冬の華のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
関東のヤクザ組織・東竜会幹部の加納秀次(高倉健)。
兄弟分・松岡(池部良)を刺殺する。
松岡が関西と手を組むよう寝返ったからだ。
十五年の刑期。
加納は、弟分・南(田中邦衛)を通じて、松岡の遺児・洋子(成長後の現在:池上季実子扮演技)に「ブラジル在住の伯父」と偽り、彼女の生活費の面倒を見ていた。
出所した加納を出迎え、歓迎したのは組長・坂田(藤田進)。
しかし再び、関西組織と手を組むべしという者たちもいて、組は一枚岩ではなかった・・・
といったところからはじまる物語。
全体を通じて、かなりメランコリックなヤクザ映画である。
ただし、前半のヤクザ描写は、ヒロイックなヤクザ描写を避けるべく、コミカルなエピソードなどで繋いでいくが、やや過剰な感じもする。
ただし、演者の多くが鬼籍に入った現在では、その劇画味は薄まっている、と感じました。
この時代を振り返ると、東映としてもヤクザ映画の全盛期はとうに過ぎ、世間的にはバブル景気の前。
地上げ屋活動でヤクザが前面に出てくる前とあって、シノギ自体は厳しかった。
結果として、義理人情などよりも目先の利益のためのチンケな商売に手を出さざるを得ない・・・ように思える。
なので加納の、ヤクザの世界から足を洗いたい、という思いもわからないでもない。
しかしながら、脱ヤクザに舵を切りたい男だが、義理堅いが故に抜け切れず・・・
遂には、繰り返さざるを得ない舎弟殺しへと最後は再び手を地で染めざるを得ない。
ただ唯一の救いは、刺さざるを得ない相手には義理も人情もなく、幼い子どももいない。
冒頭と同じく刺される相手は「俺にはガキもいるんだ」と命乞いをするが、その意味するところは加納にとっては全くもって別のものというところだ。
個人的に沁みたエピソードは、ふたつ。
獄中生活のうちに死んでしまった母親と内縁の妻。
ふたりとも、画面に現れない。
彼女たちの物語が深みを与え、切ない。
繰り返し流れるクロード・チアリのギターの音色は、逃れられない運命のようだ。
昔の映画っていいね
やくざ映画は初めて観たけど、おそらく王道だなって感じのストーリーで、楽しく観られました。
家族は長い刑務所生活の間に喪い(兄は健在)、気にかけていた洋子にも良い人がいることを知って、娑婆(現世)に思い残すことが無くなり、事を起こそうとしているなっていう流れがわかりやすかった。
昔の映画っていいね。
BGMが哀愁漂って素敵。
背景や持ち物にジェネレーションギャップを感じる。
やくざのお偉いさんが、ダイヤル式電話の本体を部下に持たせて、アンテナを目一杯伸ばして電話で怒鳴っているシーンが一周回って好きです。
健さんがひたすらかっこいいだけ
冬の華とは何でしょうか?
冬の華として思いあたるのは、
冒頭の15年前の回想で3歳の松岡洋子が持つ風車
成長した現在の松岡洋子
横丁の路地にあった雪に埋もれそうな鉢植えの残菊
思い当たるのはこれらでしょう
それらも指すでしょうが、本当は違うと思います
冬の華、それは主人公の加納、彼自身のことだと思います
仁義の廃れたヤクザの世界に未だに昔ながらの男のままでいるのは彼だけです
それはまるで冷たい雪に埋もれそうな残菊そのものです
だからラストシーンで振り返った加納の顔に雪が降りかかっているのです
本作は外形上、ごく普通のありがちなヤクザ映画です
ただ特徴として次の3作品を下敷にしてかき混ぜて再構成された点で印象の異なる作品になっています
1964年 乾いた花 池部良主演
1965年 顔役 鶴田浩二、高倉健主演
1973年 仁義なき戦い 菅原文太主演
乾いた花の池部良は本作につながっている同一人物にも思えてきます
舞台も横浜です
題名も似ています
衣装のおしゃれさは特筆ものです
そして凄まじい虚無感は本作に反映されているものです
音楽もモダンジャズが使われて、乾いた感覚をもたらしています
本作の音楽はクロードチアリの哀愁たっぷりなギターです
乾いた花がヤクザ映画の乾極であるなら、本作は湿極を目指していることを表現しています
顔役のストーリーは、関東ヤクザ対関西ヤクザの抗争で、本作の筋書きに近いものです
この作品もおしゃれさが際立っています
本作の衣装も地味ながら結構おしゃれです
特に主人公と南の衣装は良く吟味されています
ヤクザ風ではないダンディーさで、素材感も良いものと伺えるものです
しかも、芸術風味というかハイカラ志向があります
主人公の港が見える丘の高級マンションの室内シーンは見事でした
蒼い油絵、藍色のランプシェード、黄色いレモン、バスルームの青いタイル、キッチンの青みのある光
ハッとする美しさです
すべて狙った構図と色彩です
こういった趣向はこの2作品からの由来だと思います
仁義なき戦いは抗争シーンの手持ちカメラのブレなど撮影手法を取り入れています
しかし田舎臭さは本作には微塵も持ち込まれていません
洋子はほんとうは山口百恵で当て書きされた脚本だったそうです
そう聞けば納得です
池上季実子には何の責任もありません
山口百恵を配役出来なかったこと
それならばと代役として池上季実子を配役したこと
これは製作陣側の責任です
山口百恵ならどんなに明るく振る舞っていても、不幸な生い立ちの空気が滲み出ていたはずです
池上季実子にはそんな空気は出せません
冬の華の風情はでません
もっと他にはいなかったのでしょうか?
その配役にしくじった点で本作は大きく羽ばたくことは出来なかったのです
とはいえ高倉健の演技、取り巻く脇役陣の熱演は素晴らしいものがあります
昭和の親父向け映画。高倉健はいいぜぇ(親分風に)
小池朝雄が秀逸
私の“あしなが健さん”は、昔気質の任侠道
監督・降旗康男×脚本・倉本聰×主演・高倉健の1978年の作品。
これまた健さんにぴったりの役柄!
それもその筈。倉本聰が、健さんが演じてきた東映任侠映画の主人公像を膨らませて書いた、健さんの為の役。
刑期を終えたヤクザ・秀次。
彼には気にかかる若い女性が居た。
その女性・洋子は、秀次が刑務所に入る事となった殺した相手の娘だった…。
秀次もその世界じゃ名を知られた存在。
今はもう出世した連中もかつては秀次の舎弟だった。
そんな秀次だが、洋子の為に刑務所で稼いだお金やヴァイオリンを送り、文通をしていた。
勿論洋子は、秀次の素性を知らない。
長くブラジルに出張に行ってるおじと偽っている。
身寄りの無い洋子にとって、秀次=ブラジルのおじさまは唯一の肉親。心の底から慕っている。
いつの日か日本に帰ってきた時、会いたいと願っている。
秀次も出所したら真っ先に会おうと思っていた。電話をかけようともした。
が、そこで踏み留まった。
自分が彼女に会える訳がない。
何故なら本当は自分は、彼女の父親を殺した犯罪者。
会えば彼女の全ての夢をぶち壊す事になる。
陰から見守る素敵なブラジルのおじさまのままでいい…。
ある決心をし、遂に洋子と電話で話した時の「今度会おう」が「さよなら」にしか聞こえなかった。
ある時二人は顔を合わせる事になる。
洋子はすぐ気付く。
が、秀次は…。
メインと思っていた“あしなが健さん”は意外とスパイス的で、話は硬派な東映任侠映画。
久し振りにシャバに戻ると、組も世の中も変わっていた。昔のような任侠道など廃れていた。
足を洗う事を考える。
親父のように慕う会長もその事を察し、理解する。
秀次と会長の実の親子のような絆もいい。
そんな時、関東・関西の組が一触即発状態となり、会長が殺され…。
健さんに最高に惚れ惚れ。
周りも出るわ出るわのかつての東映任侠映画常連の渋い面々ばかり。
そんな中で池上季実子が清涼剤のように若く、美しく、可憐。
音楽が哀切漂う。
チャイコフスキーのクラシックの名曲も激しく感情を揺さぶる。
秀次は再び手を血で染める事になる。
極道の世界で生きる者は極道の道でしか生きられない。
恩義の為、自らのケジメの為。
その時、デジャヴのような事が…。
ラストは余りにも悲運。
高倉健の死後、鑑賞させていただきました。
高倉健万歳
高倉健魅力全開。渋い。かっこいい。こんな、一本筋の通った男になりた...
名作
昔日の横浜
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