「勧善懲悪の外側で動く「マルサ」と人々の物語。」マルサの女2 すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
勧善懲悪の外側で動く「マルサ」と人々の物語。
⚪︎作品全体
地域に巣食う脱税者と、それに対峙するマルサの女。一作目ではそうした「スタンダードな物語」を軸に、登場人物を等身大で描いた娯楽作品だった。
そして二作目となる本作。マルサの仕事はすでに見せ切った状態であるから、序盤からより深く、フルスロットルで作品の魅力を放ち続けていた。
一作目でもそうだったが、「記号化されない物語、人物描写」がより洗練されていた。
物語で言えば、シンプルな勧善懲悪としないところに作品世界の奥行きを感じる。単純な娯楽映画にしてしまえば、鬼沢から芋蔓式に国会議員まで引きづり出して悪を一掃してしまえばいい。しかしそうはせず、「とかげのしっぽ」の後ろにある諸悪の根源が、のうのうと地鎮祭に出席する姿で物語を終わらせている。
小さなコミュニティであれば悪を断ち切ることができるものの、国に根付いた悪はそう一筋縄ではいかない。一作目ではマルサの仕事の「うまくいきすぎてる感」が否めなかったが、核心に近づいているようで一進一退が終盤まで続いている。安易に読める展開へと持っていかない…記号化されない作り手の矜持を感じた。
さらに言えば鬼沢が語る悪行の真意も、綺麗になった街を歓迎し続ける今の日本を見ると、とても的を得ていて、「意思ある悪役」として存在感があった。
人物描写で言えば、一番印象的だったのは東大出身の新キャラクター・三島だ。
三島は登場する前から、マルサの中で「東大卒の若手」「いずれ上司になるようなキャリア官僚」という記号が貼り付けられる。そうした記号が貼られた人物はえてして「世間知らず」「嫌味っぽいインテリ」「ノンキャリを下に見る」なんて人物描写をされがちだが、本作では登場して早々に板倉が「僕の学校」という記号を剥ぎ取ってみせる。そうすることで三島が上述したような記号から自由になり、ときに正義を重んじ、時に板倉の行動を柔軟に解釈するような魅力あふれる人物として描かれていた。
出番の少ない人物もちょっとしたアクションにクセを仕込んでいたりして、本筋に関係ないのだけど、そこがまた良い味を出してる。最初に板倉が宗教本部へ潜入した時の猫田の段差の折り方、ホラー作品を撮っているという友人がいる猫田配下のヤクザ、DVされた主婦を装って再び板倉が潜入した時の咥えタバコの老婆、終盤に取り調べ室で板倉と一緒に窓の外を見る鬼沢…何気ない芝居だが、そこに脇役という記号だけではない魂が宿っているような気がして、それが「マルサの女」という作風を築いていると感じた。
寄り道があり、毒気がある。そして記号に縛られない人間が生きている。
「勧善懲悪」という一直線じゃない物語だからこそ、『マルサの女2』はただの娯楽じゃなく、遠回りの中で輝いていた。
⚪︎カメラワークとか
・面白いカメラ位置が多い。最初に三島へ状況を説明するカットの回り込み。事情聴取する時のシーリングファンなめの俯瞰ショットとその画面分割。ヤクザが死ぬ時の主観風カット。
・終盤の鬼崎への事情聴取シーン、他のシーンと違って白めのライティングがカッコよかった。この作品だと他のシーンって汚さが優先されるから暗めのライティングなんだけど、ここだけは「最終決戦」みたいな潔い明るさがあった。そしてその中で鬼沢を睨む板倉のかっこよさ。
⚪︎その他
・ほんとに、最初に三島が出てきた時は「また足引っ張る系嫌味インテリキャラか」とガッカリしたんだけど、その後の柔軟な行動力と少しのユーモアの塩梅が素晴らしかった。
・ところどころ出てくる昔の公文書特有のB5サイズ茶色複写式用紙でニヤリ。でも文書の保管方法はあんまり変わってない…
・子供というモチーフが単純に「弱み」としてないのが面白い。序盤は作中のセリフで言う「泣きどころ」でしかないんだけど、あれだけ子供を出汁に脅していたヤクザの死を子供が見下ろす構図にしていたりした。あとは鬼沢の生きる活力として存在していたり。
・一番好きなキャラクターは主婦に変装して潜入した時の咥えタバコの老婆だなあ。咥えタバコをしながら明朗にしゃべる人物なんてアニメでしか見たことなかった。ちゃんと喋るたびにタバコも動いてることに感動。
・板倉個人の部分に踏み込めなかったのは、仕方がないにせよ少し残念。家庭人・板倉とかもう少し見てみたかった。