劇場公開日 1978年11月23日

「そこには、特撮はなくても編集の匠の技があった。」ブルークリスマス kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 そこには、特撮はなくても編集の匠の技があった。

2025年9月24日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

WOWOWの放送にて。

封切り時、私は高校1年生だった。
クラスの女子たちから感想を聞かれ、10人くらいの女子を前に、大仰に感想を語って聞かせた記憶がある。彼女たちは映画を観ていないが、勝野洋と竹下景子が東宝の “新ゴールデンコンビ“ になり得るか、という興味が強かったのだった。

特撮の東宝が、特撮なしのSF大作を一本立て興行で公開した。
画面はスタンダードサイズ(1∶1.37)
予告編はベートーベンの第九をバックに、何やら緊迫感を醸しつつもラブ・ストーリーを思わせるものだった…と、記憶している。映画館で観るまでSFだとは知らなかったのだ。
当時の高校1年生は全く意識していなかったが、倉本聰のオリジナル脚本のSFを岡本喜八が撮ったというのだから、ある意味驚きではある。撮影は木村大作。
然るに、ヒットとまではいかなかった。たぶん、私が感想を語って聞かせた彼女たちも観には行かなかっただろう…。

前半の仲代達矢のサスペンス編と、後半の勝野洋と竹下景子のラブストーリー編で構成されている。
世紀末的な雰囲気があって、フラッシュバックをサブリミナル的に挿入した大胆なモンタージュがスリラー効果を高めている。
今観ると倉本聰のストーリーよりも岡本喜八の凝った演出が光っていると感じた。

政治は、憎しみのない相手と戦わせるために相手が憎むべき存在であると世論を誘導する。
今、外国人のせいで日本人が不利益を被っているかのように世論を扇動しているのは、まさか、そういう影の勢力か。。。

UFO(ユーフォーではない。ユー・エフ・オー)が世界各地に飛来し、その光を浴びたものは身体に異変が起きる。しかしその異変は、血液が青くなる以外は健康で、性格はむしろ穏やかになる。
やがて、青い血の人々が増え始め、国連主導で各国の政府は彼らの排除に動き出す。
宇宙人など出てこない。市民を制圧する恐るべき相手は人間(政治)だった…。

ニューヨークで何者かに拉致され行方不明になった兵頭博士(岡田英次)に国営放送の記者である南(仲代達矢)がパリの街角で出会ったとき、無気力・無表情になってしまった博士の額に手術の傷跡を見つけて愕然とする。
『猿の惑星』で猿によって投獄されたチャールトン・ヘストンが、仲間の飛行士を見つけるが、その額に馬蹄形の手術後があった…という場面を思い出す。

この映画は悲劇で終わり、救いの兆しがない。
真相に近づきすぎてパリに飛ばされた南のその後も見えない。
防衛庁の制服組(つまり軍隊があって、その軍人)の沖退介を勝野洋が、沖が惚れる理容師の西田冴子を竹下景子が演じる。
沖の同僚の原田を沖雅也が演じていて、沖雅也が勝野洋に「沖」と呼びかける。
この三人とも悲惨な運命をたどる。

倉本聰の脚本を一字一句変えてはならないと条件をつけられて、岡本喜八は苦労したということだが、台詞自体は意外と少ない。
パンパンとカットが切り替わる編集で、むしろ言葉で説明するよりも分かりやすく進む。
脚本のト書き部分をどう描くかだが、岡本喜八のこの演出でなかったら尺はもっと長くなっただろう。

これを名作だとは私は言い切れないが、SFというよりも現代にも教訓となり得る恐怖映画として、稀有な作品であると言えるだろう。

kazz
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