「春の終わりのエレクトラ」晩春 ipxqiさんの映画レビュー(感想・評価)
春の終わりのエレクトラ
ゆったりしてるのに、びっくりするほど無駄がない…
けっこうビターな通過儀礼の話。しかもじわじわ、ヒタヒタくるタイプの。
諸事情から実家を出たがらない娘(原節子)のモラトリアムを、父はじめ周囲が終わらせようと躍起になる。娘はかなり頑強に抵抗するのだが…という話。
これ父が笠智衆じゃないと成り立たない気がするので、実質的なヒロインは笠智衆では?
「東京物語」における原節子は、おそらく永久にこの状態なんだろうなー、と思わせる現実感のないキャラクターで、笠智衆たちは心配するふりをしてそのモラトリアムを愛していた。
その点この「晩春」の原節子はそれに全力でケリをつけることを求められており、ストレートな成長譚の主人公になっている。
清水寺でノリコたちのシーンの終わりで、画面を女学生の集団が横切る。
これから春の盛りを迎える人たち、つまり主人公の「春の終わり」を強調するための対比…鳥肌が立った。
観客は知っている。リアリストの叔母さん(杉村春子)言うところの「きれいなお嫁さん」はしょせん一瞬の状態で、その後にはただ無情な現実が続くってことを。結婚が女の幸せなんて欺瞞だし、下手すると地獄の始まりかも知れないってことを。
なぜなら前半で出戻った友人にその経緯を語らせ、あらかじめ観客に提示してあるから。
一見ただの家父長制全肯定のようで、けっこうモダンな視線が入ってるんだよねー。
まあ確かに生活ぶりは割とリッチで現実感はないけど。
あと「壺」の意味は「百万両の〜(山中貞雄)」説がおもしろかった。
精神分析的な解釈以前に、あの場面の原節子は強い決意を感じさせるし、その後の流れからして、言えない本音を床の間に置いてくることにした、って感じかなぁ。
つまり棚上げ、封印、途絶の象徴としての壺。活けられた花が枯れても、壺は変わらずにそこにある。
もしそこに亡き山中貞雄への思いが重ねられてるとしたら…もう何も言えないですハイ。