劇場公開日 1958年1月15日

「原作をはるかに超える傑作」張込み(1958) KIDOLOHKENさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 原作をはるかに超える傑作

2025年12月13日
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野村芳太郎といえば、松本清張原作の映画としては他に『砂の器』や『疑惑』がよく知られている。しかし、正直に言えば、私はその二作を特別おすすめしたいとは思わない。どちらも評価は高いが、個人的にはあまり面白いと感じなかった。
野村芳太郎作品としても、松本清張原作映画としても、私が本当に勧めたいのはこの『張込み』だけである。そして注目すべきなのは、本作もまた橋本忍の脚本**によって支えられているという点だ。

私は映画ファンであると同時に、日本の推理小説の熱心な読者でもある。特に1985年から2015年にかけての日本の推理小説は非常に水準が高く、これまでにおよそ300冊ほど読んできた。その中で、間違いなく傑作と呼べるものが50冊ほどある。さらに遡って、松本清張の作品も5冊ほど読んでいる。
その経験から見ると、『張込み』の原作短編は、決して突出した傑作ではない。短編集の中にぽつんと収められ、特に強い印象を残さず、読み流してしまってもおかしくない作品である。実際、私が原作を読んだときには、すでに映画版を観ていたため、「もしこの映画を知らずに読んでいたら、どう感じただろうか」と考え込んでしまった。

つまり、この作品がこれほど印象的な映画になったのは、原作の力そのものというより、それを“映画にすれば化ける”と見抜いた橋本忍の眼力によるところが大きい。何気ない短編の中に潜んでいた可能性を見逃さず、映画として再構築した脚本家の力量には、ただただ感心させられる。

とはいえ、私は決して松本清張を低く評価しているわけではない。松本清張は紛れもない量産作家であり、量産作家には量産作家としての使命と宿命がある。彼はこの『張込み』を書く際にも、橋本忍が脚本で掘り下げたのと同質の思いを、間違いなく込めていたはずだ。
ただ、それを徹底的に洗練させるだけの時間や紙幅が、彼にはなかったのだろう。
その“未研磨の原石”を、映画として磨き上げたところにこそ、本作の価値がある。

KIDOLOHKEN