「不思議の国の広末涼子」鉄道員(ぽっぽや) BDさんの映画レビュー(感想・評価)
不思議の国の広末涼子
言わずと知れた作品、ではありますが、こないだ泣きに行こうと再鑑賞したので笑 レビューを。
原作は浅田次郎の40ページ前後の短編。世界観としては、昔の「世にも奇妙な物語」の感動パート、あるいは藤子不二雄のSF(少し不思議)短編と言ったところでしょうか。当然直木賞作品ですから、小説においては文体含めてそれを流麗に伝えるのですが、映画とするには短すぎる作品でした。そのため、かなりの割合をモノローグが占めており、構成としては冗長感もあります。途中は飛ばしてもいいくらい笑。
しかしその中で、目線、台詞、所作の一つ一つで、積み重ねた年月の重さを嫌がおうにでも感じさせる高倉健。語られ尽くされていますが、これでもう泣いてしまう笑 この映画は6割が高倉健。2割は北海道の美麗な風景。1割は小林稔侍。と言ったところでしょう。
さて、残りの1割である、広末涼子についてここでは話します。私は広末涼子の2個下の世代。同世代の方はわかると思いますが、学校に行けばみんなが広末、広末、広末。体感しないと分からない感覚ですが、んまぁとにかくすごかった。時代と一体化している人独特の、再現性のない輝きを持っていた人でした。
今ではさまざまな役を経験して、役者さんとしてのキャリアを確立させていますよね。ところがこの頃は、売れたら売れるがまま、アイドルやって歌やってドラマも出て…
特にドラマの中ではアイドル売れした人独特の「しんどみ」みたいなものがあったのも事実だと思います。人物設定が薄い、「ひたすら広末っぽい人」みたいな役ばっかり与えられてて現実味がなかった部分も大きいと思いますが。まぁ、アイドルだからね〜、と、当時10代なのにジジイみたいな達観を抱いていました笑。
その、現実味のない広末涼子。
いいんですよね、この映画においては。
山奥の小さな駅の、たった一人の駅員かつ駅長の、孤独の象徴のような古ぼけた駅舎に突然現れ、なぜか優しくしてくれる少女。透き通った笑顔の裏にどこか陰を感じさせ、何か秘密を抱えていそうな謎めいた少女。台詞と台詞の間の表現も、どこか儚く、消えてしまいそうなニュアンスを孕んでいます(実際消えるのですが)。
出番としては10分もあったかどうか、なのですが、物語のクライマックスで強烈な光を放ち、あっけなく消えていきます。この眩さがあるからこそ、消えてしまった後の高倉健の喪失感が際立つ。そして一気にエンディング。この一瞬の締めくくりの鮮やかさが、「寂寞」というこの映画の醍醐味を作っています。
失礼ながら、少し演技が上手い、そこそこの役者さんのキャスティングでは、こうは行かなかったと思うんです。まさしく広末のキャスティングあってこそ生み出したダイナミズム。
当時の広末涼子自身の非現実的な輝きを、現実には起こり得ないファンタジー映画とクロスオーバーさせて、見事に真空パックしてしまった。これがこの映画の、ある種他に真似できないところだと思うんです。
考えてみれば、雪子だって人格形成の前に亡くなってしまった、全くもって透明な存在なわけですよね。皮肉抜きにですが、細かい人格描写の文脈やお作法がある人にはこの役は務まらなかったかも知れません。
今では本当に若手の演技派女優さんも増えましたし、見る側の私としても目が肥えてきている部分もあると思いますが、それでもこれを見るたびに、なんか広末普通にいいなぁ、と素直に感じますね。それはこうした一回性によるものなのかも、と思いました。