復讐するは我にありのレビュー・感想・評価
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タクシー運転手さん一番ユルい訳ありの旅館に連れてって
緒形拳が犯人役の映画はあっち方面がとてもお盛んなもので、刺激が強くつい観てしまうけど、すごく気分が悪くなるので要注意。
佐木隆三の同名小説の映画化。
1979年公開。
このあと、ええじゃないかで大コケする愛すべき今村昌平監督作品。
昭和38年10月から昭和39年1月にかけて逃亡中に連続強盗殺人を犯した実在の最恐のサイコパス詐欺師。
妻加津子(倍償美津子)とカトリック信者の義父(三国連太郎)が詐欺罪で服役中に不義の関係に。しかも義父は他人にも嫁を斡旋。実話なのかどうかはわからないが、そのことに恨みをもつ息子が専売公社の職員2人を殺害し、逃亡中に京都大学の教授、東大卒の弁護士と偽り、浜松のステッキガール(根岸季衣ら)を斡旋するツレコミ旅館の母娘や雑司ヶ谷のボロアパートに一人暮らしの老弁護士(加藤嘉)を殺める。旅館の母娘は殺人罪で服役帰りの競艇ぐるいの母親(清川虹子)と紡績会社社長(北村和夫)の妾の娘(小川真由美)で旅館の抵当は会社名義らしい。娘は若い遊び人(火野正平)とも懇ろで、北村和夫は小川真由美やステッキガール(セックスワーカー)たちといたすところを清川虹子に覗かせる性癖があるどうしようもない奴。タクシー運転手に訳ありの旅館を聞くあたりからすでに計画的でこの母娘との絡みがメイン。
大した理由や動機がないのに、当てずっぽうに殺すようにみえる榎津に清川虹子が説教。甘ったれのテロリスト。こんなに才能あるのに自暴自棄に破滅の道を進むは自分に酔ってるとしか思えない。演技性パーソナリティ障がいか?
アイスピックの割烹の女や旅のストリッパーたちへの取り調べ場面とかもあって相当モテ男なのも気に食わない。
根岸季衣のかったるいセリフとメイクは桃井かおりに寄せていた。
幸せの黄色いハンカチは1977年。
やりやがったな😎
実際は弁護士になりすまし、教誨師を騙そうとしたら、その11歳の娘が手配写真を見てすぐに気がついて捕まったらしいから、かなり脚色しているのだろう。
子供の頃から相当のワルだった榎津巌。カトリック信者の息子が教誨師を狙ったのは父親への当てつけとも考えられるが、教誨師は仏教のお坊さんだったらしいから、そのへんはよくわからない。
タイトルはいかにも緒形拳主演映画らしい。新約聖書の言葉がどうとか言われても、私にゃ、よくわからん。
『復讐するは映画鑑賞者にあり』冥福を祈る
予告編『ヨーロッパの解放』はこの頃何だね。僕は残念ながら予告編でしか映画館で見ていない。後からDVDを購入して見たが、画像が酷くてあまり良くない印象しかない。
しかし、薄気味悪い映画作って、何が言いたいのか?
映画の主旨が分からない。
犯人や被害者の心理をきちんと分析したのだろうか?
快楽殺人ではない。詐欺師による殺人である。
『親父を殺したい』で締めくくる。
なんか、一貫した哲学が全く見えてこない。結局は人の不幸を面白可笑しく(あまり良い表現ではないが―遺族の方には冥福をお祈りします)描いて、海外の映画賞を狙う。そんな映画だと思う。
犯罪を犯す犯罪者が狂気に見えるのは、犯罪心理を全く無視して、ただの快楽殺人の如く描いてしまっているから、考えられない狂気となる。
この映画は多分2回目だと思うが!原作は一回読んだことがある。原作は裁判の公判から自供に至るまで、克明に描かれていたと思った。
この映画では『話はそこへ行くか?』と思う流れが乱流する。本当なのだろうか?
それと犯人が逮捕されたのは子供が気づいたと原作ではなっていた。どうして、変えてのだろうか?通報者に対する人権保護なのだろうと思ったか、原作ではそのあっけない逮捕の様子として、殺人鬼の最後を描いていた様に感じた。話にフィクションが多用されているゆえに全く評価出来ない。
お腹いっぱい
出演している俳優さんは
もはやわざわざ触れるまでもなく
実力と実績を兼ね備えている方々ばかり。
これで見応えないはずがない。
マザコンだから女は手に掛けないかとおもいきや
それも裏切られてしまって、
見ている方としては
唯一の救いの場だったかもと思う場所もなくなり
どんどん気分も真っ暗になっていく。
しかし手に掛けた男は特別な感情も何もないようだが
女には愛があったような気がしてしまう。
本人的にも被害者的にも
この世のほうが地獄のようである。
んが~~、でもだからって殺人していいかって話ではないんだけどね。
殺人の恐ろしさやらエロさやら
存在の恐ろしい軽さなり残酷さなり、
とにかく満載でおなかいっぱいです!
もう食えないって気分。
ずいぶん前に見ていたらしく
はっきり覚えていたシーンを目にしてくっきり思い出した!
三国と倍賞のシーンなのだが
子供の時分でも覗いてはいけないものなのではないかと
感じたようで忘れられないシーンであった。
好きじゃない映画だが
あまりにも強烈なインパクトで高得点。
タイトルなし(ネタバレ)
いやー 緒形拳の存在感たるや!
撮影時40歳くらいだったと思うけれど
完璧に役をこなしている。九州の方言も完璧に聞こえるんだが。
詐欺と殺人を繰り返す巌の逃亡劇だけではなく
周りの人達の人間模様までしっかりと描き
人を殺した手を自分のオシッコで洗い流し
その手で柿をもぎって食べる、、
そして渋くて吐き出す!
殺した弁護士を隠したタンスの扉が何度も開いてしまう
恐ろしい殺人鬼なだけでなく
滑稽な人間であるさま
無防備な愛人を手にかけるシーン
とにかく好き
粛々と罪を重ねる犯罪者を圧巻の演技で魅せる重厚な作品です。
池袋の「新文芸坐」で今村昌平監督作品特集で「楢山節考」と共に上映されていて観賞しました。
で、感想はと言うと、昭和の香り漂い、どっしりとした重厚な作品。
今から50年以上前に実際に起こった犯罪事件をモデルとした作品で、犯人の前代未聞な犯行に「希代の殺人鬼」「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」「悪魔の申し子」と形容されたとの事ですが、こういう言い回しを聞くと改めて「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもんだと思います。
そんな事件の犯人の犯行の軌跡と人間像に迫るストーリーは見応え十分。
なんと言っても1番の見所は緒形さんと三國連太郎さんの共演シーン。ここに倍賞美津子さん、ミヤコ蝶々さん、小川真由美さんが絡んでいき、濃密かつ重厚でいて、淡々と粛々と行われる犯行に何処か哲学的な薫りを漂わせます。
個人的にはフランキー堺さんがなんか嬉しい。
ああ言った何処か飄々した俳優さんって少なくなりましたね。
緒形拳さんの淡々として、沸々と殺人鬼、榎津巌を演じていますが、この榎津巌が殺人事件を起こす動機が淡々としすぎてて、登山家が「何故、山に登るのか? そこに山があるから」の理由よろしくとばかりに殺人を犯していく。
父親に対する当て付けとも言えますが、普通に人を殺めていくのが怖い。
殺人犯の心境なんてそんなもんだと言えば、そんなものなのかも知れませんが、当時としてはこのシリアルキラーな描写はショッキングでしたでしょうね。
後半から心を通わしていく小川真由美さん演じる浅野ハルに正体がバレてからが抜群に面白い。
開き直る訳でもなく、かと言って縮こまっている訳でもない。もう淡々と粛々としていて、ここに清川虹子さん演じるハルの母親で過去に殺人を犯した事のあるひさ乃との3人会話はツボ。
食事のシーンとかは名優の真骨頂です。
また、清川虹子さんとの人を殺めた経験のある者同士の会話の探り合いも榎津巌の人物像を深める上でも重要な場面かと思います。
緒形拳さんが物凄い存在感があるのにそれをひた隠すんですが、それでも存在感が滲み出るんですよね。
高倉健さんや菅原文太さんなんかもそうなんですが、もうこの手の俳優さんは今後出て来ないでしょうね。
巌の妻で義父の鎮雄と心通わす倍賞美津子さんがなんともエロい。
また、鎮雄役の三國連太郎さんはやっぱり圧巻の演技を魅せてくれます。
殺人と詐欺を繰り返し、かと言って必死に正体を隠す訳ではない。捕まってからも淡々と自身の罪と刑を受け止める巌に死刑の判決が下され、遺骨を山頂からばらまくシーンは鬼気迫る物があります。
台詞だけでは絶対に完結しない父と息子の葛藤の関係がこのシーンに込められてます。
今村昌平監督の想いと役者陣の熱が産み出した作品はやっぱり骨太とズッシリとした辛くも苦くて、何処か甘さを感じられる作品。
おこちゃまには分からない大人の作品で、今の歳になって、劇場で観れた事が改めてラッキーだと思いました。
こういう重要な作品は昭和らしいと言えば昭和らしく、いろんな映画を観る上でとても貴重な機会。
リバイバル上映が沢山されてますが、洋画の名作だけでなく、邦画の名作・奇作をこの機会に上映して頂ければと思います。
タイミングが合えば、是非如何でしょうか?
緒形拳
榎津がハルの母親を殺そうと階段を登ると、榎津の母親が加津子達の団欒へ入っていくシーン、凄い。
印象に残った台詞は、鎮雄が榎津に言った
「(お前は)怨みも無か人しか殺せん種類たい」
榎津が本当に殺したかったのは父である鎮雄だったが、殺せなかったのは宗教観からなのか。
ラストシーンは決して見逃せない
先頃、三国連太郎氏が亡くなられた。
晩年の三国さんは「釣りバカシリーズ」のスーさんのイメージが定着していたので、若い映画ファンの方々は、あのお親父さんが亡くなったのだと思う方も多いだろう。
しかし、90才を迎えられていた三国さんは芸歴60年を越えている為に、本当に名作出演数は数知れないが、私が特に印象に残っている作品の一つがこの「復讐するは我にあり」だ。
昭和30年代に実際にあった連続殺人事件をモデルにしてノンフィクション作家の佐木隆三が76年に「復讐するは我にあり」を発表し、たちまちベストセラーとなり、直木賞を受賞している。
平成になってからは日本も、アメリカの様に殺人事件のニュースが毎日TVニュースになるような時代になってしまったが、この事件が実際に起きた当時の日本は、もっとのんびりと平和な日々だった。
そして本作のラストシーンは、5人を殺害し、78日間も逃走し続けていた、殺人鬼である死刑になった息子の遺骨を山頂から、散骨するシーンで終わるのだが、その死刑囚の父親を演じていたのが、三国さんだ。
この連続殺人犯の巌は、父親との折り合いが悪く、互いに許しあえない間柄になったが故に、その屈折した幼少期の体験が原因となって、殺人鬼となったとされている。
言うなれば、その殺人犯人に最初の悪影響を与えたと言う父を、三国は確かな演技で時に緊迫感を持って、そしてまたある時は、気弱な偽善者を装うのだ。
一人の人間の中に内在する、多面性を見事に演じ分けている。
学生の時分に観た本作は、やたらと濡れ場が多い作品で、何となく映画館に自分が一人でいるのが、気まずかった記憶もある。
主人公巌を演じたのは緒形拳だが、この殺人犯は何故か、逃亡先の田舎旅館の女将ハルと本気の仲になっていくのだ。
そのハルを演じた小川真由美が殺害されるシーンが特に、生々しいと言うか、人はあんな表情で他人を殺害出来るのか?そして殺される女も、あんな殺され方を許してしまうのか?許すも許さないも無いのだが、このハルは、最初は巌に騙されていたが、ハルは巌が連続殺人逃亡犯である事を知ってしまったその後も己からこの巌との関係を続けていく。何時か殺される日が来る事を予期していながら、離れようとしない、そんなハルの生き方もまた謎のようで、その殺害のシーンが、学生時代の私には印象に残った。
今見直して見ると、人間の深い悲しみと寂しさと言うものが理解出来るのか、この2人の気持ちが良く解る。とは言っても殺人鬼には決して同情は出来ない。
しかし、一人の人間の中で蠢く善と悪のこの不可思議で相反する矛盾した気持ちを抱えながら、日々生きている人々の気持ちは今では良く理解出来る。
その人の恐さが、この作品には溢れ出ていて、いかにも、他人事では無く、身近に有る出来事の様に思える恐さが、滲み出た面白い作品だった。
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