「【神に見放された、倫理観の欠片も無き連続殺人鬼の男及び、彼の周囲の鬼達を描いた気持ち悪き事限りなきシーン満載の、昭和情念ドロドロ映画。神の怒りを示したラストシーンは衝撃的です。】」復讐するは我にあり NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【神に見放された、倫理観の欠片も無き連続殺人鬼の男及び、彼の周囲の鬼達を描いた気持ち悪き事限りなきシーン満載の、昭和情念ドロドロ映画。神の怒りを示したラストシーンは衝撃的です。】
ー 今作の連続殺人鬼の榎津厳(緒形拳)のモデルとなった男の事件は、大学の授業で知った。率直にその男は人間の皮を被った獣だと思った事件であった。
だが、この作品を観ると、今村昌平監督が何処までアレンジメントしたのかは分からないが、榎津厳が何故にあのようなサイコパスになったのかは、敬虔なクリスチャンである彼の父である榎津鎮雄(三國連太郎)を観ていると、分かる気がした。
二人は、神を信じないモノと、信じるモノと言う二極対立で描かれているが、私にとっては鎮雄が、劇中で言うように”同じ汚れた血が流れた似たモノ親子”ではないかと思ったのである。-
■日豊本線・築橋駅近くでタバコ集金人、柴田(殿山泰司)と馬場(垂水悟郎)の頭をカチ割られた惨殺死体が発見され、かつてタバコ配給に従事した榎津厳(緒形拳)が容疑者として浮かぶ。
数日後、榎津は宇高連絡船甲板に自殺する辞世の句を残して失踪する。
だが、これを偽装と疑った警察は、別府にある榎津の実家を訪れる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・実に気持ちが悪い映画であるとともに、昭和の女優さんって、ホント身体を張った演技をしていたのだなあ、と思う。
ここで言う昭和の女優さんとは、榎津厳の妻加津子を演じた倍賞美津子さんと、京大教授を名乗る榎津厳を営む宿に泊め、それが嘘であり連続殺人鬼と分かっても泊めていた浅野ハルを演じた小川真由美さんである。
・榎津厳の妻加津子は、巌が逃亡する前から義父の榎津鎮雄に思いを寄せ、裸体で同じ温泉に入り、身体を預けている。更に”お父さんの口の周りの涎も舐め取ります・・。”などと言うのである。情念ドロドロである。
・浅野ハルを演じた小川真由美さんも、母のひさ乃(清川虹子)が殺人事件を起こし、15年刑務所に入っている間に一人で宿を切り盛りしていたために婚期を逃すも、旦那(北村和夫)を持ち、情を交わしている。
更には、巌と一緒に行った映画館での予告編(昭和の映画館って、未解決事件の映像など流していたんだ。映画泥棒じゃなくって。ビックリ!)で彼が連続殺人鬼と分かった後も、宿から追い出す訳ではなく、抱き合って結局絞殺されるのである。コレマタ情念ドロドロである。
・榎津厳を演じる緒形拳の演技も、相当に気持ち悪い。(褒めてます。)機械的に、何の躊躇もなく柴田と馬場を殺すシーンから始まり、京都大学教授、弁護士と職を偽って詐欺を重ねていく中で知り合った河島弁護士(加藤嘉)を殺し、箪笥に入れて釘で戸を打ち付けて行く姿。まるで、淡々と作業をするような姿である。
・浅野ハルの母のひさ乃を演じた清川虹子さんも凄い。連続殺人犯と分かった巌を警察に通報する訳でもなく、一緒にボートレースに行っているのである。何処かがオカシイのであろう。そして、彼女も又巌に殺されるが、彼は浅野家の旅館の金目の物を質屋に売った時に、ひさ乃の指輪も無造作に外して売るのである。ウワワワ。
<ラストシーンがコレマタ凄い。夫婦の様な巌の父榎津鎮雄と、巌の妻加津子は、二人で仲良く絞首刑になった巌の骨をキリスト教が伝来した長崎のロープウェイで登った山の上から海に向かって投げるのだが、その骨は神が拒絶するかの如く、海には落ちずに宙で止まるのである。最後、鎮雄は骨壺も投げるのだが、それも宙で止まるのである。
今作は、神に見放された、倫理観の欠片も無き連続殺人鬼の男及び、彼の周囲の鬼達を描いた気持ち悪き事限りなきシーン満載の、昭和情念ドロドロ映画なのである。>