ベルサイユのばら(1979)のレビュー・感想・評価
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本当のベルサイユ宮殿で撮影
主演のC・マッコールさん、当時番宣や資生堂のCMでよく見た方。当時はもっと凛々しいオスカルをイメージしていたので、女性らしい体つきのこの人を好きになれなかったが、今見返すと相当な美人で適役ではあった。そしてアンドレも華がなくて物足りない気がしたが、それなりに男前な方をキャスティングされていたのがわかる。他のキャスト、特に王妃、フェルゼンには大満足。
でも、公開当時、えー!と自腹で見たわけでもないのに(親と)しょんぼりして帰ったのを思い出す。ラストである。革命前夜、お互いに愛を確かめ合い、さあ、悲劇の革命当日。
「アンドレー?」
えー疑問形で終わるんかい!涙の別れはどうした!カタルシス不全の無念w。
1979年公開当時の推定制作費が10億。実際の宮殿でのロケ、豪華な衣装。大量のエキストラと壮大な革命シーンを撮ったのにもったいない!この原作マンガは大人向けの童話みたいなものだと私は思うのだが、そういうようなコンセプトを日本の制作側がドゥミ監督と共有できていなかったような気がしてならない。
という訳でラストの残念感さえ除けば、観る価値は多いにあると思う。
ジャック・ドゥミ作品ではネタ的な駄作と呼ばれているが、嫌いになれない
(2020年10月のレビューから2024年9月に追記あり)
テレビアニメも全話見て原作も読んだくらい好きな作品なので、どうしてこうなったのか自分なりに考えてみた。
[製作背景と経緯の推測]
原作を元に宝塚で舞台化がされて大当たりをしたのが、70年代後半で、その後に映画化とテレビアニメ化の企画は同時期に行われていたのだろうと思う。
映画とテレビアニメにはキティフィルムの名?迷?プロデューサーの山本又一朗と日本テレビが関わっていたが、映画の方が、製作の兼ね合い面なども、含めて山本又一朗とスポンサーの資生堂の意向が強く反映されていたのだろう。
当時の日本は経済的に繁栄していたとはいえ、71年の第一次オイルショックから立ち直り始めた頃なので、当然バブルの時代ほど金が有った訳でも無いが、フランス経済の方が落ち込んでいたはずなので、フランス映画界が割と喰いつき易かったと推測される。
個人的な事ですが、ジャック・ドゥミ作品の多くは、近年の再上映やソフト化で、拝見していて、中でも『ロシュフォールの恋人たち』が図抜けてお気に入りで、マイベストな一本です。
アメリカのミュージカル黄金期を再現する題材をフランスでフランス人が制作するなどの、若干歪みがありキッチュなテイストもある作品ですが、そのスレスレなバランスが60年代の雰囲気と融合して奇跡的な傑作となったと思ってます。
その後の『ロバと王女』や『ハーメンの笛吹き』は、どちらかとゆうと、あまり乗れない作品でしたが。
73年の「モン・バリ」以来5年近く映画を撮れずにいたドゥミ監督は、パートナーのアニエス・ヴァルダと共に、焦りもありこの企画を承諾したのだが、ドゥミ監督の構想したミュージカル案を却下されたり、キャスティングなどで色々と忸怩たる思いがあったはず。
[推測]
ドゥミ監督が、バイセクシャルだったと最近知ったので、主人公オスカルが女性でありながらも男装して男として生きようとする想いや行動などに、セクシャリティの面からも感情移入出来ず、ミュージカルとして制作する構想も日本側の反対もあり挫折。
しかも映画はフランス映画では無く日本映画として製作されて言語も英語ベースで、本国での公開も怪しい事態なり、作品への興味を急速に失ったと考えるに及びます。
(2024・9月追記1)
ジャン=ピエール・ベルトナ著の『ジャック・ドゥミ 夢のるーつを探して』によるとドゥミが日本側から依頼を受けたのは1978年の3月で、日本での映画の公開を翌年の3月に計画しているので、12月中にプリントを完成と納品させないといけなかったそうです。
そこから脚本やキャスティングや美術・撮影をしなければいけないので、スケジュール的には無茶苦茶だったらしい。(普通の映画は、中規模以上なら企画から完成まで2~3年は必要)
更に作品のスケールに対して時間も予算も厳しいのと、資生堂側の意向によってドゥミが検討していたスターキャスティングではなく新人を探すハメになり、しかもその年の主なフランスの撮影スタジオは、超大作でもあった007シリーズの『ムーンレイカー』の撮影に占領されて使えない状態だったらしくセット関連も難儀した。
売りの一つだったベルサイユ宮廷ロケも制約が厳しくて例えば、照明機材なども壁から1メートル以上離して使い、ライト(当時は白熱電球の照明なので熱で火災も起きやすい)などによる温度上昇があると全ての照明を消さないといけないのでまともな撮影は難しかったらしい。
[完成と疑問]
実際に恐る恐る本編を観た印象は、冒頭から20分ぐらいはそんなに悪く無いのでは?と感じたが、やはり演出や撮影に覇気がなくて音楽を担当した盟友ミシェル・ルグランのスコアもそれまでの作品と比較すると耳に残らない。
脚本もオスカルの生い立ちからアントワネットとの関係や王政問題とフランス革命までと、首飾り事件に関わるロザリーとジャンヌの話まで網羅しているが、散漫でダイジェスト感も強い。
脚本担当のパトリシア・ルイジアナ・ノップは、アメリカ人でこの数年後にアメリカ映画の『ナインハーフ』や『蘭の女』などの官能恋愛物で頭角を表す人だが何故アメリカ人?な疑問も。
原作の漫画も当時は翻訳されていないはずで、どの様なカタチで脚本を書く段階で読んだのか?など色々と不明なところが有ります。
まあ冷静に考えると原作と資本が日本で、アメリカ人とイギリス人が主軸でフランス革命の映画フランス人が作る自体こと自体が色々が問題があったと想像できる。
西洋人が真面目に時代劇を作っても、日本人から見ればどうしても奇異に見えるのだから。
撮影についても思うのだか、フランス政府の許可を得て実際のベルサイユ宮殿で撮影した場面も本物のはずだが、豪華な感じもなくて、衣装も人物も画面に馴染んでおらず安っぽく見える。
それ以外にロケ地の選択に問題があったのか?、同じ場所を、カメラの位置などの切り返しで別の場所の様に設定して撮影している場面もあり正直、仰け反る。
特にクライマックスのバスディーユ牢獄襲撃などは、暴徒役のエキストラ統制の演出も駄目で、肝心の牢獄も画面の隅に簡単な石垣と塔が半分ぐらい見えるビジュアルと美術セットでスケール感(ショボい)がなく脱力する。
ちなみ牢獄側からの切り返しショットにある街並みの家にテレビアンテナらしき物が写っているの興醒め。
ネットの情報だとロケ地は、パリから近郊のサンリス。
第一次世界大戦が舞台の名作『まぼろしの市街地』もここで撮影された様子。
そういえばあの映画もアラン・ベイツの背後の家にテレビアンテナ有ったと記憶している。設定は、1910年代なのに!?
(2024・9月追記2)
脚本担当のパトリシア・ルイジアナ・ノップは、ドゥミが、70年代前半あたりか招かれてアメリカ進出為に在米していた時に知り合った人で、1960年辺りに知り合ったパトリシアの夫でもある俳優・事業家・ショービジネス界や映画監督(ポルノではなくエロチック系映画の人らしい)として活躍していたザルマン・キングとコンビだったらしい。
追加1などの新規情報などの点で無茶苦茶なスケジュールだったのと、バスディーユ牢獄のセットも本来なら24メートルの高さを、予定していたが都合により17メートルと縮小されてしまったそうです。(トホホ😭)
それ以外にも引っかかるのは、男装の麗人オスカルの裸体描写とかも必要と思えず納得がいかないし、分かりやすくオスカルの女性を強調したのかもしれないが、胸を晒せば女ですよとは、品も芸が無い。
女優の名誉の為に付け加えるなら裸体自体は綺麗ではありますが。
割と良かったところは、オスカル達の生い立ちを描く前半と、オスカルと公爵が決闘する場面は、アニメでは劇的に描かれているが、あっさりと勝負が着くが、その地味さがリアルで当時の決闘はこんな感じでシンプルなのかとイメージした。
オスカルとアンドレの俳優は、思いのほかイメージに合っていて、終盤撃たれて生死不明のアンドレを探しながら群衆の中を彷徨うオスカルの姿が心に残る。
[その後]
結局、「ベルサイユのばら」はフランスでは、公開されずに、イギリスでひっそりと公開されたとのことだか・・
この作品の後に、ジャック・ドゥミ監督は、1955年の港町ナントが舞台で労働闘争を背景にした悲恋を描くミュージカル『都会のひと部屋』1982年フランスで製作するが、こちらは日本未公開。
2019年11月の池袋 新文芸坐シネマテークでの限定上映を鑑賞したのだか、かなりの良作でした。
この作品を見ると「ベルサイユのばら」の時に、駄目だった群衆や暴動シーンなども、上手く演出しており、なんだかんだと、失敗に学んでいるのは流石だと思うのと、「ベルサイユのばら」が最初の構想どうりミュージカルで製作されていたら、この作品の様なテイストで、割と良い出来になったのでは?と想像すると、ジャック・ドゥミ作品では駄作と呼ばれているが、嫌いになれない所以です。
こんな映画があったんだ
原作は日本の漫画、舞台はフランスはパリ、セリフは英語というグローバルな作品。
監督はジャック・ドゥミ、音楽はミシェル・ルグラン、ちなみに字幕は池田理代子。
作品としては凡庸かな。
セリフ英語:オスカルがとても美人
シネマアンシャンテにて。ほんとはロバと王女も見たかったけど、平日の昼間しか上映が無くて諦めました。シェルブール〜とロシュフォール〜は見てるので今回は見ないことにしました。
漫画版ベルばらに心酔した経験がある者が、2017年に見た感想です。
9巻程度のクロニクルを2時間弱にどうまとめているのかという点は、大分早足だけど及第点かなあというところ。
ナタリーとオスカル・アンドレの交流を最小限にし(だからナタリーはオスカルに恋しない)、最初からベルナールが親切な隣人としています。
また、ナタリーこそが本当に貴族の娘だったというところも消失しています。
ルイ16世の影も極限まで薄く、マリーアントワネットとフェルゼンのロマンスも段階を見せては貰えずいきなりです。
フランス革命のあらすじと、オスカルとアンドレの関係性に絞ったということなんでしょうね。
びっくりするのは、せっかくフランスで撮影してベルサイユ宮殿でもロケしたならば、ほんで監督がフランス人でしょ?なのに台詞は英語でした。
台詞はフランス語がよかったなー。
でも最初から、日本を主なターゲットとして作成された映画なんだとおもいますので(クレジットには東宝とか資生堂とかあったしプロデューサーも日本名)、英語の方が聞きやすいからかなーとかおもいました。あらすじ知ってるし、結構英語だけでわかりましたもの。
そして字幕翻訳が池田理代子ってなってました。原作者じきじきに!って所にときめくのはやはり漫画の読者ですもんね。
えー、オスカルがめっちゃ綺麗な方でした。お尻がプリッと高く、パンツ姿の美しいこと。そしてフェルゼンへの恋をあきらめる為のドレスの美しいこと。
ほんでアンドレの不憫な恋もいい感じに楽しめます。難癖つけるならば、バスティーユを襲撃する前夜の契りのシーンで、原作みたいに愛を語らって欲しかったな。
オスカルの語りですね。あそこが一番すきなので。
で、バスティーユ襲撃では2人は蜂起に巻き込まれただけって感じになっています。
そしてアンドレが流れ弾にあたって死亡、オスカルはアンドレの死は知らぬまま、アンドレを探して探し続けるというエンディングです。
当時のパリがどんな感じだったか(相当汚く貧しい)が、垣間見れて興味がひかれました。
追記:子供らの下ネタ替歌に吹きました。流石にルイ16世が可哀想になりました。
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