「走りに取り憑かれた女」幻の湖 odeonzaさんの映画レビュー(感想・評価)
走りに取り憑かれた女
東宝50周年記念作品と銘打ったにもかかわらず興行成績が振るわず僅か1週間で打ち切りとなったいわくつきの映画である。
浅井長政に嫁いだお市の方、雄琴ソープランドの道子(源氏名お市)、数奇な運命をたどる両者を篠笛を吹く謎の男が狂言回しのように現れて悲恋の琵琶湖伝説を語り重ねてゆく。白無垢を着て琵琶湖に処刑されたお市の方の奥女中おみつは道子の愛犬の白と暗示される。
白はある日、琵琶湖を訪れていた心無い観光客に惨殺されてしまう、犯人(人気作曲家)を突き止め復讐に赴くが殺しても白は戻ってこないとのかっての湯女仲間の忠告もあり思いとどまったかに思えたがこともあろうに客として店に現れたのだった。琵琶湖伝説の薄幸の女性まで冒涜する男に道子の怒りが爆発する、それは愛犬白の仇討というより琵琶湖に沈んだ女の霊がさせているかの様であった。映画の冒頭から意味もなく道子が走り続けるシーンが続く、終盤では犯人もまた健脚、競技さながらの追走シーンに繋がる伏線にしてはくどすぎる、無類の競輪愛好家であった橋本監督が走りに執着かとも思うが、道子をソープ嬢に設定した構想から考えるとランナーの息絶え絶えの苦悶の表情は交わりの代替描写なのだろう。若くして高名を背負った故にあるがままを描けなかった巨匠の心の葛藤にも重なって見えるのは考え過ぎだろうか・・。
昨今ではネットでご禁制の映像が観放題、文芸的な耽美主義も真っ青だが情緒や風情まで欲張る嗜好家の妄想はつきないだろう。
復讐相手が作曲家というと「砂の器」もと思うが偶然か、美の創出者の裏に潜む黒い影、暗示的ではある。ラストの宇宙描写は特撮が売りの東宝50周年への忖度なのか、あきらかに蛇足と思う。
作家性が強い映画なので万人受けしなかったのは致し方ないだろう。