「真のリーダーシップとは?」八甲田山 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
真のリーダーシップとは?
実際にあった八甲田山雪中行軍遭難事件をベースにした小説を映画化した映画。
Wikiによる八甲田山雪中行軍遭難事件と比べると、かなり脚色をしている。
例えば、Wikiを読むと、方位磁石を頼りに案内を断るという愚行は同じだが、天候急変となってすぐに青森歩兵第5連隊の将校たちは帰営を検討しているが、下士官たちの反対にあい帰営しなかったとのこと。次に帰営を決定した時には、すでにどちらに進めばよいのかわからず、迷走とある。また、上官による「八甲田山ですれ違わせる」と言う約束も、フィクションだそうだ。
原作となった小説は、組織論の教科書として、管理職研修に使われていたとか。
原作未読の為、Wikiに記載されている事件と、映画との比較しかできないが、上官の「机上の安易な口約束「八甲田山ですれ違わせる」等、組織の問題が強調されている作りになっている。
とはいえ、実際の遭難もなぜ順延できなかったのか。山の天気は変わりやすいとはいうものの、事件当日の天気は未だ観測史上破られていないほどの最低気温を記録するほどの寒気団が日本列島を覆っていたと言う。当時の気象予報では、その状況を把握できなかったのか?数年前の高校生が巻き込まれた雪崩事件のように、予定がぎっしりで順延できなかったのか。決められたことは決行しなければならないという日本人の真面目気質が仇になったのだろうか?映画では「八甲田山ですれ違わせる」という約束のために、順延できないことになっていたが。
予行練習が仇になった。
もし、天候が逆だったら、青森歩兵第5連隊も、もう少し慎重になっていただろう。「まるで、遠足みたいだ」。それが、気のゆるみ、弘前歩兵第31連隊との競争・名誉欲を掻き立てた。一つの成功例ですべてを判った気になってしまった。山田少佐もねじ込んでは来なかったのではないか。山田少佐に振り回される神田大尉だが、本当に雪の怖さを知っていたら、徳島大尉のように上官に逆らうような感じになっていても、もう少し粘ったのではなかろうか。津村中佐は計画に懸念を抱いていたのだから。だが、雪の恐ろしさを徳島大尉や村の村長から聞いてはいても、やはり、組織の流れにまかれるしかなかった。倉田大尉が美味しい立ち位置にいるが、山田少佐の暴走を止められなかった点では神田大尉と同じように組織の流れにまかれるしかなかった一員でもある。
他の山だが雪中行軍の実績がある徳島大尉の方が慎重だった。体験から来る提案を、机上の気軽な約束をした児島大佐への怒りをこめて説得。全滅も含めたあらゆる事態に備えて、準備する。
そんな二つの隊の在り方が、強調されて描かれる。
組織に必要な命令系統。
最近、政治や教育も含めて、様々なところで「リーダーシップ」が強調される。
けれど、真のリーダーシップとはどういうものなのだろうか。
様々な意見に振り回されて、リーダーが決定権を行使できないのも問題であろう。
”慣習”と言う名に阻まれて、必要な改革ができないのも問題であろう。
だが、周りの意見をきかないで、置かれている状況を鑑みないで、己の権限を押し付けるのは、真のリーダーシップなのだろうか?最近、そういうリーダーシップをリーダーシップと勘違いしている人が多くなっている。派手なパフォーマンスを、リーダーシップと勘違いしている人も多くなっている。
でも、と思う。
餅は餅屋。その土地で暮らすために必要な慣習や、専門家としての見地、経験に基づく知恵。そして、一人一人の持ち味。それらを活かせるかどうかもリーダーシップのあり方だと思うのだが。
そういう調整役はたいてい縁の下の力持ち。パフォーマンスとしては目立たない。特に仕事がうまく回るようなメンテナンスが主な仕事になると、うまく回っていることが当たり前になってありがたみが無くなる(主婦/主夫の仕事がこれに当たる)。
いろいろな人の意見を聞きながら調整していくと、とても回り道。成果が出るのに時間がかかる(徳島大尉が急ごしらえの小隊でリーダーシップを発揮できたのも、それまでの繋がり・評判等があったからであろう。志願者も徳島大尉の指揮下ならと言う人もいたであろう)。
成果主義を台頭すると、成功の業績に囚われ、山田少佐のような人物が暗躍する。
何か問題があれば、責任を取らされるのは管理職とはいえ、友田少将、中林大佐のあり方もムカついてしまう。計画の無謀さに対して後手後手。対ロシアへの訓練とするならば、上官がもっと”雪””寒冷地”に対して情報を集めてから下に投げればよいものを。しかも、成否に関しての評価も…。一見、部下の兵士を想う行動もあるが、その後の言葉に怒りを覚えてしまう。
そして、最後のテロップに流れる措置を誰が決めたのかはわからないが、理不尽の嵐が吹きすさぶ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
映画としては、とにかく映像がすごい。
このアングルはどうやって撮ったのかというシーンが目白押し。
実際に八甲田山が吹雪いているときに撮ったと聞く。俳優・エキストラ・スタッフに遭難者は出なかったのかと思ってしまう。水際のシーン。崖を登るシーンを上から撮っているシーン、下から、真横で撮っているシーン。脱落者がいてもすぐにわかるようにか、お互いの体を綱で繋げているシーンも。空撮から部隊に寄っていくシーン…。etc.
裸になって雪の中を転げまわるシーンやうまく服が脱げずに失禁してしまったシーンもある。崖を登り切れずに滑落していく兵士たち。それを演じられた役者さんがご存命かと確かめたくなる。雪に埋もれている北大路氏や新氏、佐久間氏は大丈夫だったのだろうかとも。棺桶に横たわっている土色の顔を出すために、寒い部屋にある棺桶に5時間横たわっていたというエピソードも…。
デジタル修復されたDVDを我が家で見たのだが、誰が誰やら。声や台詞で、今誰が映っていて誰が話しているのかを判断せざるを得ないシーンも続々と。軍人は皆同じ装いで、つららを垂らした雪だるまになっているので見分けがつかない。映像の良い映画館で見るべきであった。
それでも、力尽きた青森歩兵第5連隊の面々が地蔵かストーンサークルのように集まっているシーンや、進もうとしているのに風に押し戻されるシーンなど、雪と行軍だけの世界ではあるが、メリハリがついている。
その雪の行軍の合間に、青森の四季、子どもの日常が挟み込まれる。
DVDについていた橋本氏と若者の座談会によると、白黒の単調な映像にメリハリをつけたかったとのこと。美しい。そのシーンの主人公になっている少年は徳島大尉の子ども時代と言う設定らしいが、顔つきが神田大尉を演じられた北大路氏に似ているので、どちらの夢想か混乱もしつつも、それはそれで青森の豊かさ・力強さを見せてくれる。
だが、『砂の器』の演出を思い出させて、二匹目のどじょうを狙ったようにも見えてしまう。音楽も同じ芥川氏なのもその思いに輪をかけているのであろう。
役者は皆実力者が目白押しで安定の演技。
神田大尉を北大路氏が演じられているのは狙ったか。紅顔の美青年という趣で、悲劇さが倍増する。
秋吉さんは聞き取りやすい方言のイントネーション。緒形氏は見事な方言で聞き取りづらいが、東北感を出してくれる。『砂の器』でも事件のキーポイントであった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
映画として見ごたえはある。
でも、上にも記したような組織の在り方をはっきりと見せてくれるだけに、見ると、私の中のささくれが蘇ってしまう。
クライエントの命・人生・生活に関わる案件。
クライエント自身の意思や気持ちを、なんの根拠もなく、上司の都合で踏みにじる方針。長年そのクライエントと関わった人や専門家の意見も無視して、振り回す権限。
そんな理不尽な過去の仕事を思い出してしまう。
どうしたらよかったかと再考すると同時に、悶々として後を引いてしまう。
再鑑賞をついためらってしまう。
とみいじょんさん、
大変申し訳ありませんでした。
この映画の意図を同じように解釈されてると感じて、共感のコメントをさせていただいたつもりでしたが、ズレていたのですね。
私の一方通行でした。
余計なことを書いてしまって後悔しています。
お許しください。
とみいじょんさん、先刻ご承知のことを上塗りしてしまいましたね。すみません。
基本的には映画への解釈も同じだと思うので、コメントを頂いて、また同じことを繰り返しているだけでした(~_~;)
実在の人物をモデルにしているので、その背景には様々な事情や事実があったでしょうね。決して単純明快なものではないでしょう。
新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」は、実話に着想を得ているもののドラマティックに構成されたフィクションです。
それを、橋本忍ら脚本チームはさらに大胆に脚色して、映画として分かりやすく焦点を絞っていますね。神田大尉と徳島大尉のキャラクターは、意図的に明確な色分けがされたのだと思います。
私が言うのもおこがましいですが作品に対する分析力というか、また。その文章力にはただただ、感心させられました。
勉強させてもらいました。ありがとうございました。
長い間組織に属していると、人心掌握術というのか、人をコントロールする能力が重要なんだと思い知らされます。
多くは部下に対して必要だと思われる能力ですが、上司に対しても、取引先に対しても、有効な能力ですね。
「人望」で部下から信頼が厚かった神田大尉でしたが、徳島大尉の方がその能力に長けていたのでしょう。
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