「高沢順子の稀有な存在感と古い家の恐ろしさ」本陣殺人事件 jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
高沢順子の稀有な存在感と古い家の恐ろしさ
道具も100年経つと「付喪神」となり、霊魂が宿ったりするそうです。では家ならどうか。たしかに古い家にはどこか人の正気を失わせるような雰囲気を感じることがあります。その家の柱や天井には、繰り返されてきた悲喜劇の涙やため息が滲み込んでおり、中にいるとなにか家から見られているような気配を感じることも…。
本作の舞台はかつて本陣宿を務めた地方の名家。若き当主賢蔵と新婦克子との結婚披露宴が始まります。克子の父がかつてこの家の小作人から成り上がった者であることを理由に親戚たちはこの結婚に反対している様子。もう冒頭から不穏な空気満載です。そんな新婚初夜に、さっそく賢蔵と克子の惨殺死体が発見されます。
この殺人事件の動機は「処女信仰」とも言うべき、不自然かつ陳腐なものです。「白豚…」って、じゃあ最初から結婚するなよ!とツッコミたくなります。この表層の動機のバカバカしさ、学者のくせにやることは愚か極まりないという賢蔵のキャラの捻じれがこの作品の肝であり、なにかしら深層の動機を考えたくなります。
賢蔵とその弟の常軌を逸したような行動は、まるで「家」に操られているように見えてしまいます。ふたりともすっかり正気を失って見えます。この「家」は、もしかしたら外の世界を持ち込まれるのが嫌なのでは…。外の世界で活躍する賢蔵も外の世界の楽しさを知っている克子も、この「家」は受け入れないのでは…。この事件の真犯人が実は「家」であるとしたら、水車や琴糸などを使った機械仕掛けのトリックも、賢蔵のアイディアというより「家」の意思によるものに見えてきます。この虚実の被膜、オカルトと現実の淡い境界を描くことが横溝正史作品の真骨頂です。そこはさすがATG、高林陽一監督の抑制の効いた演出が冴えています。オープニング映像から冒頭の結婚式の場面まで、緊張感のある独特の映像と音使いで引き込まれます。ゴトン…ゴトン…ゴトン…という水車小屋から聞こえる「家」の鼓動のような低い音が耳にこびりついています。催眠効果がありそうな音です。明示を避ける寸止め演出が本作をいろんな解釈が可能な名作にしています。
知的障害があるらしく、「家」から出ることができない定めを背負わされた賢蔵の妹、鈴子。この家の従属物のような存在の彼女の癒やしは猫と花と琴。でもなぜ猫は突然死んだのか。彼女は無垢なのか、それとも「家」との共犯関係なのか。彼女は愚鈍なのかするどいのか。彼女の死因はなんなのか。もしかしたら彼女も「家」から出ようとしたので死んだのでは。色んなことを考えさせられます。いずれにしろ彼女は死んで初めて「家」から出ることができました。
この両面性を持つ鈴子という難しい役どころを見事に演じた高沢順子、稀有な存在感を発揮しています。独特の台詞回しと時々見せるこの世のものとは思えない表情。彼女が画面に映るだけで異化効果満点、目が離せなくなります。彼女が喋ると一気に空気を攫っていきます。出演作は多くありませんが、日本の70年代という空気感を体現した女性の一人ではないでしょうか。
1976年の「犬神家の一族(角川&東宝、市川崑監督、石坂浩二)」、1977年の「八つ墓村(松竹、野村芳太郎監督、渥美清)」に先立つ1975年に公開され、これから続々と製作される横溝映画の嚆矢を飾った本作(ATG、高林陽一監督、中尾彬)は横溝映画の最高傑作の一つと言えます。