火垂るの墓(1988)のレビュー・感想・評価
全111件中、41~60件目を表示
これ見ると戦争良くないよねって思えます
戦争が起こると経済効果とか技術の発展などメリットあるなとか、ゲーム上だと戦略とかめっちゃ面白かったりしますが。
これを観るたびに、人が死ぬこと、日常が奪われること、何より子どもたちが犠牲になることを考えさせられます。
戒めとして時々見なきゃと思う映画です。
何度も観たいと思わない秀作
まずは、戦争に巻き込まれ亡くなられた方々に追悼の意を表します。
私は本作を鑑賞してから、もう四半世紀以上は経っています。
近年終戦記念のこの時期、必ず訪れる戦争映画の放映。
一度も見返したことはありません。
余りに無慈悲な現実感と戦争。
余りに純粋で無力な孤児。
至極の名作ですが、あまりにも、痛々しい。
私は多分、二度と鑑賞することは無いかもしれませんが、皆さんには必ず一度は鑑賞してほしいと思う秀作です。
人間の心を壊す戦争。
もし自分がその場にいたら、この兄弟を助けられたのだろうかと、身の回りや自分の事で精一杯で、手を差し伸べた自信が持てない、戦争と醜悪な現実感があまりに激しく心に焼き付けられた作品でした。
始めて鑑賞する方には、思いっきり泣いて、争いの悲惨さを心に刻み込み、優しい思いやりを持つキッカケを掴んでほしいと思う、個人的映画史上、最高の秀作の一つです。
この日が来ると思いだす。
居づらくなった親戚のうちを離れ、最初は楽しいままごとのような、兄妹二人だけの生活。ドロップをおいしそうになめる妹の笑顔。でも母の死を知って「なんで蛍すぐ死んでしまうん?」と涙をためて哀しげにつぶやく妹の声。そんないくつかの映像が、この日を迎えると、フラッシュバックのように思い出されて、目頭が熱くなってきます。
目頭が熱くなる理由は何なのでしょうか?
それは多分、監督自身が否定しているように「反戦の誓い」を新たにする故などではなく、はたまた原作者が忌み嫌った「かわいそうな戦争の犠牲者の物語」故でもなく、終戦という独特の雰囲気の中、両親を失ったある若くて未熟な二人の、蛍の光のようにはかない、いのちとこころの営みを写し取ったところに胸をうつ故なのかもしれません。
「葉末の一つ一つに、蛍の群がっていた、せせらぎをおおいつくす草むらの姿が、奇蹟の如く、えがかれている。ぼくの舌ったらずな説明を、描き手、監督の想像力が正しく補って、ただ呆然とするばかりであった。」(パンフレットの原作者野坂昭如氏による寄稿文より)
逡巡しながらも、原作者自身が二ヶ月あまり過ごした場所に監督やスタッフを案内し、その後作られたラフスケッチを見たあとの感想を綴った美しい文章ですが、何度かあった実写化の企画の後で、映画化に同意をする決意をした瞬間でもあったようです。
監督も原作者ももうこの世にはいませんが、作品は生き続け、毎年この日を迎えます。
天国で兄は妹にまた会えたでしょうか?私には、螢に囲まれてにこやかに笑っている二人の姿が見える気がします。
甘い、ツマラン、回りくどい。
かわいい節子、大人になれなかった節子
終盤のシーン、あれは防空壕だったろうか、節子が穴蔵の家の周りで遊んでいる回想シーンを見て泣いてしまった。
戦争さえなければ節子も普通に育って普通の大人の女性として生活していたのだろう。あの終盤に出てきた女の子達のように。
男の子達に住んでいる穴蔵をからかわれてまるで化け物扱いされているのを見た時心が痛んだ。居候先の叔母さんも人間の醜い部分を突き出されているようで、人間って何なんだろうって本当に考えてしまった。
最後、清太と節子が丘から現代の街並みを眺めているシーンはなんとも言えなく複雑な気持ちになり、月並みだが戦争を絶対に忘れてはいけないというメッセージだったのかなと思う。
西宮のおばちゃんへの思い
何十年ぶりにみた作品
昔にみたのは何歳だったかな?あまり覚えてないけど、西宮のおばちゃんへの憎さとやるせなくて悲しくて泣いた記憶は残ってる
年を経て、清太と同じような年齢の子供とともに鑑賞した。
せっちゃんとせいたくんは何歳なんだろう?と調べてみると4歳と14歳。
その年で二人暮らしを選択したん?
仕事もないのに?
一時的なお金しかないのに?
配給も隣組に入ってないとダメだったらご飯もなくなるよね?
無謀さを感じる
西宮のおばちゃんだって、言い方はきついけど、することもなくゴロゴロしてる清太さんにはモヤっとしそう
色々手伝ったりできることはあるだろう?と思うけど、預かってて、普段あまり付き合いがなくて、一時的だったらあまり言わないかもな
出ていく時の表情も、もしかしたら2人が誰かを頼らずに暮らすことも頭をよぎったけど、そんなはずないし、辛くなったら大人を頼るだろうと思ったのではないか、と思う
結局、やるせない気持ちでいっぱいになった。
14歳が4歳の子を抱えて生活するなんて難しいこと、戦後で他人に差し伸べるような手がないこと、清太さんみたいな、せっちゃんみたいな子が何人もいただろう
観る年齢が変わると西宮のおばちゃんへの憎さはあまりなかった。
観るべき作品
今日(2025/07/19)観ました。
過去に何度観たかも覚えていませんが、この作品は、時代に応じ、自分の価値観や現代社会の変化を考えながら観る映画、だと思います。
幼い妹と、少し年上の兄が、親戚の家での暮らしに息苦しさを感じ、使われていない防空壕で暮らし始める話です。
火垂るの墓は、ただただ悲しい話ではなく、時折楽しい場面や、ユーモアを感じさせる場面もあります。だからこそより一層悲しい場面が突き刺さります。
何より辛い場面は映画冒頭、ついさっき普通に会話した母が、空襲の被害に遭い、学校で無惨な姿で手当てをされていた場面。
そして、妹にそれを話さず、母に会えず静かに泣く妹を、少しでも楽しませようと鉄棒を始める兄の姿に、涙を抑えられませんでした。
学校に行かず、家の手伝いもしない兄妹に、悪態を吐く叔母の気持ちも分かります。同時に年端もいかない兄妹の気持ちも、今回理解できました。以前観た時には抱かなかった感情です。
ままごとの様な壕で生活、野菜泥棒、火事場(空襲)泥棒など、戦争がなければ間違いなく疎まれた行為の数々も、彼らにはやらざるを得ませんでした。何より火事場泥棒の際、少年は沢山の戦利品を得んと、嬉々として空襲のど真ん中へ走って行く場面は、とても悲しかったです。戦火に見舞われていなければ、中学生の少年はそんな感情は抱かないでしょう。
栄養失調からどんどん衰弱し、目の光を失ってゆく妹の姿は、アニメとはいえあまりにも辛く、直視に耐えません。
妹の死後、兄は妹を火葬。そのまま壕を出てそれきりです。
本作を観て、戦争は絶対に何があっても起こしてはいけないということは、一貫して抱く感情です。
一方で、兄妹で湯船に浸かる、茂みで用を足す、裸で海水浴などのシーンがあるので、外国の方や、若年層の方はギョッとするかも知れません。ここは国と国、時代のギャップとして解釈するしかなかろうと思います。
本作を「観たい」と思って観る人は少ないと思います。
しかし、国内外問わず薄れゆく第二次世界大戦の記憶は、本作の様なリアルな作品から後世に繋がってゆくと確信しています。
観たくない、でも観なくてはならない名作です。
何度見た事か
因縁の火垂るの墓
子どもの頃、火垂るの墓が上映された。
母は子どもが見ても大丈夫そうな内容か心配になって、先に1人で鑑賞したらしい。そのくらい、アニメへの想いの強い人だった。結果、同時上映のとなりのととろだけを子どもに見せることを選択した。
このお話を聞いて以来、火垂るの墓を観ることは自分にとって特別な意味を持っていた。今回、初めて鑑賞した。
栄養を失っていく様子、栄養のないものを与え続ける清太、栄養がないものを欲してなくてもその甘いコーティングに舌が喜んでしまう節子、ドロップの缶の音にすら喜びが出てくる様はあまりにも辛かった。
空襲中に火事場泥棒をする清太、お腹が膨らんでたぬきみたいになった清太、あんまりにも醜かった。(たぬき映画「平成たぬき合戦ぽんぽこ」、あらためて見直したいと思った。)
清太はずうっと、胸に軍人の父親を入れていた。まさしく、父親のように父親がしてくれたように、節子に振る舞ったんだろう。甘味のあるものだけでなく、清太と節子が成長できたのは、母親の仕事だったんだろうなぁ。節子はお墓を作って、ほたると母親を弔えるくらいな強さがある。女性の強さ。
いつの時代にも響くものとして、栄養というキーワードが今回の鑑賞で一番感じいった。
それにしても、高畑監督、やっぱりすごい。
初めて観た時、ラストシーンに愕然とした、背筋が凍った。
”反戦を訴えるなら、戦争を起こす前に何をすべきかが問題だ”
4月29日は「昭和の日」。昭和の時代を振り返る意味を込めて、スタジオジブリの高畑勲監督による映画「火垂るの墓」を鑑賞しました。会場は丸の内TOEIで開催中の『昭和100年映画祭 あの感動をもう一度』。今回で5本目の鑑賞となります。
本作は、言わずと知れた野坂昭如氏の原作小説をアニメ映画化したもの。冒頭で14歳の主人公・清太(声:辰巳努)が駅構内で亡くなるシーンが提示され、そこに至るまでの経緯が描かれる構成になっています。
物語の舞台は昭和20年4月の神戸。日本はすでに敗色濃厚な状況にありましたが、清太は依然として日本の勝利を信じ、海軍軍人である父を誇りに思う、ごく普通の少年として登場します。ところが、神戸が大空襲に見舞われ、家は焼け、母親も戦災により命を落としてしまいます。清太は4歳の妹・節子とともに遠縁の親戚の家に身を寄せるものの、そこの叔母と折り合いが悪くなり、2人で家を出て池のほとりの防空壕に移り住むことになります。
しかし、手元の食料もお金も底をつき、やがて節子は栄養失調により息を引き取ります。
まさに涙なくしては観られない物語でしたが、正直なところ、私は涙を流すことができませんでした。鑑賞後に思い返すに、あまりに過酷な”現実”を目の当たりにしたショックで、涙を流すという自然な反応すら身体が忘れてしまっていたのかもしれません。
その後、感情の整理の一助としてWikipediaの該当項目を読んでみたところ、高畑監督の次のような言葉が印象的でした。
「反戦アニメなどでは全くない。そのようなメッセージは一切含まれていない」
「本作は決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた」
なるほど、この視点こそが、本作に他の反戦映画とは一線を画すリアリティを与えているのだと、改めて納得しました。たしかに、清太は多くの悲劇の当事者であるにもかかわらず、彼の言動からはストレートな「反戦メッセージ」は感じられません。特に、玉音放送を聞いておらず敗戦を知らなかった彼が、後にその事実を知った際に受け入れきれない様子には、反戦よりも、時代の中で取り残された個人としての孤独が強く浮かび上がります。
また、次のような高畑監督の言葉も心に残りました。
「この映画では戦争は止められない。映画で反戦を訴えるのであれば、“戦争を起こす前に何をすべきか”と観客に行動を促すことが必要だ」
たしかに、戦争が始まってしまってからでは、手遅れなのです。
以上、映画を観た感想に加え、多少の余談も含めてしまいましたが、世界情勢が日ごとに不穏さを増している現代においてこそ、本作は語り継がれるべき意義ある作品だと、改めて実感しました。
それにしても、「火垂るの墓」が「となりのトトロ」との2本立てで公開されていたというのは、日本映画史に残る“天国と地獄”のような同時上映ですね。
そんな訳で、本作の評価は★4.6とします。
戦争孤児の末路
最後まで見れなかった人もなぜそう感じたか考えてほしい映画。さっき母が、平和な時代なら周りの大人は手を差し伸べられるけど、戦争の時はその当たり前の行動ができない、と言ったのを聞いて初めて観点が変わった。現代の日本人は避難所でも綺麗に並ぶって言うけど、それは順番を待っていても必ず手に入ると思っているからで。結果的に兄妹を追い出したおばさんも、殴りすぎたおじさんも、盗んだ清太も、誰も悪いわけではない。生きるために犯さなくていい罪を犯してしまう。昔だからこうなった、今はこうならない、なんて思えない。戦争はだめです 13.11.19
自分の妹を燃やすための炭とか入れもの集めて、自分で妹それに入れて、自分で火つけて、たった1人で見送って、お骨拾って。つらいなあ。戦争の出来事が残虐だといってなんでもかんでも規制されるのは本当にわけわからん。過保護な世界になったなあ。15.8.14
なんで、蛍すぐ死んでしまうん⁉️
この作品は1988年公開‼️同じ年に今作と「となりのトトロ」という、映画史に残るアニメーション二作を世に送り出したジブリはホントにスゴい‼️戦争中に両親を失った14歳の兄と4歳の妹の過酷な運命を描いているわけなんですが、この妹の節子ちゃんがホントに愛しい‼️白いご飯をおいしそうに食べたり、お風呂や海で無邪気にはしゃいだりする‼️そんな節子ちゃんが汚れ弱っていく姿を容赦なく描く残酷なリアリズムに心痛めたかと思うと、闇夜を美しく照らすホタルの光が人の命の尊さを象徴してるみたいで、まるでファンタジーのようでもある‼️ホントに名作なんですけど、観ていてツラすぎる感情が湧いてしまうのも確かで、どちらかと言うと私は「トトロ」派ですね‼️
心に残る(トラウマ)
今でも記憶に強烈に残り、決して忘れられないトラウマになった映画です。
それは、戦争体験者が語る、「二度と思い出したくない」という思いに近いものかもしれません。映画なのに、心の深い場所にトラウマを残す。傑作には違いないのですが、おすすめはしません。
アメリカのどこかの小学校で、『プライベート・ライアン』を見せる罰と言うものがあると聞きましたが、それは戦争を軽んじるような言動をしたり、元軍人をリスペクトしないことに対する不敬罪に当たるようです。
確かに、子供にはきつい罰でしょうが、いい映画なのでいつかは見せたい一本です。かたや、『火垂るの墓』はと言えば…
これが戦争。と、如実に語る作品で、理屈抜きに、戦争は最大の災厄だと思い知らされます。子供には『キャプテン・アメリカ』を見せときゃいい、っていう時代は、いつまで続くのでしょうか。
全ては守るため
幼い頃観た時はトラウマ級に怖くて、誰かが戦争に巻き込まれるなど絶対にあってはならないことだと強く心に刷り込まれた。
子供にも物心つくかつかないかから戦争について話してきてはいるが、戦争体験者の方のお話を伺う機会の前に、家族からではなく戦争を客観的に描いたアニメから見せてみることにした。
トトロのさつき同様に、14歳という大人に甘えて良い年齢なはずの清太が母の死を抱え、4歳の妹が子供らしく生きられる環境のために必死になる。
元々は父親が海軍で、社会的立場に伴う暮らしをできていた家族が、空襲がきっかけで母と家を失い、一気に社会から疎外された存在としてなんとか命を繋ぐ日々になる。
焼け出されたら頼ることになっていた西宮のおばさんの家も、軍事のためにお勤めと学校に行く夫と娘を配給で賄うことに必死で、育ち盛りの14歳男子とまだまだ幼く手がかかる4歳女児を満たす余裕はない。
焼け出された家の庭に避難前に埋めておいた、亡き母の漬けた梅干しや干しにしん、着物など、清太は母との想い出や母の喪失もこもった心境で差し出すが、元々一般家庭のおばさんからすると、「あるところにはあるのね」と物資の足しとしてしか見られない。
それでも、母の着物で替えた白米は清太のものとして大部分を分けてくれたりと、精一杯してくれてはいるのだが、夫と娘には具入りの味噌汁、清太と節子には具なしの汁のみと、食卓でもあからさまに変化をつけてくる。
居場所を提供してくれるだけでも、充分ありがたいのだが、飢えた清太は大人と子供の中間で、おばさんに甘え続ける心苦しさもあることから、清太と節子での生活の自立を試みる。
大人からすると、生きてこそだから命のためになんとかおばさんのところで辛抱するのが節子の命を守る結果に繋がるとわかるのだが、14歳の清太の甘えたくない甘えられないと思ってしまった境遇も心境もよくわかる。そして節子も、空襲さえなければ途中まではゆとりのある暮らしだったことが発言の端々からわかり、そこもおばさんの心を逆撫でしてしまう。
堤防の横穴に母の遺した7,000円を少しずつ切り崩し生活用品を集めて2人暮らしを始める兄妹。電灯がなくホタルで照らし、カエルも食べ物に見えてくる。中学入学式の時に母が着ていた着物を替えて得たお米が底をつくと、周りの畑から農作物を盗んだり、空襲時に空き巣に入り足しにする生業に手を染めていく清太。
東京の知り合いの住所がわかればよいものの、わからず、西宮のおばさんを離れては、もう頼る大人がいないのだ。
戦争孤児はたくさん生じていたと思うが、戦時中のみんなが横穴暮らしのようなひもじい中でも最も原始的な生活をしていたわけでは決してない。
作中通りかかる子供達も、同じ地域の戦争経験者なわけだが、清太と節子が留守中の横穴を見てかける言葉から見てとれるように、身寄りがなく他人しかいない世界で子供達だけで暮らすことになってしまったせいで、節子の衰弱はすすみ、清太も命を落とした。
亡き節子の亡骸を燃やすために大量の炭を買い込み運ぶ清太が通りかかる横で、横穴を見下ろせる高台に聳え立つ大きな家に、疎開からおしゃれをして豊かなおうちのお嬢さん達が帰ってきて蓄音機を回す。
聞こえてくる音楽を耳に、いぐさの箱に詰めた節子に火を放ち、燃えていく節子の横で寝そべり空を見つめる清太。
母を失いそれを節子には悟られないよう1人抱え込んでいたが、その努力虚しく西宮のおばさんは幼い節子に母は亡くなったと吹き込んでいた。その上で毎晩母求めて泣く節子をどうにかしろと清太に心ない言葉がけをしていた。知るとなお、西宮のおばさんのところに身を置かずに、優しい空間で節子を守りたかった清太の気持ちはよくわかる。
横穴で回想される節子の、戦時中でも子供らしく動き回る幼児らしい仕草がより一層、清太の決断が正解でも不正解でもあったことを物語る。
食べ物がなくなって、母の遺した貯金7,000円のうち、4,000円を既に使った状態で3,000円を下ろしてきた段階で、清太と節子の命のカウントダウンは始まってしまっているのだが、でも、じゃあ氷屋さんの削りかすをすすったあの時、氷を買った立派なおうちに衰弱した節子と駆け込んでいたらどうにかなったのか?
一時的に凌げても他人にずっとは甘えられない。
病院に連れていくも滋養としか言われなかったが、何か手立てはあったのか?
清太も、大人が守ってくれなければ成り立たない子供である理不尽さに戻ってくる。
自分だけなら隣町で学校に行けば良いが、隣町に戻って配給は得られても住居がない。
節子のお世話は誰がする?
清太は温かく育っているから尚更、西宮のおばさんの元で節子を任せようとは思えないだろう。
堂々巡りに陥る。
節子に滋養をつけるために節子を待たせるしかなく、食材を買い込んできても火を通すためには節子を待たせるしかなく、待たされた節子に残された命はもう僅かだった。あと1日早ければなんとかなったのか?
食べれる体力があるうちに、文句を言わず、わずかでも食べられる暮らしに感謝して食べておけばもしかしたら守れた命なのかもしれない。
2人とも、終戦の8月15日段階では生きていた。
米軍の直接的な攻撃で命を落としたわけではない。
にも関わらず、栄養失調と、母も妹も父も亡くし、頼れる大人もおらず、心の拠り所もなく、生きる意味や気力を無くして、未来ある子供が命を落とした。
劇的な死因がないことがより残酷な戦争のしわ寄せという仕打ちである。
清太の経験した、悲しみ、悔しさ、みじめさ全て、三宮で清太の遺体から駅員が抜き取って投げた、節子の亡骸を詰めたドロップ缶ひとつで片付けられてしまう。
作中ざかざかと溜まりゆくホタルの残骸のように、戦争で兵士だけでなく民間人にも火が垂れ降り、名前があり人生を確かに生きていた人間がざかざかと虫けらのように一瞬で亡くなっていった。亡くなったらもう、清太の母、節子、清太のように、虫けら同様ただの気味の悪いゴミ扱い。
火垂るの墓はそのような、ホタルの墓のように、虫けらやゴミのように片付けられてしまった幾多の命を辿り弔う作品だ。
そのやるせなさが苦しいにも関わらず、大人になって観ると思ってしまう。もしもあのまま生き抜けていたとしても、戦後変わりゆく日本の中で、清太は社会的に除け者のような疎外感を感じながら、ただ命だけある惨めな生活に苛まれていただろうということ。もし自分ならと考えれば、悔しくも、亡き家族のもとに召されて良かったのかもしれないと考えてしまう。
作品にもそんな自分にも、久々に観たら、全身の寒気がずっと止まらない。
現実の酷さ惨さ虚しさを幼い節子には悟らせまいと頑張った清太は、途中や結果や最期がどうであろうと、立派だ。
心が痛む
視聴率って大事?戦後79年経っても大衆迎合するんですか?
過去数回鑑賞
夏がくれば思い出す不朽の名作
アニメで名作が数多くあれど映画.comオールタイムベストがここまでしっくりくる作品を他にあげることはできない
実写映画の存在は知っているがテレビドラマや舞台の存在は知らなかった
松嶋菜々子主演のテレビドラマはきっと忘れていたのだろう
完全にアナザーストーリーだし
観てみたい気もする
舞台は終戦間近から直後の兵庫県神戸市&西宮市
父も母も妹も主人公も死んでしまい家族全滅
上半身がミイラのようになってしまった母と栄養失調で死にそうな節子
投げつけられたドロップ缶の中から出てきた節子の遺骨
それが強烈に印象に残る
昭和20年9月21日夜ぼくは死んだ
冒頭ここから始まる
リアルを追求する高畑だがリアルを超えたリアルなら死者の立場からの回想に辿り着くのか
僕は毎回ここでいきなり涙が溢れてしまう
散歩のあとに餌を与えようとすると大量な涎を垂らす飼い犬のように
まさしく条件反射まさしくパブロフの犬
ラピュタに比べると金曜ロードショーで放送されなくなって久しい
人間とはポジティブなものよりネガティブななものにすぐ食いつくが飽きるのも早いようだ
権利の問題もあるのだろうがそんなものは話し合いで乗り越えられるし毎年8月後半頃にETVで放送すればいいのにな
日本国から億単位の多額の補助金を貰っておきながら尖閣諸島を中共の領土だと海外に宣伝するくらいなら容易に出来るだろう
この作品は動画配信もされていない
来月からNetflixで配信されるらしいがアメリカ限定で日本は対象外
残念である
DVDを借りるか買う他ない状況
清太は我慢するべきだった
我慢していれば清太も節子も死なずにすんだという意見がいつからか覚えてないがネットで目立ち始めた
大元はなにかと言えば清太の声を担当した辰巳努の発言のようだ
彼を批判する気はないが僕は考えが違う
清太は軍人の息子だし自尊心を傷つけられることが何よりも耐えられなかったのだろう
自尊心が低い人には清太の心情は理解できないのかもしれない
そんなわけで清太のあの行動について批判する気にはなれない
誇り高い少年が野菜泥棒とは辻褄が合わないじゃないかとクレームがありそうだが人間とは矛盾に満ち不合理な存在なのだ
この年になってみると西宮のおばさんの立場も理解はできる
あの頃の自分ではない
この作品に対し「戦争の悲惨さがー」とか「戦争反対」とかそういうありふれた感想を述べる彼方系のレビュアーには抵抗がある
原作者の野坂昭如はどちらかというとそっちの方のようだが
僕としては過酷な環境に置かれた人間がどのように生きてどのように死んだのかという人間ドラマを描いたのだろうと初見からそう捉えていた
どうやら高畑監督も実際そんな感じらしい
そういえば手塚治虫も自作についてそのような発言をしていた気がする
高畑監督曰くやがて西宮のおばさんが正しく清太が悪いという意見が大勢になると
またしても全体主義の恐ろしい世の中になると予想した
ヤフコメだけみてとっても実際にそうなりつつある
今更ながら高畑勲はただ単にアニメ監督としてだけでなく人間的にも素晴らしい人だったんだな感銘する次第だ
声の配役
兄の清太に辰巳努
妹の節子に白石綾乃
心臓が弱く薬を飲んでいる清太と節子の母に志乃原良子
西宮の親戚の叔母さんに山口朱美
全111件中、41~60件目を表示