ブルークリスマスのレビュー・感想・評価
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血の色は世界を分かつのか(多様性とは?)
過去鑑賞したことはあるが、全然覚えていなかった。
未確認飛行物体に遭遇した者の血液が変性して青色になる、その者達を各国が意見の相違なく排除していく、というストーリー。ナチスのホロコーストが映像として挿入されていたが、異質な者を排除する人間の性を投影させているのだろうか。
本作では、異質な者は人間ではないとして、ある者は調査の対象となり、そしてまたある者は抹消されていった。翻って、我々の生きる現実世界はどうだろうか?異なる文化の者、異形の者に対して寛容といえるか?多様性を謳う世の中で、その分断が先鋭化してきている、そう感じているのは私だけではないだろう。
その具体的処方箋は何か?実のところ、人間が人間である限り、その解は得られないのかもしれない。皆が皆、善人となる世の中が今後も訪れることはないだろう。「それでもなお」より良い方へと向かう努力を続けないといけない。例えその努力が徒労に終わったとしても。
ドジャースのラソーダ監督(当時)なんか、真っ先に狙われますね。
SF映画ブームのさなかに特撮の本家・東宝が特撮抜きで製作した異色のSF映画。
監督は岡本喜八。喜八一家だけでなく豪華な出演陣が召集されていることからも、本作に賭けた東宝の意気込みが感じ取れる。
ストーリーは倉本聰大先生による単独オリジナルシナリオ。
プロットを単純化して説明すれば、何度もリメイクされた『ボディスナッチャー/恐怖の街』(1956)を逆の視点から捉えた内容。
反人種差別のテーマ性には共感出来るので途中までは好意的に観ていたが、最後までありきたりな展開に幻滅を禁じ得ない。
講演で突飛な主張をして狂人扱いされる科学者、ロボトミー手術や異分子の排除、権力の陰謀…と既知感のある話が散りばめられてはいるが、まとまりに乏しい。
世界各地に突如飛来したUFOからの光線を浴びた人間の血液が青くなるという設定が物語の大前提だが、UFOの目的について議論、推測される場面は一切ない。
そのため、本来は被害者ないしは被災者であるはずの青い血の人たちを危険視して一斉排除しようとする展開が強引というより無理矢理過ぎる印象。
公開当時、血の青い人間を即物的に排除する政府の動機が説明不足という批判が多かったそうだが、理解出来る評価。
物語は兵藤博士の失踪の理由を追うTV局の南と、国防庁参謀本部の沖の二人を軸に展開する。
渡米して秘密機関や兵藤の足取りを調べる南の描写が丹念なのと対称的に、沖が謀略に関わる場面が断片的なため、終盤、彼を中心にストーリーが進展することが唐突な感じ。
名優仲代達矢が南に扮したのに対し、沖役を当時若手の勝野洋が演じているのでギャップが余計に際立つ。
重要な要素であるはずの人気バンド「ヒューマノイド」の描き込みも不足気味。
映画化に当たっての倉本の条件がシナリオの改変不可。
自信過剰というより、メッセージ性さえあればいいという思い上がりがあったのでは?!
スタンダードサイズの画面も相まって、TVドラマでもよかったのではというのが率直な感想。
BS松竹東急にて視聴。
テレビドラマ脚本の巨匠、倉本聰と岡本喜八監督が組んだスピーディーな展開と役者のアンサンブルが見どころのポリティカルSF
本作は1978年末に公開された本作は、UFOブーム(空飛ぶ円盤と飛来する宇宙人)だった70年代の中頃に倉本聰が原案を考えで映画化されたSFに分類される作品で、1977年の映画界では、いわるゆる『スターウォーズ』や『未知との遭遇』などが、アメリカで公開されて(ただし日本公開はどちらも1978年)大ヒットしたのがキッカケのSFブームで、日本でもそれに便乗した作品が『惑星大戦争』(1977年12月)『宇宙からのメッセージ』(1978年4月)などが急遽便乗で制作されていた頃
ネタバレあり
物語は大きく二部構成になっており冒頭に登場する自衛官の勝野洋のパートは後半にクローズアップされる2部と失踪事件を調べる仲代達也の記者が、謎の青い血を流す人間達の不気味な全容に辿り着くまでのスピーディーさとミステリアスなタッチの1部に分かれている。
東宝お得意の特撮を極力使わない方向で、UFOなどのネタを扱いモノを見せない事でリアルな描写をしており、役者のアンサンブルや見どころのポリティカルSF としてはなかなかの出来だが、SFブーム前の75年から企画されていたSF映画としてみると、いかにも日本的な情緒と描写があり、ルーカスやスピルバーグが描く作品と並ぶとやや野暮な面も見える。
野暮ったい面だと前半の仲代パートは、スリリングな側面もあるが、ニューヨークで謎の組織?に拉致されそうなる場面などは、かなり微妙な場面でそれまでの街頭での聞き込みや情報収集するドキュメンタリー的な部分と比べると場所やカメラ割と平坦で、アメリカ側の役者(日本映画によくある偽外国人感満載)にもあまり覇気が感じられないのは残念。
これも野暮ですが、何日もアメリカにいる描写があるのにずっと同じ服をきているのは、いかにも短いロケ期間で撮りましたな印象を受ける。(濃いめのブルーのジャケットとスラックスで街を闊歩するスラっとした仲代はカッコいいけどね)
2部になる勝野洋と竹下景子のパートは、男女の情感をメインに展開して1部とやや趣きが、変わり何となくイメージする倉本聰の劇を思わせる。
クラッシック音楽の使い方やラブホで都はるみがかかっていたり、破瓜の血を描写するのとかの感覚はかなり凄いが、熱心な倉本聰作品視聴者ではなかった自分でも漠然としたイメージの倉本脚本作品の臭いを感じる。
ただ、勝野・竹下の恋愛を含めた情感があまり見えず、どこか硬い演技の役者劇に思えるので、二人の悲劇的な最後もあまり迫ってこない。(ちなみに当時三船プロに所属していた二人は、社長の三船敏郎と懇意だった岡本喜八との関係で出演が決まったらしい)
役者陣だとやはり岡本喜八作品の常連でもある天本英世の出番はわずかだが天本と一緒のカットで存在感を出しまくる岸田森が凄い(そういえば、青い血はイカと同じと解説されるけど、天本英世の代表作的な役に仮面ライダーの死神博士があるけどアレの正体が怪人イカデビルなのはもしかして繋がりが!(妄想です笑)
終盤に青い血の人間を狩る場面は、音楽や描写も含めて岡本喜八作品から多大な影響を受けた海外でも人気のあるアニメ監督の庵野秀明が、自作で再現しているのは有名で、若いアニメファンの岡本喜八作品に興味を、持ってもらう効果も産んでいて、今一つ海外での知名度が弱い岡本監督の再発見や再評価に繋がる事を期待したい。
ただ、庵野作品を見ていると岡本喜八作品(倉本作品にも)に見られる戦争やそれに加担した権力者側への痛烈な批判や反骨精神は受け継がれておらず、常に体制派に寄った作品が多いのは気になる。
余談
岡本喜八監督とSFの取り合わせも珍しい印象ですが、SFアニメ映画の『科学忍者隊ガッチャマン』(1978年)の制作総指揮があるけど、タツノコプロの鳥海永行監督の希望で監修した作品で、そのギャラ300万円を受け取って直ぐに高級オーディオ一式を購入して高い果たして後の税金の支払いが大変だったと岡本監督の奥さんが言っていた。(ちなみ岡本喜八監督の奥さんは『ブルークリスマス』にノンクレジットですが仲代達也の奥さん役でちょっと出演してます)
岡本喜八監督とSFの取り合わせについては、もう一つ逸話があり、岡本喜八映画の常連俳優の佐藤允氏の息子さんで、映画監督や岡本喜八作品にも役者として出演している佐藤闘介氏が以前にSNSで呟かれていたか、岡本喜八監督の家に遊びに行った時に監督が、映画の企画書を作成していてその中にアニメ映画化された菊地秀行原作の人気SF伝奇作品の『吸血鬼ハンターD』(1985)の実写版の企画があったと証言しており、事実原作者にも東宝から金田賢一主演で実写化の打診があったと後書きに記されている。
(ちなみに金田賢一は名投手として活躍して後にロッテ監督などで有名な金田 正一の息子です)
岡本喜八監督特集のトークショーで、喜八プロダクション代表者の前田氏に『吸血鬼ハンターD』の企画について質問した事が、その企画については存じないと回答をもらったが、様々なジャンルの企画やオファーが存命中にあったとのこと
結局『吸血鬼ハンターD』の実写映画は作られ無かったが、後に東宝で人気アイドルだった少年隊主演のSF映画『19ナインティーン』(1987)が公開されたが、ストーリーが近未来1998年日本に、未来から来たタイムパトロールが吸血鬼と対決する話しで、大まかな設定などを推測するとおそらく『吸血鬼ハンターD』の企画を原作や原案にならない様にいじって作られた作品だと思う。
ちなみに監督は山下賢章氏でこの人は、何本か岡本喜八の助監督をしていた人で岡本家にも出入りしていたはず。(ちなみに岡本喜八の家には、ひっきり無しに岡本組の映画関係者が出入りしていたそうです。)
『19ナインティーン』自体はアイドル映画としても作品としても標準的な出来で、印象に薄いがウキペにある情報で、フランスと中国にロケをしたと記載されているが、映画を見たなら分かるけど明らかな間違いで全て日本ロケで完結している。
007シリーズのオファーについて
日本が舞台になった大作『007は二度死ぬ』(1966年)が企画された時に、カンヌ映画祭に参加していた東宝の藤本真澄は、007のプロデューサーで知られるアルバート・ブロッコリーと会談して日本ロケ部分の撮影ができる日本人監督を紹介して欲しいと提案されて岡本喜八監督にオファーが来たが、断ってしまった経緯がある。
007シリーズの様な作品を撮りたいと思っていた岡本喜八監督ではあるが、雇われの共同監督で海外の大作作品だと恐らくいろいろなしがらみもあり自分でコントロール出来ないと判断したのだろう。(しかも数年拘束される可能性もあるので自分の作品を手掛けた方がいいのも分かる)
ここからは『ブルークリスマス』元宣伝スタッフ)の富山省吾さん(現在の日本映画大学理事)の解説で知った事ですが、アメリカとフランスのパリで隠し撮りメインのロケしていて、現地スタッフ以外は最小限の人数で撮影していたそうですが、フランスロケの時に八千草薫さんの旦那で岡本喜八監督の師匠でもある谷口千吉監督が通訳も兼ねて同行すると言い張り岡本が、難色(下手すると演出にも口だしされる可能性があるので良く分かるな)を示したが、強引に同行したそうです。ちなみに谷口監督の通訳は全く駄目だったそうです。(語学堪能はロケに同行する為のホラだった様子)
予算の面もあると思うけど、海外ロケの場面は明らかに16ミリフィルムで撮影しているので、劇場のスクリーンで日本の場面と比較するとかなり画質に差があるのは少しノイズなる印象だが、全体の撮影は流石の木村大作氏なのでレベルは高水準だと思う。
余談ですが当時の宣伝ポスター(勝野洋と竹下景子ツーショットアップのやつ)の真ん中にある黒いシルエット処理されている男女で、ライフル銃を持っている人物(奥側)は「マツケンサンバ」の振付け師で、有名な真島茂樹氏だそうです(当時は日劇のダンサーだった)
倉本聰は75年頃から本作の原案脚本を立てて、それにフジテレビの嶋田新一プロデューサーがのって、監督を岡本喜八に依頼した経緯があるが、台詞の変更を良しとしない倉本の姿勢があり、本読みなどには参加していない形で制作は進み、倉本聰脚本をイジらずに撮影した当初は2時間半以上あったのを刈り込んで、現在のカタチになったそうです。
映画全体はスピーディーさと役者のアンサブル演出は、ヘビーな陰謀劇で重い面もあるが見事で面白い作品で一見の価値はあると思う。
名作!その後のコロナ禍を暗示させる本作の評価はもっともっと高まっても良いですね。
新文芸坐さんにて『映画監督・岡本喜八 生誕100周年記念プロジェクト in 新文芸坐 vol.4/後期岡本喜八+α』(2024年12月2日~22日)と題した特集上映にて映画監督・評論家の樋口尚文氏のトーク付き特別上映で『ブルークリスマス』(1978)を鑑賞。
『ブルークリスマス』(1978)
倉本聰氏のオリジナルシナリオを岡本喜八監督の演出で映画化した実に豪華な作品。
発光したUFOを目撃した世界の人々が、ヘモグロビンに異常をきたし血中の鉄が銅に変化することで血液が赤からイカのように青に変化する怪事件が発生。
各国政府は青い血の人々を秘密裏に患者として隔離、隠滅。
メディアコントロールをしながら青い血に対する恐怖を煽り、クリスマスイヴの日、敢えて血液検査で見逃した青い血の人々を粛清することで民衆を制御するというストーリー。
公開当時(1978)は『未知との遭遇』(1977)『スター・ウォーズ』(1977)のSF超大作が日本で公開され、大掛かりな特殊撮影を期待した観客が多かったそうですが、まだSFの定義もあいまいな時代で、今観るとSFというよりも悲劇的な運命をたどる男女のメロドラマを軸にした良質なポリティカルサスペンス・スリラーのカテゴリーがマッチしますね。
(実際の企画は上記SF大作が公開されるずっと前の1976年らしいですね)
作品のベースには得体の知れないものに対する人間の無意識の偏見からの区別からの差別、そして迫害、最終的な抹殺が描かれており、その後のコロナ禍を暗示させる本作の評価は年々高まっていますね。UFOに搭乗する異星人も血液の色を変えるだけで人間同士が争うことを想定していたのでしょうか。
二人の青い鮮血と赤い鮮血が真っ白い雪のなかで交わるラストはビジュアル面でも映えて美しくもあり、哀しい名シーンですね。
作品としても岡本監督の職人技が光るとにかくテンポの良いカット割り、切り返しは全く緩慢さなくお見事。
キャストも勝野洋氏、竹下景子氏のフレッシュな演技も見どころですが、喜八組の常連、仲代達矢氏、高橋悦史氏、天本英世氏、岸田森氏、草野大悟氏の味のある演技、ベテラン勢の小沢栄太郎氏、大滝秀治氏、永井智雄氏、島田正吾氏は巨大な陰謀がうごめく設定に説得力を持たせてくれますね。
音楽面も秀逸。
劇中では人気ロックバンド「ヒューマノイド」が歌う「ブルークリスマス」(作詞 - 阿久悠氏、作曲 - 佐藤勝氏)ですが、実際はChar氏が歌唱する名曲。作品自体の評価も高まるなか、ぜひクリスマスのスタンダードナンバーになって欲しいものですね。
上映後の映画監督・評論家の樋口尚文氏のトークも貴重な話と資料が満載で大満足な1日でした。
東宝の本気
岡本喜八、倉本聰、木村大作、char、、、
スタッフを見れば、どれだけ本気に売りたかったかよく分かる。公開当時、私はまんまと宣伝に乗せられて映画館に足を運んだのである。
帰りに、charが歌う主題歌のシングルレコードを買ったのを覚えている。
阿久悠作詞による、『この世にたった一人が、残される時が来るとしたなら、君が残るか僕が残るか、いますぐに答えられるかい?』というこの曲は、いまだにお気に入り。
青い血
未確認飛行物体
自衛隊員(勝野洋)と美容師(竹下景子)の悲恋
久しぶりに見ることができたが、
やはり、初見のときと同様に
ラストシーン以外に見どころが少ない気がするのは
作り手側より、見る側の問題なのかもしれない。。。
謀略…プロパガンダの恐怖
Amazon Prime Videoで鑑賞。
前半は政府の謀略を巡るサスペンス色が強く、後半は張り巡らされたプロパガンダが民衆の印象を操作し、一組のカップルが悲劇へ突き進んでいく展開が悲しく、秀逸でした。
「何故政府は青い血の人たちをそこまで恐れるのか?」。その理由がはっきり明示されないことが不気味さを増長し、実際起こり得そうなリアリティーが怖かったです。
※修正(2024/01/22)
スピルバーグの対極作品
キャスト、スタッフとも超一流どころを連ねているが人間の奥底にある闇、悲惨な人類史のトラウマからか、とんでもないメッセージ性を込めた壮大な悲劇を創ってしまいました。
倉本聡さんの世界観はスピルバーグが「未知との遭遇」を創っていたのと真反対のペシミズムに満ちている、UFOの怪光線で血液が変色、青い血の人間が出現したら国家はどう対応するかが焦点、ゾンビ化や怪物化する宇宙戦争はお馴染みだが本作ではかえって優しさを増すだけの真人間という設定、それでも疑心暗鬼が生み出したのはナチスもどきの悪魔の所業だったという怖いフィクション。
解説にある通り特撮に秀でた東宝なのに一切なしの未知との遭遇。岡本演出も往年のハリウッド映画の手法を踏襲、時の流れを日めくりカレンダーや時計台で表したり、移動は地図上を飛行機が移動(昔は蒸気機関車が多かった)など懐かしい。
前半は公共放送局が舞台、丁度、倉本さんがNHKと喧嘩別れをした時期だから色々と邪推してしまう生々しさ、岡本さんも軍人ものが十八番だが今回はSFなのでナンセンスの類と踏んだのだろう、お約束のグロとエロも加味してネチネチと撮っていましたね。
意欲作であることは間違いないが人間不信の最たる産物、国家権力は愛をも踏みにじるという希望の見えない苦々しいプロットを延々2時間も見せられては息が詰まる。
パターン青、使徒です!(笑)
で、撃っちゃっていいのか、、という話なんですが。
姿形が人間じゃないのが使徒で、人間なのがこの映画なのですね。
40年前の昭和の日本を振り返って、若い人にも履修してほしい、社会派SFですね。
亡くなられた俳優も大勢、昭和の名優たちの若き日の姿も懐かしく、
演技も演出もマトモでちゃんとしているため、ずっと観ていられる、
(当たり前のことなんだけどね、その当たり前がもうなかなか観られないのですよ、悲しい)
目の離せないスリリングな展開、画も演出も、全カットかっこいい!(凄いことですよ) という
凄まじい映画力に満ち溢れています。
台本もいいですよね。SF作品の粗を探したり、細かいツッコミは野暮ですからね。
どっぷりと、このダークでシニカルな作品世界に浸かりましょう。
これを超える作品はまだ出てきていないと思えるほど、唯一無二の作品だと思います。
40年後の目の肥えたはずの人間が観ても、満足できる映画があるという事は素晴らしいですよね。
(ここから映画評から逸れますが)
そこに描かれている社会も、街並みも、人間も、若者も、犯罪も、政治も、芸能も、群衆も、
驚くほど、なにも変わっていない事に驚かされます。
人間のやることが、たった40年で変わらないのだと再認識すると同時に、
こういう社会通俗的なテーマを普遍的といい、古びない名作映画という評価になるのでしょうが、
古代文明の壁画かなにかに「最近の若者ときたら・・」と当時の愚痴が刻まれているように
おそらく、人類は数千年、ほとんど進化していないのでしょう。
タイムマシンでどの時代を見に行っても、そんなに変わらない社会があって、人間模様があって、
あと数千万年も経たないと、何も変わらないのでしょう。
ただ、そろそろAIが追いつきつつあるみたいで、
チェスや将棋で勝った負けた言ってるうちに、絵画や音楽ができるようになったらしく、
この流れの先に、
映画も、テレビも、ラジオも、YouTubeも、小説も、スポーツも、ありとあらゆる娯楽は、
人間が作ったものよりも、遥かに面白いものが無限に量産されるようになり、
人々は狂ったようにその動画を3Dで延々と夢見続けるうち、一生を終えるようになるのでしょうね。
(阿片に溺れるよりは、健康的でしょうかね)
AIの作るものは、今はソースは人間ですが、
やがて、人間の発想しえないレベルのものが生み出され、
人間はもう、そのクオリティでないと満足できなくなると思います。
幼き頃、
単純作業は機械が、クリエイティブなことは人間が、、と未来予想図で描かれましたが、
現実は、おそらく逆ですね。
クリエイティブなものはAIが、機械にやらせるには経費が掛かりすぎて、
コスパの悪い汚れ作業を、人間が担当するようになるのでしょう。適材適所ですね。
ただ、それが不幸なディストピアかというと、決してそうではなくて、
世界は神に代わり、凄まじく優秀なAIが支配してくれて、
国家は取っ払われ、貨幣もなくなり、過不足なく、幸福に生きられるだけのものが提供される、
金も土地も水も富も資源もエネルギーも奪い合うことなく、
地球を食いつぶすこともない、持続可能な平和な世界が、
人間同士が、ああだこうだ言ったり言われたりしながら統治するより、
遥かにマシで、幸福な世界が訪れることを願います。
要するに私、映画批評に関してはずぶのド素人ってわけ そして鬱系の胸クソ映画でした・良い意味で
物語冒頭の怒号飛び交うTV放送の科学者会議が『ゾンビ』のテレビ局のシーンを思わせて、なんだか面白そげじゃないですか。
ちょいと調べてみると、私の好きな映画の『肉弾』や『大誘拐 RAINBOW KIDS』の岡本喜八監督の作品じゃないですか。(超巨匠っぽい方なのに、他の作品はまるで存じ上げないのですね…)
しかも脚本は、あの『北の国から』シリーズの倉本聰さんじゃないですか。(こちらも超巨匠っぽい方なのに、他の作品はまるで存じ上げないのですね…)
要するに私、映画に関してはずぶのド素人ってわけ。
SF作品なのに、なんとまぁ異色×異色コラボレーション映画のようで期待できます。
前情報を見ると、映画の面白さは半減すると思うものの、ほんの少しWikipedia先生に教えを乞いました。
すると「特撮を一切使わないSF映画」を目指した意欲作ということじゃないですか。
ゴジラが一切登場しない『シン・ゴジラ』みたいな感じ?
俄然興味が湧いてきて視聴を続けます。
レビュー冒頭の『ゾンビ』云々…は、某博士の「破天荒でどうも正常な科学者の常識からすると狂ったとしか思えない、馬鹿馬鹿しくて怒る気にもなれない内容」の講演だったそうです。どうやらUFO(本作では“ユーフォー”じゃなくて“ユーエフオー”の呼称なんですよ)の実在を訴えていたようで。それで怒号が飛び交ったってわけ。
どうやら世界規模で、何か大変なことが起こっているそうな予感でスタート。
ここでタイトルばーん!【ブルークリスマス BLOOD TYPE:BLUE】
Wiki先生によると、エヴァの使徒の認識パターンが青なのは、この映画に着想を得ているそうな。
あとね、カントリーミュージックの曲名のようですね。
『シン・ゴジラ』みたいな感じ?って書いたじゃないですか。
本当にその通りなんですよ。
登場人物や場所が出てくるたびに、いちいちキャプションで説明してくれるです。
物語に戻りますね。
UFOの実在を訴えていた博士が何者かに拉致られちゃったです。
そうこうするうちに、世界各国にUFOが出現、それに遭遇した人の血が青くなるってわけ。
拉致られちゃった博士の行方を追う国営放送の報道部員の南さんって人が、その件を知るわけ。
それを世間に公表しようとするものの、放送局に政府の圧力がかかって、無理ゲーになっちゃう上にパリへ左遷?栄転?させられちゃうわけ。
青い血の人間が世界中で急激に増加する事実を各国の政府が隠匿するんですが、その裏には、異星人への疑いに不安を膨れ上がらせた主要国指導部による謀略が隠されていたわけ。
『スター・ウォーズ』によるSFX映画ブームの真っただ中にあって、特撮映画の本家である東宝が「特撮を一切使わないSF映画」を目指した意欲作として知られるらしいです。
[Wiki先生いつも乙]
それで、世界規模で人権の一切を否定された青い血の人々に降りかかる惨劇の数々を描いてる映画ってわけ。
要するにホロコースト物みたいな感じなの?
(実際に劇中でヒトラーのナチズムについてのTV放送があるんですが)
いつもクソレビューがめっちゃ駄文・長文になっちゃう反省から(既にもう十分長いよ!)今回は真っ当な出どころからのあらすじを抜粋して、先に書いておきましたよっと。
じゃあ以下、ディテールと感想を書いていきますね。
本当に特撮シーンが徹底的に省かれているの。
唯一、物語中盤で模型っぽいF104戦闘機一機が空を飛ぶカットだとか、そのコックピットからオレンジ色の光が見える程度が、ぎりぎり特撮に見えるかな?と思う程度で。
東京某所に現れたUFO群も描写は一切なし。それを見て右往左往する人々のシーンがあるくらいなの。
あとね、この映画はサブリミナル的に、様々なカットがコンマ何mm秒かで流されてくるの。それがなんだかとても怖いの。
前半パート主演の仲代達也さんと言えば『切腹』のイメージが強烈すぎるし。
だから、終始不穏で、おどろおどろしい雰囲気を感じてしまったの。
したらね…この映画もうヤだよ!まさにナチスがユダヤ人に行ったようなことやらかしてるの!
青い血液の人々に!見てらんないよ!
モノクロの記録映像映すシーン以外は、モロにそういうの映してるわけじゃなんだけれど説明してるの。
生体解剖だとか、ロボトミー手術だとかやらかしていることを。
淡々としたナレーションで、青い血液の人々に何をやらかしたのか逐一解説してるの。
聴いてらんないよ!あからさまに“強制収容所”に送られるとまで語られてるの。
そんな政府へ反対活動やってる人たちへの、血まみれで過剰な暴力を振るうシーンだとか。
とにかくエグいの。
UFOが大挙地球に飛来するシーンもモノクロの写真だけで説明してるの。
これがまた不気味な絵面なの。
事ここに及んで気が付くわけですよ。
この映画SFなんかじゃなくて、鬱系の胸クソ映画だってことに。
青い血は侵略者で、もはや人ではないと。仕組まれた反乱軍にされていると。
世界各国政府が、人々にそう認識させるために仕組んだ謀略の数々があると、登場人物に語らせるわけ。
むしろUFOを見た人は、様々な負の感情が消えたと語っていたです。
なのに、世界各国政府は、UFOを一方的に侵略者とみなしてしまったのですね。
侵略者は反乱軍を結成して抵抗してくると、偽の世論をプロパガンダで作り上げて徹底的に弾圧するのですね。
クリスマスイブの青い血抹殺命令前夜に、自衛隊の特殊部隊?に激が飛びます。
「抵抗者、並びにそれを庇う市民、シンパは家族友人の区別なく射殺しまって差し支えない!」
「これは殺人ではない!相手は人間とは、全く異なるものである!」
とまで言うんですよ。
そして運命の日12月25日のクリスマス。0時ジャスト。
世界各国で、青い血の人々は賛美歌をBGMに次々と銃殺されていくです。
それで終わり。全く救いなし。
UFOの飛来の目的や青い血についての説明も一切なし。
こういう不条理で鬱な映画って胸クソなんだけれど、インパクト大だから割と好き。
青い血の伝説・政府の謀略
子供の頃は静脈の血の色は青いものだと思っていた。最初に床屋さんのシーンがありましたけど、床屋さんのサインポールが赤青白だというイメージそのものかもしれません。本来、白は包帯を意味すると思ってたけど、ここでは「白髪がありますよ」というセリフがあるため、白髪の意味なのかな・・・
物語は国営テレビJBCの南(仲代)が失踪した科学者・兵藤博士(岡田英次)を追うパート、国防庁の沖(勝野洋)と西田冴子(竹下景子)の恋物語のパートにそれぞれが絡んでくる。南のパートでは、大河ドラマ「日本元年」の主演女優・高松夕子も青い血だったという序盤の展開。UFOを目撃した人間の血が青くなるというバカバカしい設定ながら、ヒトラーの民族純化政策を想起させる内容となっている。
血が青くなった人々はどこかが変わったというわけでもなく、単に権力者たちが将来どうなるかわからないと恐れていただけで、青い血の人間をすべて排除しようとしたのだった。秘密裏に強制収容所に送り、ロボトミー手術を受け、人体実験の対象となり、やがて殺される。ところが、政府の謀略というのは単純なものじゃなく、一部の青い血の人間を放置するという悪質さ。宇宙人に操られた青い血の人間が一斉蜂起して地球人を滅亡させるという噂を流し、敵ではない者を敵に仕立て上げるという謀略だったのだ。
そんなプロットの中で最も興味深いのが血液点検法により、青い血の人間を炙り出すという点。法制化反対デモが行われるというシーンも面白かった。まぁ、ツッコミどころが多いのは難点だが、壮大な謀略、虐殺という身の毛もよだつラストが圧巻でした。
ふと自分の手首を見ると、血管が青い!いや、みんな青でしょ・・・人種差別、病気による差別、今後何があるかわからない。もしそうしたマイノリティに含まれることがあれば・・・などと考えると、どこかで逃げ道作っておかなきゃなぁ・・・
※浅い感想※
竜頭蛇尾と表現するしかない
BLOOD TYPE:BLUEとタイトルの下に表記される
劇中でハレルヤのコーラスが二度程挿入される
もちろん庵野監督が本作のオマージュとしてエヴァンゲリオンに反映した元ネタだ
内容自体はエヴァには無関係
その名の通り青い血の人間がもし現れたならという物語だ
竜頭蛇尾と表現するしかない
仲代達矢がメインとなる前半は緊迫感とスピード感が溢れている
政府側の動きのシーンなどは、庵野監督がシン・ゴジラで参考にしているのがよくわかる
NYやパリのロケまであり、それもよくこなれて馴染んでいる
本作前年の1977年にNY ロケを行った人間の証明よりは格段に良い
ところが、勝野洋と竹下景子の物語となる後半は冗長に過ぎて残念なできとしかいうほか無い
何度も睡魔に襲われる
脚本の倉本聰から、改変を一切認めないと言われたそうで、岡本喜八監督が自由にやれたならこんな事にはならなかったと思われ大変に残念だ
SFか?ととわれたなら、間違いなくそうだ
思考実験を中心に於いてあるからだ
特撮の有無がSFであるかどうかは関係がない
しかしその思考実験の正体が陳腐なのだ
それは青い血の人間とは共産主義思想を持つ人間を青い血の人間という比喩にしているだけのことなのだ
そういう目で観ると後半がなぜあの様なザマなのかがよく理解できると思う
本作は1978年11月の公開
皇帝のいない八月は同年9月の公開
この二作品のテーマは良く似通っている
双子とも言って良いと思う
1978年
成田空港開港の年
これをもって新左翼の運動は殆ど終焉したと言って良いと思う
その危機感が岡本喜八監督に本作を、山本薩夫監督に皇帝のいない八月を撮らせたのでは無いだろうか?
同年6月には、スターウォーズの日本公開もあった
それに連動したSF映画を出した?
そんなことは企画を通す為の口実、方便に過ぎないと思う
ヒドイにも程がある。
SFなのにリアル
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