バトル・ロワイアルのレビュー・感想・評価
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もう少し狂気さが欲しかった
記憶が正しければ当時国会で挙げられるほどの問題作であったと認識しております。
今の時代に見れば普通に感じましたが当時は確かにこのような過激な内容の映画はなかったと思います。
こういう生と死を賭けた内容の作品はやはり狂気さが必要だと思うのですが、本作はちょっと足りなかったかな。
殺し合いしているのに「大丈夫か?」のセリフはちょっと吹いてしまいました。
序盤に出てきたビデオのお姉さんは宮村優子だったんですね。
前田亜季が石川佳純に見えました。
銃撃音はハリウッド映画並みに良かったです。
世紀の問題作、25周年記念で再上映
製作25周年記念再上映にて。
【イントロダクション】
高見広春による同名原作小説を、『仁義なき戦い』シリーズの深作欣二監督により映画化。脚本は、監督の息子・深作健太が手掛けた。
出演は藤原竜也、前田亜希、山本太郎、安藤政信、栗山千明、柴咲コウ、ビートたけしら。
【ストーリー】
新世紀のはじめ、ひとつの国が壊れた。経済的危機により完全失業率15%、失業者1,000万人を突破。自信を失くし、子供達を恐れた大人達は、やがてある法案を可決した。
「新世紀教育改革法」“通称:BR法/バトル・ロワイアル”。
年に一度、全国の中学3年生の中から選ばれた1クラスに、コンピュータ管理された脱出不可能な無人島で、制限時間3日間の殺し合いを強いるという法律である。生き残れるのは、最後の1人となった優勝者のみで、制限時間内に決着がつかなかった場合は、首にはめられた小型爆弾で全員が殺処分される。
今回の参加校は、香川県城岩学園中学3年B組。生徒達は修学旅行だと騙されてバスに乗車。催眠ガスで眠らされ、無人島に拉致された。廃校となった木造校舎の教室で目を覚ました生徒達。彼らの前に、B組の生徒達が1年生の時に担任を務め、生徒の1人である国信慶時にナイフで切られて以降休職していたはずのキタノが軍人達と共に現れる。
「今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」
事態を飲み込めず、生徒達が混乱する中、キタノはビデオでのルール説明を開始する。見せしめとして国信と女生徒が犠牲となり、教室は完全にパニックに陥る。
やがて、全てのルール説明が終わると、生徒達にサバイバル生活で使用するバッグが支給される。その中には、水と食料、地図、コンパス、懐中電灯、そしてランダム支給の武器が入っている。また、島には1日数回、時間毎に禁止エリアが指定され、時間内に脱出出来なかった生徒も爆弾で処分されるという。
出席番号順に次々と生徒達が呼び出され、修学旅行用にと持ってきた私物と、支給バッグを手に島に散って行く。
主人公・七原秋也は、死んだ国信が密かに想いを寄せていた中川典子を守る為、転校生の川田章吾と協力して、島からの脱出を目指す。
生き残る為に他人を殺害する生徒、絶望して自ら死を選択するカップル、争いを止めて協力を求める生徒、島のシステムにハッキングし、爆弾を解除しようとする生徒、快楽殺人に興じる転校生と、それぞれが様々な思惑を胸に3日間のデス・ゲームが進行していく。
【感想】
原作未読。映画化に際して削除・変更されている部分も多々ある様子で、“新世紀教育改革法”という名称も、原作では“戦闘実験第六十八番プログラム”だという。
また、作中での設定説明だけでは、本来の原作にある詳細な設定が把握しきれない。キタノが言う「(子供が)大人をナメてる」理由は、大人を頼れなくなった世界で子供達が暴走し、学級崩壊や家庭崩壊が各地で発生したから。学校でキタノが国信(ノブ)にナイフで切られたのも、少年犯罪の増加や校内暴力による教師の殉職が起きたことによるもの。
荒唐無稽極まりない設定、ツッコミ所満載のストーリー展開と、非常に荒削りな印象を受ける。しかし、まるでノコギリの刃でギコギコ斬られているかのような感覚を覚える本作は、カルト的な人気も頷ける。世界的にも様々な作品に多大なる影響を与えた事は、今日のフォロワー作品の多さが証明している。
ジュゼッペ・ヴェルディ作曲『レクイエム』の「怒りの日」で始まるオープニングが最高にクール。テロップによる世界観の説明、BR法の優勝者の少女の不敵な笑み、画面上下からせり上がり・せり降りてくる“BATTLE ROYALE”のタイトル表示までの一連の演出に、ガッツリと心を掴まれた。映画史に残る最高のオープニングの一つなのではないだろうか。
BR法のルールも非常に魅力的。支給される武器に当たりはずれがあり、中にはそもそも武器として機能しないものすらあるというランダム要素は笑いにも繋がる。
このランダム性を、今回の再上映での入場者特典である“支給武器カード”にした配給側の判断も面白かった。観客も彼らと同じ感覚を共有出来るのは素晴らしい。
私が支給されたのは、男子10番・笹川竜平の〈ウージー9mmサブマシンガン〉だった。すぐさまラスボスの桐山に掠奪され、彼のメインウェポンとして存在感を放っていた武器なので、意外と当たりかもしれない。それにしても、この世界の銃は殺傷能力低過ぎるだろ。
極限の状況下で、カップルで自殺する生徒が存在するというのは、若さ故の過ちとしてリアリティがあった。ただ、そういうカップルが複数存在するのだから、一組くらいはどちらかが相手を裏切って殺すという展開があっても面白かったはず。
女子ならではの、光子の生理を見抜いて襲撃してくるという生々しさも、過酷なサバイバル環境下での殺し合いという説得力があった。
禁止エリアで死亡する生徒が居なかったのは残念。禁止エリアを設定している以上、戦闘での負傷で制限時間内に脱出出来ず、無念の死を遂げる生徒が居ても良かったのではないだろうか。
【後のスター達が織りなすアンサンブル】
後のスター俳優達から政治家まで、今観ると出演者がとにかく豪華。皆、初々しく、端役の俳優の演技などは特に芝居掛かっていて、まるで学芸会なのだが、中学3年生という設定がそうしたチープさに「ある意味正解」という感覚を与えているから面白い。
本作の主人公である七原秋也役の藤原竜也は、後に『DEATH NOTE』(2006)や『カイジ』シリーズで大ブレイクを果たすが、この頃から『カイジ』や本作のようなデス・ゲーム作品である『インシテミル/7日間のデス・ゲーム』(2010)等に繋がる“理不尽な事態に巻き込まれる主人公”への適正を示していたのだと思うと感慨深い。ネットミームとなった「と゛う゛し゛て゛だ゛よ゛ぉ゛」の片鱗が垣間見えるのもポイント。
父の自殺によって大人を信じられなくなっているという背景を持つが、自分を残して首を吊った挙句、トイレットペーパーに無数に書き殴った“秋也ガンバレ!”という無責任な励ましの姿には、「そりゃ、大人を信じられなくなるよね」と同情する。
支給武器である〈鍋の蓋〉が、斧による攻撃を防ぐ事にしか使われなかったのは残念。紐で身体に括り付けて防弾チョッキの代わりにしてみても面白かったろうに。
ビートたけし演じるキタノの放つシュールさが、過激な本作において緊張と緩和を担っている。『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズのアスカ役、声優の宮村優子によるBR法の解説ビデオへのリアクション、校庭で一人BR体操を踊る姿、秋也に撃たれた後、娘からの着信でムクリと起き上がる瞬間は、完全にコントのノリ。
中川典子役の前田亜希の演技は、姉である前田愛と比較すると少々見劣りするが、童顔な顔立ちが中学生らしさに説得力を持たせている。典子もまた、秋也と同じく受け身タイプなので活躍の場が乏しく、更には争いを好まない良い子過ぎる設定が、個性豊かな他の女生徒の中で埋没してしまう要因になってしまっているのは勿体なかった。
栗山千明演じる千草貴子が良い。窮地にあっても日課のジョギングを欠かさない等、我の強さ、マイペースさがあるのも面白い。
「私の全身全霊を懸けて、あなたを否定してあげる!」は名言。
しかし、新井田から「お前処女だろ」と言われて頭に来た際の「カッチ〜ン」や「神さま〜」という芝居掛かった台詞は少々冷める。
相馬光子役の柴咲コウの演技は強烈。江藤の隠れ家を訪れた際の、懐中電灯で下から顔を照らす姿は完全にホラー。
「私はただ、奪う側に回りたかっただけなのに…」
絶命する際のこの独白や、男子に身体を許して油断させ返り討ちにする姿は、彼女がこれまでの人生で周囲の男性(特に大人)からの性的虐待を受けてきたであろう事や、複雑な家庭環境を想像させる。
塚本高史演じる三村信史は、ゲームシステムをハッキングするという中学生離れした活躍を見せる。彼が持ち込んだ「腹腹時計」という教本が実際に存在するというのは驚いた。爆弾の製造法やゲリラ戦の戦法が記されているそうで、三村のハッキングテク含めて、ここは特にファンタジーをしていた。
実質的なゲームのラスボスである桐山和雄役の安藤政信は、台詞すら発さないが、殺戮を楽しむ狂気に満ちた演技が凄まじい。川田との最終決戦で見せた完全に「イっちゃってる」目つきは、強烈に焼き付く。ただし、桐山のキャラクターについては、殺人への好奇心からBRに参加した以外の背景が分からず、単なる快楽殺人者以上の掘り下げが無かったのは残念。
本作一おいしい役を演じていたのは、間違いなく川田章吾役の山本太郎だろう。今はもうすっかり政治家のイメージが付いてしまったが、味のあるいい俳優だなと驚いた。
前回大会の優勝者という設定から、とにかく戦闘から治療、料理に至るまで経験豊富な万能枠で、「ワシ、医者・コック・漁師の息子やねん」と、その時その時で立場がコロコロ変わる様子は面白かった。
【考察】
ビートたけし演じるキタノが放つ台詞の数々に、本作の本質があるように思う。
「人生はゲームです。皆は必死になって戦って、生き残る価値のある大人になりましょう」
キタノが生徒達に向けたこの台詞は、そのまま現代社会を生きる我々への痛烈なメッセージに感じられた。生まれた時から物質に満たされ、情報に満たされ、必死になって生きる事を忘れていやしないかと。
それは、ラストで真っ黒な画面に表示される“走れ。”の赤い文字にも言える。夢を持ち、目標を持ち、限られた人生における“若さ”溢れる時期を全力で駆け抜けろという事なのだろう。
「人のこと嫌いになるってのは、それなりの覚悟しろってことだからな」
人は簡単に人を嫌いになれる。それは、好きになるよりずっと楽なことだ。だが、時に他者への拒絶は、取り返しのつかない事態を招く事にもなりうる。もっと互いに歩み寄る努力をしてみても良いのではないかという事なのかもしれない。
説教臭くはあるが、過激な本作の底に流れているのは、至極真っ当なメッセージなのだ。
【俺は泣いたぞ、杉村弘樹】
作中、支給武器の探知機を手に、時に秋也を助け、三村グループを訪れと、影の功労者としての活躍を見せていた高岡蒼佑演じる杉村弘樹。
彼は、ずっと片想いしてきた琴弾加代子に会いたい一心で、過酷な殺し合いを生き延びてきたのだ。しかし、彼は琴弾の銃弾によって倒れる。絶命する直前、ようやく彼は秘めた想いを告げる。
「可愛いな、琴弾。ずっと好きだったんだ」
「どうして!?私達、一度も喋ったことなかったじゃない…」
琴弾は混乱し、そもそも何の接点もなかったはずの自分に、何故杉村が好意を寄せたのか理解出来ない様子。
その時、俺の心の中の藤原竜也が叫んだ。
「「「ど゛う゛し゛て゛だ゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ーー!!どうして杉村を撃った!!??」」」
バカヤロウッ!!世の中には“一目惚れ”ってのがあんだよ!!でも、杉村はそんな琴弾に会いたい一心で、死ぬかもしれない事を覚悟の上でやって来たんだぞ!!彼はずっと、声を掛けることすら出来ずに、想いを募らせながら琴弾のことを見つめていたんだと想像したら泣けるよ。
俺だって、つい最近フラれた半年片想いした相手は一目惚れで、まともに会話すらした事なかったよ!でも、向こうが辞めちゃうって知ったら想いを伝えずにはいられなかったよ!
だから余計に、杉村の最期に共感出来て、深く深く突き刺さって離れない。
可哀想な杉村。可哀想な俺。幸あれ。
【総評】
カルト的人気、後世の作品への影響力の高さも頷ける尖った一作だった。粗の目立つ脚本、学芸会かのような若い俳優陣の演技と、決して手放しで賞賛出来る作品ではないのだが、それでも一見の価値ある作品なのは間違いない。
それでは、悲恋の最期を遂げた杉村弘樹君のご冥福と、全ての叶わぬ恋心を抱えている人に幸あれと願いを込めて。合掌🙏
みんな若い
いつの時代も、旧世代の人間は、新世代の台頭に怯えている。
この国のテレビ界は、コンプラ・ポリコレを押し付けるZ世代のせいで、すっかりダメになってしまいました。
だからこの国の偉いオジサン達は相談して、この法律を作りました。
E.G.A法。
そこで今日は皆さんに、ちょっと「江頭」を体験してもらいます。
2025年3月に放送されたTBS「オールスター感謝祭」で、大暴れした江頭2:50。
逃げ惑う女優を相手に、半裸で追いかけ回し、女優永野芽郁は驚き泣き出す始末。
司会者やスタッフに羽交い締めにされながらも、江頭は舌を舐め回すジェスチャーで応戦。
これが、セクハラ芸だと批判され、SNSは大炎上。
昭和・平成のお笑いが、令和のお笑いの舞台で、全否定された瞬間だった。
同時に、羽交い締めされる江頭2:50を見ていたら、世の中を支配する空気感に一矢報いた反逆者として、
心の内で拍手喝采する自分がいた。
いつの時代も、旧世代の事象は新世代に否定される。
いつの時代も、旧世代の人間は、新世代の台頭に怯えている。
子供の頃、大人達がテレビのゴールデンタイムに「懐メロ番組」を視聴する事が、全く理解できなかった。
「なんで昔の歌なんだよ!」、「ミスチルとかドリカムを聞けよ!」と心底、思っていた。
今、オジサンになって気がついてみたら、自分は90年代に流行った歌や曲しか聴かなくなった。
2025年現在、流行りの曲の9割以上は、わからない。
良さもわからないし、歌手やグループの名前もわからない。
でも、オジサンとバカにされたくないから、こっそり一人カラオケに赴き、流行りの歌を練習する日々。
「ハレの日」にそれを歌唱を披露し、努力が報われるかと思いきや、
若者に迎合しているだの、若作りに必死だのと、結局は彼らから陰口を叩かれる始末。
オジサンはもう、疲れたよ。
昔、この映画を最初に観た時は、
「若者よ、世の中の不条理や理不尽と闘え」というメッセージの映画だと思っていた。
突然訪れる、殺し合いの舞台。昨日の友は今日の敵。なんて不愉快なバイオレンス映画なんだろうと思った。
でも、今もう一度この作品を観ると、藤原竜也や山本太郎らの主要学生側キャストよりも、
ビートたけし演じる担任教師「キタノ」の方に、自然と目が行くし、彼に投影し、共感している自分がいる。
壊れかけの国家が生み出したBR法、自信を無くした大人たち、という世界観や設定も、
公開当時よりも、経済が停滞し弱体化していく、今の日本の方がしっくりくる面があると思うし、
冒頭に指摘したように、昭和平成の、国として強かった頃に培ってきた価値観を持つ年代の人々が、
令和になって、あれはおかしかっただの、間違っていただのと、否定されはじめてる昨今の状況の方が、よりリアリティを感じる設定であるように思う。
そういう意味では、「殺し合いの法律」という表現以外は、無謀な設定ではないように思うし、
未来の日本国や日本人を取り巻く状況を象徴したような、警告映画の一種であるように思えた。
作品全般の完成度については、
展開で言えば生徒の数が多すぎて、ころころと死んでいき、
主要人物でさえ人間模様を描き切れていない、節操な感じは拭えず、脚本の稚拙さは否めないのは残念。
当時の撮影技術的な欠陥で、セリフが聞き取り辛く、
テレビで観るよりスマホで観た方がセリフが聴きやすいなど、難点は多々確認できる。
わざわざテロップで読ませるセリフのチョイスも、それを選ぶのか?という感じがして、ちょっとクサイ。
ただ、音楽の使い方だけはとても良かった。この作品は、物語の設定と音楽だけはとても良いのだと再確認。
役者陣も今見れば、あの人の若かりし頃はこんな感じだった、みたいなものも感じられる。
藤原竜也は、今も昔も叫んでいるし、
栗山千明や柴咲コウは、もうこの時点で完成されている俳優なのがよくわかるし、
山本太郎は、昔も今も権威や権力と闘ってるなあと思ったし、
安藤政信は、演じた残虐キャラクターと今のパブリックイメージが全然違うのも面白い。
冒頭のキタノが生徒たちに言う「今日はみなさんに、、、」は、モノマネやパロディで散々擦られる程に流行ったけれども、
個人的に、好きなセリフというか、刺さったセリフが一つだけあって、
それはキタノが、娘からかかってきた電話ごしに言う、最後のセリフ。
「人のこと、嫌いになるってのは、それなりの覚悟しろって事だからな。」
色々あって父と絶縁状態になった私には、これが一番刺さった。
親子の縁を切ることは、本当にそれなりの覚悟が必要だった。
お金のことも、精神的なことも、自分で全部、責任を背負う必要があった。
キタノの娘へのセリフは、そのまま私の父からの言葉でもあるように感じた。
あーこれはヤバい。
最後の最後に、泣いてしまった。
25年後の君へ。
戦争を経験した監督だからこそ生まれたエポックメイキング
当時のドキュメンタリーによると、幼き日の深作欣二は、【大人たち】から「米兵を殺せ、国のために死ね」と叩き込まれ、その言葉を疑うことなく信じていた。だが、敗戦が訪れると、彼らはその言葉を簡単に覆し、全く別の価値観を語り始めた。その豹変ぶりは、無垢だった深作の心を激しく揺さぶり、【大人たち】への激しい嫌悪、彼らが押しつけた価値観そのものへの反発が、深作の中で生涯ずっと燃えているのだという。
戦争の記憶と政治への不信。その痛みは、数年ごとに戦争を繰り返す欧米人には決して理解されることはないだろう。この映画は、だからこそ、独自の「日本の声」を持つ(海外批評家からも高評価を得ているが、深作の反骨精神と日本の歴史観に触れていない)
「バトル・ロワイアル」は、深作の描く壮大な様式美と、10代の刹那的な青春が炸裂する傑作だ。血に濡れた教室、友情が崩壊する中で響く銃声、愛と裏切り、そして生きたいという切なる祈りが込められている。
そして、「生の意味」と「理不尽な権威への抵抗」を問う壮絶な詩であり、青春という一瞬の輝きへの鎮魂歌だ。そして、その特別な価値を深く理解できるのは、一億玉砕を叩き込まれた日本人だけなのかもしれない。
おしいよなー
最初から最後まで、ただただ学生が死ぬ映画(そういう作品なのは理解している。)
学生時代、原作小説も読み、映画も見ました。
当時つまらなかった記憶もないが、結局なんだこれって記憶が有り。
歳を重ねた今、再度見たらまた違った感想になるのかと思ったが、、、
たいして変わらなかった。
原作もそうなのだが、キャラクターごとの過去や人間関係の描写がほとんど無いため、なんの感情移入もできない。
いまや、ゲームとして当たり前となったバトロワ、
それをあの当時先取りしていたと考えると作品としてどうのというより、単純に作者すげーなとは思う。
いまひとつ何か足りない作品
個人的にはあまり良作とは思えない。
なんか巷で再ブレイクしてるんで、観てみました。
決してつまらなくはない。時間返せや!ってなるわけでもないんですが、イマイチ物足りない。
最初に生徒が殺されたときは結構ワクワクドキドキだったんですが、飛ぶ鳥を落とす勢いでみんな死んでいくので、置いてかれた感じがしました。
結局この子達に思い入れがあるわけでもなければ、映画でそういったところが描かれるわけでもない。あー初めてみた子がどんどん死んでいくなーと…。(そういう映画だよと言われればそうなんだけど)
あと全体的に演劇を見ているようで、、。正直に申し上げると演技のレベルが低い。それなのに死体とか殺害シーンの描写は異様にリアル。このアンバランスさがキモい。
キタノがあのゲームを始めた動機も弱すぎるし、ロリかよって感じだし、あんなひどい目にあった主人公とヒロインは指名手配されるし…。
ツッコミどころが多すぎて、そしてそのツッコミをねじ伏せるくらいの魅力、面白さが自分には感じ取れなかったんで、この評価です。
2000年ってこういう時代だった
学生だった2000年を思い出した。
この映画が学校ですごく流行ったんですよね。
時々出てくるテキストとラストの謎展開が気になるけど、全体的な雰囲気がとにかくカッコいい。
ビートたけしの演技もカッコ良すぎる。惚れる。
子供に殺し合いをさせるという倫理観の無さ。
令和には放送出来なさすぎる。
闘うことと理不尽さと
意外に評価が高い人が多く、未視聴だったので見ることに。深作欣二監督作品だけあって、暴力と人情の葛藤の場面が多いと感じた。場面設定的には、昭和的な理不尽な展開。大人の言うことを聞かず、不登校や引きこもりも多く、我儘し放題での若い世代を恐れた年長世代がBR法を可決?親の承諾を得てBRを実施?普通に考えればあり得ない。彼らの所為ではなく、そのような社会を創った大人の責任だということで納得するはずはない。ただ、そこで突っかかっても仕様がない映画だ。
であれば、何を感じ取れるか?自分は、理不尽さと闘うことの大切さ、しかし、闘うことが目的になるのではなく、何を守るために闘うのかが問われるのだというテーマ性を感じた。最後まで生き残っていく生徒は、恐怖に駆られて殺人を犯すのではなく、自分が大切にしている友人や仲間のために闘おうとする。生きるに値する何かを守るために闘うのだ。
殺し合いの描き方としては、昭和的で漫画的な安易な展開だった。尺の問題はあるだろうが、あのように簡単に普通の高校生がすぐに殺し合うというのは起こりえないだろう。ある意味、やくざ映画の世界が、いきなり高校生の世界にお引越ししてきたような違和感を感じた。一人しか生き残れないという設定ならば、むしろ皆で力を合わせてバトルを運営している側と闘おうとするだろう。実際、そういう者たちが、最後の方まで生き残っている。
しかし、前回大会勝ち残りの川田が、首輪の外し方を知っていて、恋人を殺された恨みがあるのなら、何故、早くにその知識を皆に知らせて、共闘して権力側と闘おうとしなかったのか疑問。船舶の操縦法、在りかまで知っていたのに。
担任のキタノには、BRを行わせる積極的な理由があったので、現場監督を任されるのは理解できる。しかし、個人的な動機が、抽選にも影響しうるのかも。現実的に考えれば、全国の中学校から抽選で選んでいるのなら、さすがに忖度や賄賂等が横行しそう。普通の教師ならば、このBR法には猛反対するだろうし、命を持って抗議する教師も出そう。すると、選ばれて問題が小さい学級、教育委員会の査定などが影響するだろうから、やばつない話になるだろう。
生徒同士の殺し合い故に、やくざや戦争映画、エイリアン物と違って、身近なあり得る世界なので、生々しく、見るに堪えない映画となっている。より感覚的な所が刺激されて、より暴力度が増すのだ。それで、問題に感じた大人たちが騒いで、国会でも取り上げられたのだろう。
この映画に、より積極的な意味を見出すとしたら、平和な世界に埋没せずに、前に向かって「闘え」ということだろうか。本来は、生存競争のために闘う本能が備わっているはずの人間なのだが、闘うことを忘れた、或いは闘うことを忘れさせられ、去勢された人間に対しての強いメッセージ性があるということだろうか。
自分的には、あまりお勧めできない映画。
今から皆さんにはちょっと殺し合いをしてもらいます映画NO1
「今から皆さんにちょっと殺し合いをしてもらいます」
ちょっと、、、?
殺し合いってそんなちょっとするもんなの?「ちょっと市のアンケートに答えてください」くらいの温度感で
そりゃあ「殺し合いやるぞぉぉぉぉぉぉぉ!!!!うらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」も嫌だけどさ
もうちょっと塩梅あったでしょう
僕が通ってた中学校のクラスにBR方適用されなくてよかった。決まってたら転校したか仮病で休んだ
好きなキャラランキング
三位 安藤政信→結局クラスの8割くらいこいつが殺したんじゃねえかっていうバトロワ一億円プレイヤー
二位 栗山千明→「かっちーん。神様この男今なんて言った?」って言っちゃうトレンディ感
一位 柴咲コウ→いくらんでも殺しの腹の決まり方が異様に早い。しかも飛び道具じゃなくて斧で殺して相手の肉感とかもモロに感じるスタイル。斧の捌き方がその辺の木こりよりうまい
藤原竜也は終始あわあわしてるだけだった
あまりにも暴力的な本すぎて社会問題になり、国会でも話題が上がったらしい
国会がステマはしないと思うし、最高の謳い文句になったよね。大臣に帯書いてもらえよ!
映画は人生を導いてくれる作品だけじゃなくて、こういう社会では発散できない暴力性の吐口となる作品も必要だなと思う
ただ僕はここまで昂ってない
そりゃあ人を思いっきり殴ってみたい気持ちはあるにはあるけど、スタンガンで弱った相手を斧と機関銃で息根をとめるほどではない。
柴咲コウはそうかもしれないけど僕は違う
魅入ってしまう設定と展開
こんな映画が上映されていたかと思うと、そりゃ話題にもなるよね。
昔だからできたのか、昔だから話題になったのか。
いまやデスゲーム先進国の現代日本なら、意外とすんなり受け入れられてたのかな。
というか、この映画がそれらの草分け的存在なのかな。
藤原竜也さんはさすがで、カイジやらデスノートやら、クセ強いキャラばっかり。ただ、劇中の回想で小学6年生設定のシーンがあるけど、それはさすがに無理がある。
原作は未読だが、漫画版は読んだ。
超人漫画になってる漫画版は、かなりアレンジされているが、死んでいく登場人物をしっかり描いてくれる。
映画版は尺の関係でみんなあっさり死んでいく。
感動的なエピソードもいっぱいあるけど、仕方ない。
個人的に、相馬と滝口と旗上の展開は見たかった。
全裸で死んでいる男2人のシーンがちらっと映るが、そういうことなのだろう。
今や政治家の山本太郎さんは、きっとバトルロワイアルを2回もやらされて精神を壊したのだろう。
冒頭で前回の優勝者のシーンが流れる。このことから、優勝したらメディアも注目して報道するはずなのに、なぜか今回はそれがない。なんで?
クラスの生徒全員に授業ボイコットされるなんて、教師辞めたくなるね。
戦闘ゲームの走り⁉️
ファーストシーンで自衛隊の輸送機に乗り、
「バトルロワアル」の優勝者=たった1人の女子学生が帰還する。
マスコミは称賛を込めて迎えてるかに見える。
ところが映画をお終いまで観ると、
【映画のラスト】
生き残った男子学生と女子学生の2名は、指名手配されて
犯罪者扱い。
これはどー言うこと!!
勝ち抜いたと報告しないで、逃亡したから、指名手配に
なったのでしょうか?
なんかよく分からない。
BR法(バトル・ロワイアル法)は国が制定した法律なのでしょ。
なら勝者の2人は何故指名手配されるのか?
小説「バトルロワイアル」は1999年4月21日発行。
ベストセラー(100万部)を受けて翌2000年12月6日
深作欣二が監督して映画化され公開された。
本は「有害図書」、映画は「有害な映画」として国会でも審議されて、
R15指定で、それでも擦ったもんだの末、公開された。
そのBR法ですが、新世紀(いつ?)の日本、失業率15%、
失業者1000万人、不登校80万人(昨年統計は小・中合併せて30万人弱)
それで大人が子供を恐れていて(?凶暴化でもしてたの?)
それで子供同士の殺し合いを法令化して、
バトルロワイアルで子減らしをする?
意味わかんねー!!
印象に残った所。
①藤原竜也が美少年だった(17歳位)
②前田亜希は普通だった(見た目も演技も)。
③山本太郎(現・れいわ新撰組代表・参議院議員)が準主役の
重要な役を演じていた。
④教師役の北野武は無責任な不気味な男だった。
⑤栗山千明は当時15歳なのに脚が長く、大人っぽくて本物の美人だった。
番外
2004年に起きた「佐世保小6女児同級生殺害事件」の
加害少女の愛読書で、かなり影響を受けたとみられる。
今ならフィクションと笑って済まされるが、
当時は真面目にとらえられた。
深作欣二監督の思いが迸る、異色の傑作映画
深作欣二 監督(1930生まれ)による2000年製作(113分/R15+)の日本映画。
原題:Battle Royale、配給:東映、劇場公開日:2000年12月16日。
「仁義なき戰い」シリーズに「蓮田行進曲」と、深作監督は大好きな監督の一人である。とは言え、初回視聴では扱った題材の特殊性にかなり戸惑った部分もあった。しかしながら、2度目の視聴では、『共闘して理不尽な権力と闘え!』という監督の熱いメッセージ性を感じて、深い感動を覚えた。尚,原作小説は読んでいない。
中学生同士に殺し合いをさせる政府という設定に、互いに密告しあう住民社会を形成した大日本帝国の統治方法をイメージさせられた。中学生たちは、知恵も力も乏しい市井の一般的な人間達の象徴かもしれない。政府の誘導で、友達同士だったはずなのに、いとも簡単に、互いに攻撃し合う子供達。灯台での、事故的な死亡をきっかけとする銃乱射による女生徒たちの殺し合い描写が、何とも痛ましく凄まじい。権力に対峙する知力に乏しく信じる能力も欠いた連帯には、死しかないのか。
政府のイメージ通りに1匹狼で闘う優等生!?、転校生桐山和雄こと安藤政信(当時25歳)、相馬光子こと柴咲コウ(当時10代)の殺戮描写が凄まじい。セリフは一才無く、問答無用に機関銃で生徒達を殺戮しまくる安藤の姿は実に強烈であった。そしてそれ以上に、切れ味の良さそうなカマを武器に次々と同級生を殺していく美しい殺人鬼柴咲に圧倒された。獲物?を見つけたときのニヤッという恐くて怪しい笑みが、頭にこびりついて離れない。
瀬戸、飯島と協力して、政府側コンピューターをハッキングし更に爆弾も作って権力に対抗しようとした三村信史演ずる塚本高史(映画初出演とか)も、知力と3人の協力体勢で最後の方まで生き残り、印象的であった。残念ながら、狂信者の安藤政信にやられてしまうが、権力有する敵を倒すことのみに集中しすぎた報いということなのか?悲しい結末であった。
七原秋也(藤原竜也)と中川典子(前田亜季)の主役2人に渡された武器が、「鍋の蓋」と「双眼鏡」というのも、一般市民の持てるもの、即ち自分を守る術と積極的情報収集を象徴している様で、興味深かった。彼らは、強力な武器を持つ川田章吾こと山本太郎(当時25歳)と共にいることで、最後まで生き残る。首輪の外し方も事前にコンピューターに侵入して知っていて、最後の一人となったと政府側を騙す準主役の山本、とても魅力的な俳優であったことを、初めて知った。
主役2人も、とても素敵であった。最後、法に反して二人共生き残った結果、全国指名手配になった2人が渋谷駅前で走る姿で映画は終わるが、その前の藤原竜也の表情がバトル・ロワイアルを通じて一皮剥けた様な大人びた表情で、10代ながら流石藤原達也と唸らされた。
彼の独白「今俺たちはお互いに武器を持っている。いつか、それをまた使う時が来るとして、俺たちはやっぱり迷いつづけるのだろう。それでも俺たちは今よりもっと前に進まなければいけない。何処まででもいい、精一杯走れ」。そして画面に赤い大きな『走れ』の文字、そしてギターのコード音。深作監督にとっては、現政府も闘う相手ということか。カッコイイ演出だ、そして熱さを感じた!
ヒロイン役前田亜季は、どういう存在だったのか?あのバトルの中で、山本太郎と二人きりの状態で、他人の善意を信じ切って寝入っている美少女。監督の分身であろうタケシがバトル中も特別扱いして見守り、深く愛している様な存在。そう、この映画では、中学生に仮託して、様々な大人の男女の恋愛模様が盛り込められた様にも思えた。その中でも、銃を所持しながら水鉄砲発砲で自らを命をも犠牲にして、前田亜季の命を救ったタケシの姿に、深作監督の自身の愛人に対する、あられも無い深い純愛が込められていると思ってしまった。
監督深作欣二、原作高見広春、脚本深作健太、製作総指揮高野育郎、企画佐藤雅夫、岡田真澄、鎌谷照夫、香山哲、プロデューサー片岡公生、小林千恵 、深作健太 、鍋島壽夫、協力プロデューサー麓一志 、富山和弘 、加藤哲朗 、大野誠一 、松橋真三 、竹本克明、撮影柳島克己、照明小野晃、録音安藤邦男、美術部谷京子、装飾平井浩一、衣装江橋綾子、特殊メイク
松井祐一、劇中画北野武、VFXスーパーバイザー大屋哲男 、道木伸隆、編集阿部浩英、音響効果柴崎憲治、音楽天野正道、音楽プロデューサー山木泰人、主題歌Dragon Ash、アシスタントプロデューサー小林勝江 、藤田大、製作担当田中敏雄、監督補原田徹、スクリプター牧野千恵子、スチール原田大三郎 、加藤義一。
出題
七原秋也藤原竜也、中川典子前田亜季、キタノ北野武、川田章吾山本太郎、桐山和雄安藤政信、相馬光子柴咲コウ、千草貴子栗山千明、三村信史塚本高史、杉村弘樹高岡奏輔、国信慶時小谷幸弘、内海幸枝石川絵里、野田聡美神谷涼、琴弾加代子三村恭代、瀬戸豊島田豊、飯島敬太松沢蓮、新井田和志本田博仁、元渕恭一新田亮、江藤恵池田早矢加、清水比呂乃永田杏奈、北村雪子金澤祐香利、日下友美子加藤操、榊祐子日向瞳、谷沢はるか石井里弥、松井知里金井愛砂美、中川有香花村怜美、沼井充柴田陽亮、笹川竜平郷志郎、黒長博増田裕生、
月岡彰広川茂樹、金井泉三原珠紀、小川さくら嶋木智実、山本和彦佐野泰臣、赤松義生日下慎、大木立道豪起、織田敏憲山口森広、倉元洋二大西修、旗上忠勝横道智、滝口優一郎内藤淳一、稲田瑞穂木下統耶子、南佳織関口まい、矢作好美馬場喬子、天堂真弓野見山晴可、藤吉文世井上亜紀、前回優勝者の少女岩村愛、慶子美波、レポーター山村美智、バスガイド深浦加奈子、ビデオのお姉さん宮村優子、安城三尉竜川剛、七原の父谷口高史、林田先生中井出健、スタントイン芦川誠、キタノの娘(声)。
悪趣味なので受け付けなかったです。私も“つまらない”常識人だったのかな?でも前田亜季かわえぇ♡\( ̄∀ ̄*)オイオイ
「おまえら大人ナメてんだろう!」
「ナメんのはいいよ。けどな!これだけは覚えとけ!人生はゲームです。みんなが必死に戦って、生き残る価値のある大人になりましょう!」
初っ端のこの台詞からもわかるように、本作って当時の若い子ら(ゆとり世代)への偏見から来る、恐れや憤りが制作の動機の根底にあるように感じたんですよね。私は。
毎度毎度のWikipedia情報からの引用によると、こうありました。
深作監督が、自身の戦争体験による「国家への不信」「大人への憎しみ」からインスパイアされたというような記述があるんですが、どうもしっくりこないんですよ。身の程をわきまえず辛辣に言うと「ウソつくな」よと。
当てずっぽうの決め打ちはよくないんですが。少なくとも私は、前述の自分の感想のように思いました。
ラスト近くでの元担任・キタノの独白もそれを裏付けていましたし。あの絵は武さんが描かれたのですね。やはりという感じでした。
てか、結局キタノってロリだったの?\( ̄∀ ̄*)オイオイ
あれだけ銃弾喰らっておいて、むくっと起き上がってクッキー食べるのは、ちょっと「ありえねー」と思って白けちゃったです。
キタノの最後の台詞の「人のこと嫌いになるってのはな、それなりの覚悟しろってことだからな」も、深作監督が、今時の若者たちを嫌ってることに対しての自分自身へのアンサーだと思ったの。
えっ、違う?最後まで決め打ちかよ!
本作は一部キャストにちょっと無理があったと思いました。
前田亜季=15歳の時←わかる。かわいいいし♡←ロリかよ!\( ̄∀ ̄*)オイオイ
柴咲コウ=19歳の時←微妙だけれど綺麗だから許す。\( ̄∀ ̄*)オイオイ
栗山千明=16歳の時←わかる。
藤原竜也=18歳の時←かなり微妙、男前だけに許せない!\( ̄∀ ̄*)オイオイ
山本“メロリンキュー”太郎=25歳の時←なんぼなんでもw→後の参議院議員・党代表。塞翁が馬。
(ポリコレ的にどうなん、こんな発言)
もう24年も昔の作品になるのですね。ついこの間のように思えるのに。歳取るの早いはずだわ。
キャスト一覧を見ていて「えっ!」となったのは、宮村優子もご出演だったのですね。ゲームのルール解説のビデオのおねえさん役で。全く気が付きませんでした。
藤原竜也、栗山千秋、柴咲コウの出世作だったそうですね。
本作は海外で、絶大な評価を受けていると知って驚きでした。
かのタランティーノが「ここ数十年で最も影響力のある映画の一つと考えている」「自分の作品だったらと思う唯一の映画だ」と述べていらっしゃったそうですから。
でも、私は個人的には厳しい評価になるかなぁ。
あまりにも悪趣味だったので共感できる部分がなかったんですよ。
「ヒャッハーヽ(^o^)丿」系映画は好きなんですが。それはあくまでも、単純な勧善懲悪物なんですよ。
小難しい理屈を抜きにしても、やはり子供同士で残酷すぎる殺し合いをするという設定が受け付けませんでした。
ラストも取ってつけたようなハッピーエンド(?)に思えました。
私も“つまらない”常識人なのかなぁ。
そして、やはりエンディングテーマソング問題にも触れておきますね。
ミスマッチで不要。。はっきり言って嫌いなんですよ。ヒップホップ系の音楽って。
「人のこと嫌いになるってのはな、それなりの覚悟しろってことだからな」ですよね(笑)
怒られる覚悟で書きました。
おふざけは抜きにして、せっかく劇中曲でモーツアルトやヴェルディやバッハの印象的な曲が使われていたのですから、それを流した方がよかったのに。権利関係で難しいのかな?
最後まで不満だらけのレビューで、高評価付けていらっしゃる皆さま、本当に申し訳ないです。あと何よりも、ヒップホップ系の音楽が好みの方々も。
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