劇場公開日 1948年8月24日

「第2回ヒロシマ平和映画祭の一環として上映された。 こういう、主人公...」蜂の巣の子供たち ROKUxさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0第2回ヒロシマ平和映画祭の一環として上映された。 こういう、主人公...

2018年7月14日
PCから投稿

第2回ヒロシマ平和映画祭の一環として上映された。

こういう、主人公が旅をする映画を「ロードムービー」と呼ぶのだそうだ。『蜂の巣の子どもたち』が興味深いのは、戦後まもなくの特殊な時期を舞台にしていることである。復員兵、浮浪児、駅舎、蒸気機関車、廃墟の都市、豊かな自然の風景など、その時にしか撮り得なかったものが、この作品には詰まっている。そしてストーリーも。

出演者はすべて本職の俳優ではなく、子役も、清水宏監督のところに寄宿する元浮浪児たちだそうだ。

この映画の撮影は1947年。終戦から2年しか経っていない年に、このような質の高い映画が作られたことにまず驚いた。
役者のセリフは硬いし構成も上手いとは決して言えない。だが、清水監督がこの映画にかけた「思い」はビンビン伝わってくる。観るものをぐいぐい引き込む力がある。そういう意味での質の高さである。

「国破れて山河在り」とはよく謂ったものだ。この映像を見ていて本当にそう思った。主人公の復員兵と戦災孤児たちが旅をする田舎の風景の美しいこと。海辺、川原、山や林。そして今はもう見られない塩田の場景。オールロケだ。
わが国が戦後の復興をなし得たのは、農村が荒廃していなかったからだと言っていい。逆に言えば、農山村から様々な資源を収奪することによってわが国は立ち直ったのだ。

また、この映画は「働く」ことの意味についても考えさせてくれた。
主人公の復員兵は、行く先々で「○○を××へ持って行けば3倍で売れる」などと、ヤミ屋を勧められるが、毅然としてそれを断る。額に汗して働くことにこだわる。

「おっちゃん、このサツマイモうまいな」
「サツマイモがうまいんじゃないんだよ。いっしょうけんめい働いたからうまいんだよ」

しかし実際現代の経済においてわれわれは恥も外聞もなく、労働力の安い国で生産し消費力の高いところで売るという、まさにヤミ屋的商売をやっている。それがどうした悪いかと言われれば返す言葉もないのだけれど。

エンディングは、なんだか唐突だ。旅の目的である厚生施設「みかへりの塔」は、「そこへ行きさえすればみんな幸福になれる」場所として描かれているが、それでいいんだろうかという気がする。ちょっと疑問である。

それから、サウンドトラックの録音状態が悪いのか、音声が聞き取りにくい個所があった。デジタル化(リマスター版?)とか、リメイクも考えられるのではないか。いや、ぜひリメイクをお願いしたい。

誰も好きこのんで孤児になったわけではない。わが国の歴史のそう遠くないある時期、戦争によって父母と別れなければならなかった子ども達がいたことを、しかしそれでも彼らは希望を持って生きていたことを、今の世に伝えるために。

ROKUx