ブルークリスマスのレビュー・感想・評価
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“倉本聰、どうした!”
事前に、
友人からこの作品の情報を得ていたところ、
偶然にも、その5ヶ月後にTV放映があり、
不思議な縁を感じつつ録画しての鑑賞に。
この作品、監督岡本喜八+脚本倉本聰
ということも興味深い一情報だったし、
キネマ旬報ベストテンでは、
第26位と決して高い評価ではなかったが、
東宝伝統のミニチュアを使った特撮や、
国会議事堂周辺環境がドロドロに溶ける
東京のラストシーンが衝撃的だった
「世界大戦争」とは異なり、
同じ人類の危機的な状況を描いていながら、
逆に特撮技術を全く使わないSF映画という
事前情報にも興味をかき立てられた。
そして、そうそうたる豪華俳優陣の登場や、
青い血の謎を巡る推理仕立て風の展開に
前半は魅入られた。
しかし、
話が進むにつれて不満が募る鑑賞に。
岡本監督の演出としては、
米国で取り調べを受ける若者の
青過ぎる舌の稚拙な演出や、
何の説明もない天本英世演じる人物、
また、長々とした国営放送報道課長の
米国での調査描写等々、
枚挙にいとまがない位、残念な描写が続き、
また、
これは倉本脚本が理由なのかも知れないが、
ビートルズをイメージしたような
ロックバンドの登場や
事件のタイミングをクリスマスにする設定に
も安易さを感じて不満が募るばかりだった。
この作品、ナチスによるホロコーストの
フィルムが挿入されたので、
青い血の人々を弾圧する側を
ナチスとオーバーラップさせていることは
間違いないだろうが、
だからこそ分からないのが、
血液が青色化した人々が人類にとって
何が脅威なのかが語られないのでは、
理不尽ながらもまだ理由があったであろう
ナチスのユダヤ人迫害と同じ行為が、しかも
世界中で同時に行なわれるという設定は
筋立てとして破綻してはいないだろうか。
実際、青い舌の米国の若者の
「神経質なところがなくなった」
との発言と共に、
UFOの光を浴びたヒロインの口からも
「嫉妬深さや憎しみの気持ちが
嘘みたいに消えた」
との台詞が飛び出すシーンがあり、
それからするとUFOは友好の使者である
ようにも感じる。
それなのに、なぜ血の変色者を敵対視する
設定としなければならないのか。
まさか、嫉妬や憎しみの心を取り払うことの
出来た人類が武装解除し、
そこにつけ込んで宇宙人が地球に侵略する
可能性を為政者が考えた、
とでもしたいのだろうか。
仮に、ラストシーンは、
好意的な宇宙人の心を理解しない為政者に
対して、市民の赤と青と血液の融合に
希望を託したのだとしても、
全体的な整合性には疑問を感じるばかりで、
“倉本聰、どうした!”
と疑問ばかりが浮かんでしまう鑑賞
となってしまった。
予言の書?
血の色は世界を分かつのか(多様性とは?)
過去鑑賞したことはあるが、全然覚えていなかった。
未確認飛行物体に遭遇した者の血液が変性して青色になる、その者達を各国が意見の相違なく排除していく、というストーリー。ナチスのホロコーストが映像として挿入されていたが、異質な者を排除する人間の性を投影させているのだろうか。
本作では、異質な者は人間ではないとして、ある者は調査の対象となり、そしてまたある者は抹消されていった。翻って、我々の生きる現実世界はどうだろうか?異なる文化の者、異形の者に対して寛容といえるか?多様性を謳う世の中で、その分断が先鋭化してきている、そう感じているのは私だけではないだろう。
その具体的処方箋は何か?実のところ、人間が人間である限り、その解は得られないのかもしれない。皆が皆、善人となる世の中が今後も訪れることはないだろう。「それでもなお」より良い方へと向かう努力を続けないといけない。例えその努力が徒労に終わったとしても。
ドジャースのラソーダ監督(当時)なんか、真っ先に狙われますね。
SF映画ブームのさなかに特撮の本家・東宝が特撮抜きで製作した異色のSF映画。
監督は岡本喜八。喜八一家だけでなく豪華な出演陣が召集されていることからも、本作に賭けた東宝の意気込みが感じ取れる。
ストーリーは倉本聰大先生による単独オリジナルシナリオ。
プロットを単純化して説明すれば、何度もリメイクされた『ボディスナッチャー/恐怖の街』(1956)を逆の視点から捉えた内容。
反人種差別のテーマ性には共感出来るので途中までは好意的に観ていたが、最後までありきたりな展開に幻滅を禁じ得ない。
講演で突飛な主張をして狂人扱いされる科学者、ロボトミー手術や異分子の排除、権力の陰謀…と既知感のある話が散りばめられてはいるが、まとまりに乏しい。
世界各地に突如飛来したUFOからの光線を浴びた人間の血液が青くなるという設定が物語の大前提だが、UFOの目的について議論、推測される場面は一切ない。
そのため、本来は被害者ないしは被災者であるはずの青い血の人たちを危険視して一斉排除しようとする展開が強引というより無理矢理過ぎる印象。
公開当時、血の青い人間を即物的に排除する政府の動機が説明不足という批判が多かったそうだが、理解出来る評価。
物語は兵藤博士の失踪の理由を追うTV局の南と、国防庁参謀本部の沖の二人を軸に展開する。
渡米して秘密機関や兵藤の足取りを調べる南の描写が丹念なのと対称的に、沖が謀略に関わる場面が断片的なため、終盤、彼を中心にストーリーが進展することが唐突な感じ。
名優仲代達矢が南に扮したのに対し、沖役を当時若手の勝野洋が演じているのでギャップが余計に際立つ。
重要な要素であるはずの人気バンド「ヒューマノイド」の描き込みも不足気味。
映画化に当たっての倉本の条件がシナリオの改変不可。
自信過剰というより、メッセージ性さえあればいいという思い上がりがあったのでは?!
スタンダードサイズの画面も相まって、TVドラマでもよかったのではというのが率直な感想。
BS松竹東急にて視聴。
名作!その後のコロナ禍を暗示させる本作の評価はもっともっと高まっても良いですね。
新文芸坐さんにて『映画監督・岡本喜八 生誕100周年記念プロジェクト in 新文芸坐 vol.4/後期岡本喜八+α』(2024年12月2日~22日)と題した特集上映にて映画監督・評論家の樋口尚文氏のトーク付き特別上映で『ブルークリスマス』(1978)を鑑賞。
『ブルークリスマス』(1978)
倉本聰氏のオリジナルシナリオを岡本喜八監督の演出で映画化した実に豪華な作品。
発光したUFOを目撃した世界の人々が、ヘモグロビンに異常をきたし血中の鉄が銅に変化することで血液が赤からイカのように青に変化する怪事件が発生。
各国政府は青い血の人々を秘密裏に患者として隔離、隠滅。
メディアコントロールをしながら青い血に対する恐怖を煽り、クリスマスイヴの日、敢えて血液検査で見逃した青い血の人々を粛清することで民衆を制御するというストーリー。
公開当時(1978)は『未知との遭遇』(1977)『スター・ウォーズ』(1977)のSF超大作が日本で公開され、大掛かりな特殊撮影を期待した観客が多かったそうですが、まだSFの定義もあいまいな時代で、今観るとSFというよりも悲劇的な運命をたどる男女のメロドラマを軸にした良質なポリティカルサスペンス・スリラーのカテゴリーがマッチしますね。
(実際の企画は上記SF大作が公開されるずっと前の1976年らしいですね)
作品のベースには得体の知れないものに対する人間の無意識の偏見からの区別からの差別、そして迫害、最終的な抹殺が描かれており、その後のコロナ禍を暗示させる本作の評価は年々高まっていますね。UFOに搭乗する異星人も血液の色を変えるだけで人間同士が争うことを想定していたのでしょうか。
二人の青い鮮血と赤い鮮血が真っ白い雪のなかで交わるラストはビジュアル面でも映えて美しくもあり、哀しい名シーンですね。
作品としても岡本監督の職人技が光るとにかくテンポの良いカット割り、切り返しは全く緩慢さなくお見事。
キャストも勝野洋氏、竹下景子氏のフレッシュな演技も見どころですが、喜八組の常連、仲代達矢氏、高橋悦史氏、天本英世氏、岸田森氏、草野大悟氏の味のある演技、ベテラン勢の小沢栄太郎氏、大滝秀治氏、永井智雄氏、島田正吾氏は巨大な陰謀がうごめく設定に説得力を持たせてくれますね。
音楽面も秀逸。
劇中では人気ロックバンド「ヒューマノイド」が歌う「ブルークリスマス」(作詞 - 阿久悠氏、作曲 - 佐藤勝氏)ですが、実際はChar氏が歌唱する名曲。作品自体の評価も高まるなか、ぜひクリスマスのスタンダードナンバーになって欲しいものですね。
上映後の映画監督・評論家の樋口尚文氏のトークも貴重な話と資料が満載で大満足な1日でした。
東宝の本気
岡本喜八、倉本聰、木村大作、char、、、
スタッフを見れば、どれだけ本気に売りたかったかよく分かる。公開当時、私はまんまと宣伝に乗せられて映画館に足を運んだのである。
帰りに、charが歌う主題歌のシングルレコードを買ったのを覚えている。
阿久悠作詞による、『この世にたった一人が、残される時が来るとしたなら、君が残るか僕が残るか、いますぐに答えられるかい?』というこの曲は、いまだにお気に入り。
青い血
未確認飛行物体
自衛隊員(勝野洋)と美容師(竹下景子)の悲恋
久しぶりに見ることができたが、
やはり、初見のときと同様に
ラストシーン以外に見どころが少ない気がするのは
作り手側より、見る側の問題なのかもしれない。。。
※浅い感想※
竜頭蛇尾と表現するしかない
BLOOD TYPE:BLUEとタイトルの下に表記される
劇中でハレルヤのコーラスが二度程挿入される
もちろん庵野監督が本作のオマージュとしてエヴァンゲリオンに反映した元ネタだ
内容自体はエヴァには無関係
その名の通り青い血の人間がもし現れたならという物語だ
竜頭蛇尾と表現するしかない
仲代達矢がメインとなる前半は緊迫感とスピード感が溢れている
政府側の動きのシーンなどは、庵野監督がシン・ゴジラで参考にしているのがよくわかる
NYやパリのロケまであり、それもよくこなれて馴染んでいる
本作前年の1977年にNY ロケを行った人間の証明よりは格段に良い
ところが、勝野洋と竹下景子の物語となる後半は冗長に過ぎて残念なできとしかいうほか無い
何度も睡魔に襲われる
脚本の倉本聰から、改変を一切認めないと言われたそうで、岡本喜八監督が自由にやれたならこんな事にはならなかったと思われ大変に残念だ
SFか?ととわれたなら、間違いなくそうだ
思考実験を中心に於いてあるからだ
特撮の有無がSFであるかどうかは関係がない
しかしその思考実験の正体が陳腐なのだ
それは青い血の人間とは共産主義思想を持つ人間を青い血の人間という比喩にしているだけのことなのだ
そういう目で観ると後半がなぜあの様なザマなのかがよく理解できると思う
本作は1978年11月の公開
皇帝のいない八月は同年9月の公開
この二作品のテーマは良く似通っている
双子とも言って良いと思う
1978年
成田空港開港の年
これをもって新左翼の運動は殆ど終焉したと言って良いと思う
その危機感が岡本喜八監督に本作を、山本薩夫監督に皇帝のいない八月を撮らせたのでは無いだろうか?
同年6月には、スターウォーズの日本公開もあった
それに連動したSF映画を出した?
そんなことは企画を通す為の口実、方便に過ぎないと思う
ヒドイにも程がある。
SFなのにリアル
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