に侵入者がいることを分かっていながら、いつしかその誰とは分からない男を待つ女。彼女の子宮が男を捉える。それは快楽だけではい、どこかに男の“愛”を感じたに違いないのだ。
複雑な心理状態を見せる被害者女性と反して、男の妻のなんと単純で無邪気なことか。彼女は口やかましい典型的な“おかあちゃん”だ。夫が夜な夜な犯罪に身をやつしているなど思いもしない。犯罪どころか浮気すらできないと思っている。素直に正直に生きて来た彼女が、夫の犯罪を知った時にどれほどのショックを受けるかと思うと、少し心が痛んだ。
さて、主人公がこのような犯罪を行うきっかけとなった女性の存在理由が私にはいまひとつ解らない。不良に暴行されそうになっている彼女を助けた主人公は、彼女から信頼され家へ上り込む。暑い夏の夜、窓を開けたまま眠る彼女を盗み見て、部屋へ侵入できることを発見する。最初男は、単に部屋へ侵入するだけだった。彼女の寝顔を見るだけで、彼女を犯すことはしなかった。何故か?彼女に純愛のような気持ちを抱いていたからか?それならば何故、1~2度彼女の部屋へ侵入するだけで終わるのか?イエジー・スコリモフスキ監督の『アンナと過ごした4日間』のように執拗に侵入し、彼女の寝顔を見たり、身の回りの物に触ったり(体には触れずに)といった描写が何故なかったのか(後半は全く出番が無い)?むしろ何度もその体を犯し、その後に家事をしてやっていた「子宮の女」の方に愛情があったのではないか?この女性が単に一連の事件のきっかけを作っただけの存在だとしたら、人気絶頂のアイドルであるMIE(ピンクレディー解散直後の)を起用する必要があっただろうか?
最後にMIE演じる女性のルームメイトである謎の女の存在がある。彼女こそ実は本作で一番のキー・ポイントだと思っている。何故なら彼女が男を「水のないプール」に誘うからだ。彼女と会ったことで男の中の“何か”が目覚めたのだ。男の行為がエスカレートする度に描写される水のないプールのシーン、そこには必ずこの女の存在がある。まるで男を悪夢の世界へ誘う夢先案内人であるかのように・・・。
「水のないプール」は何を暗示しているのか?水のないプール→役にたたないもの→無意味な存在→現実では生きられない男。彼を夢の王国に導いた女は、天使か悪魔か?プールサイドでシャボン玉を吹く女、水のないプールの底に寝そべる男。舌を出す不敵な男のアップを最後に物語は終わる。この深遠なラストシーンにショックを受けると共に、妙に胸がざわついた。