武士道残酷物語

劇場公開日:

解説

南条範夫原作「被虐の系譜」を「宮本武蔵 般若坂の決闘」の鈴木尚之と「女系家族」の依田義賢が共同で脚色、「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」の今井正が監督した残酷時代劇。撮影は「一心太助 男一匹道中記」の坪井誠。

1963年製作/122分/日本
原題または英題:Bushido-Samurai Saga
配給:東映
劇場公開日:1963年4月28日

ストーリー

日東建設の営業部員、飯倉進は婚約者の人見杏子が自殺を計ったとの知らせに、眠っていたある記憶を呼びおこした。故郷信州の菩提寺で発見した先祖の日誌に記された、世にも残酷な話のことである。--関ケ原戦後、浪々の身であった飯倉次郎左衛門は信州矢崎の小大名堀式部少輔に拾われた。寛永十五年主君と共に島原の役に服した次郎左衛門は、一揆勢に黒田屋敷を焼かれた科で幕僚から叱責を受けた式部少輔の罪を被り、本陣門前で割腹して果てた。(飯倉次郎左衛門の章)乱後三年、近習に取立てられた伜佐治衛門は衷心をもって病床の式部少輔に仕えたが、勘気にふれて閉門を命ぜられ加増分を召上げられた。しかし、佐治衛門の忠心は変らず、ほどなく死亡した式部少輔の後を追って切腹した。(飯倉佐治衛門の章)時代は元禄、江戸遊学中の佐治衛門の孫久太郎は時の藩主丹波守宗昌の眼にとまりお手付小姓となったが側室萩の方との仲を疑われ、男色に狂う宗昌の命で羅切りの酷刑にかかり果てには萩の方を妻にもらいうけ信州に帰った。(飯倉久太郎の章)天明期に移り、全国各地天災地変がおこり農民達は苛斂誅求に苦しんでいた。時の飯倉家当主修蔵は奉納試合で秘剣“闇の太刀”を披露し藩主安高に褒美を貰い、娘さとと野田数馬の祝言も決まるなど幸福の絶頂にあった。同じ頃、藩を脱け出した農民五名が江戸の老中田沼意知に直訴した。安高は国家老の勧めに従い美貌のさとを賄賂として献上、五人の濃夫を鋸引きの刑に処し、その上修蔵の妻まきを慰みものにしようとしたため、まきは自害した。閉門蟹居中の修蔵のもとに意知の死でさとが下って来たが、数馬との邂逅が安高の目にふれ二人は不義密通の科で捕えられた。耐えかねた修蔵は諌言を決意して陣屋に赴くが、安高は修蔵が得意の“闇の太刀”で罪人を斬れば許してやると目隠しをし、剣を握らせた。一瞬、見事打ち落した首はさとと数馬だった。修蔵は太刀を腹に突き刺すとその場に伏した。(飯倉修蔵の章)時代は明治と変り、時の飯倉当主進吾は青雲の志を抱いて上京、気が狂った最後の藩主高啓の面倒を見て車曳をしながら勉学に励んでいたが、将来を誓いあったふじの体を高啓に奪わてしまった。進吾は悩んだ揚句ふじを説きふせ、高啓の病床に通わせた。高啓の死後進吾とふじは世帯を持った。そして一年後、進吾はふじの体に子供を残して日清戦争に出征、帰らぬ人となった。(飯倉進吾の章)その子、つまり進の父に当る多津夫は満州事変で戦死。進の兄修も第二次大戦に特攻隊員として戦死した。(飯倉修の章)そして現代、進は上司山岡営業部長に杏子との仲人を頼んだところ、信州ダムの入札に関する競争会社飛鳥建設の情報を盗むよう言われた。飛鳥建設のタイピストを勤める杏子はしぶしぶ承知した。程なく入札は進の日東建設の勝利に終った。乾杯の席上で進は山岡に結婚を延期するように勧められた。理由は式場に飛鳥建設の木原重役が出席するというだけのことだ。杏子の悲しみと怒りは睡眠薬服用というかたちで進を責めた。あの残酷な歴史、かくは生きまいと誓った進がそれをくり返していたのだ。進は二人だけで結婚する決心をした。(飯倉進の章)

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映画レビュー

0.5左翼系リベラリストの武士に対する個人的曲解。

2023年11月10日
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マサシ

4.0悪の普遍性

2023年9月17日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

本作は私は1978年に自主上映会で鑑賞していますが、当時は自主上映会が盛んで同時期に『仇討』や『切腹』なども鑑賞したり、黒澤明の作品がリバイバル上映されたりで、個人的には「日本の時代劇ってスゲェー」ってハマっていた時期でもありました。
当時の個人的な時代劇のイメージってテレビでの連続時代劇などの勧善懲悪モノとしてしか見ていなかったのでこれらの作品は衝撃的で、その中でも本作は昔から現在へと全く違った時代の中で、連綿と続く失われない精神というか文化というか考え方によって起きる悲劇が描かれていて、本当に驚かされました。
本作の場合その後見る機会に恵まれず、これも約半世紀ぶりの鑑賞となりましたが、詳細は殆ど忘れていても頭に残っている作品の印象だけは全く変わっていませんでした。
現在社会で武士道が定期的にブームになるのですが、自分の先祖が百姓・町人だったかも知れないのに「武士道がカッコイイなんてよく言えるな」っていつも思ってしまうのですが、本作を見て武家社会と今の資本主義社会の共通性を考えると、それが皮肉にも符合しているようで妙に合点がいきました。

本作の一番凄惨な悲劇である四話目の最後に残された子供が繰り返す「侍の命は侍の命ならず、主君のものなれば主君の為に死に場所を得ることを誉とする。己を殺して主君に使えることこそ忠節の始めとする。」
これが何の文章なのか分かりませんが武士道の心得だとすると、これを美学とするか主君(組織)の都合だけを考えた、マインドコントロールと捉えるか、日本人は今でもこれに苦しめられていますよね。
少し前に見た『こんにちは、母さん』のエピソードと、本作の最終話のエピソードはほぼ同じ内容と言っても良いし、最近のニュースでは“ビッグモーター”や“ジャニーズ事務所とその関連マスメディアの忖度”問題も、問題である核心は同じなんですよね。
そういう意味でも60年前に作られた本作は今見ても凄いと思いますし、今現在では黒澤・小津監督などの陰に隠れてしまっていますが、今井正監督をもっともっと再評価して欲しいと願っています。

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シューテツ

5.0君達は民主的な社会で自由に生きていると思っているだろうが、一皮剥けばご覧のとおりだ それが監督のメッセージです

2022年3月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

陰鬱で圧倒的な物語で、終わってからもしばらくしびれたように何も考えられなくなりました
最後に若干の救いがなければ立ち直れないダメージを受けたままになっていたでしょう

350年に及ぶある信州の武士の家系の物語を全七話で構成しています
すべての主人公を中村錦之助 (萬屋錦之介)が演じます
特に第四話は強烈です
タイトルの武士道残酷物語そのものです
物語だけでなく映像としても強烈なのです

冒頭は現代としての昭和38年の第七話につながるアバンタイトルです

第一話(慶長15年~寛永)
堀家に召し抱えられ、やがて島原の乱の中で切腹する老武士

第二話(寛永15年)
その子供が殿に殉死する

第三話(元禄年間)
男色の殿の餌食に

第四話(天明3年)
小林正樹監督の1967年の「上意討ち 拝領妻始末」の原型のような物語

第五話(明治4年)
廃藩置県でもはや藩主でもないのに忠節を尽くす

第六話(昭和20年)
特攻隊員出撃

第七話(現代、昭和38年)
企業スパイを婚約者にさせる

自分たちではどうにもならない
そういう台詞が終盤にあります
こういう封建的な日本社会は過去のものではない
現代にまで未だに連綿と続いている
君達は民主的な社会で自由に生きていると思っているだろうが、一皮剥けばご覧のとおりだ
君達若者がそれを断ち切らなければ、さらに未来にまでこれからも続いていくであろう
それが本作のメッセージであったと思います

共産党員であった今井監督は、こうした日本の封建的な社会を若者たちが打倒して、民主的で自由な社会を打ち立てて欲しい
そのような願いで本作を撮ったのだと思います
つまり60年安保の敗北の真の原因をそこに求めたのだと思います

しかし本作公開から来年で60年も経った結果はどうでしょうか
このような残酷物語はいまだにあるようです
因襲的な地方や、古い会社や組織だけでなく、東京の超一流と言われる会社でも、本作で描かれたような残酷物語がときおりニュースになるのです
終わってはいなかったのです

また皮肉なことに、共産党や新左翼の組織であってもそうであったことです
いやむしろ強烈に本作の内容に近いことが行われてきたことを21世紀の私たちは知っています

そして共産圏の国々は本作以上の残酷物語がゴロゴロしていたことも知っているのです

なんという皮肉な結果なのでしょうか

数々の映画賞に輝くのは当然の傑作です

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あき240