野菊の如き君なりき(1955)のレビュー・感想・評価
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美しい信州の風景の中の「君」有田紀子‼️
この作品は「二十四の瞳」と並ぶ木下恵介監督の代表作です‼️15歳の男の子が2歳年上のいとこの女の子と愛し合うが、周囲の反対で結ばれず、女の子は別の家に嫁ぎ、ほどなく死ぬ・・・。老人となった男の子の回想という形で物語が進むのですが、ホント遠い昔の淡く悲しい恋の思い出をそのままフィルムに焼き付けたような作品‼️観てると自然と涙が・・・。回想シーンになると画面に白くぼかした額縁のようなものがかかって卵形になる‼️これぞタマゴスコープ‼️まるで古い時代の写真を見ているような気持ちにさせてくれます‼️舞台となる信州の風景がモノクロの画面とタマゴスコープによって美しく展開していて、その風景の中の「君」有田紀子さんの純真さがホントに胸を打つんです‼️主演の2人の演技もセリフなんか棒読みに近いんですが、それが逆にこの無垢な物語に真実味を与えているような気がします‼️そして老人となった男の子を演じる笠智衆さんの佇まいも、なーんか涙を誘うんですよねー‼️
野菊の「墓」としなかったタイトル変更に拍手
伊藤左千夫の小説『野菊の墓』を名匠・木下惠介が映画化した作品。どうでもいいけど『野菊の墓』ってのはあんまりにも直球のネタバレタイトルなんじゃないかと思う。「野菊」が何を指すのかわかった瞬間にそれがどういう運命を辿るのかわかってしまう。だから『野菊の如き君なりき』という、物語の主題は明確に表しつつもネタバレとは慎重に距離を取ったタイトルに変更した本作は偉い。
映画は小舟に乗った笠智衆の回想から始まる。そして記憶は流れる川のように滔々と、不可逆に進行していく。円形に真ん中をくりぬいた紙をカメラに貼り付けてるだけなんじゃないの?というくらい主張の強い白ビネットが回想の回想性をことさら強め、強固で狭隘な社会的因習に阻害される政夫と民子の悲恋を痛切に描き出す。ときおり笠智衆の声でその都度の感情を謳い上げた短歌が吟じられ、それが流麗な筆文字で画面に表示されるのも作品のメロドラマ性をさらに強めていた。
短歌という形で感情を外部化し、努めて平静を装っていた政夫だったが、流産による民子の死を知ると真っ暗な部屋で慟哭する。「私が殺しちまったようなもんだ」と懺悔する母に対しての「いつ死んだんだい?」という政夫の不慣れに上ずった叫び声が切ない。温和で心優しい彼を一体誰がここまで追い詰めてしまったのか?問いかけの視線を投げかけても、家の人々は互いに責任を押し付け合うばかりだ。ただ一人、婆さんだけを除いて。
婆さんは自分の結婚には後悔がないと、また民子が裕福な隣家へ嫁いでいくことそれ自体は嬉しいことだとしたうえで、民子本人の気持ちに思いを巡らせる。本当にこれが民子の選択なのか?私たちはこのまま民子を行かせてしまっていいのか?しかし彼女の倫理的問題提起は、保守性の穏便な継続を是とするムラ社会の因習にあえなく呑み込まれてしまう。被害者はいつだってか弱い若者と老人なのだ。
概して良質な作品だったが、木下作品にしてはモチーフの運用が少々大雑把な気もした。死んだ民子が今際の際まで政夫の手紙と竜胆(生前、彼女は政夫のことを「竜胆に似ている」と形容していた)を抱えていたなんてのはちょっとやりすぎだ。原作における「ラスサビ」の部分だから削ろうにも削れなかったというのはあるんだろうけど、クドすぎる。だったら長い回想が終わって現在の政夫が久方ぶりに民子の墓を訪れるあのラストシーンで、墓の横に偶然竜胆が咲いているのを発見する、みたいな描き方でよかったと思う。
ラストシーンで、視界を制約していたスコープがいきなりなくなるという秀逸な演出が見事
タイトルバックの出演の笠智衆、田村高廣、小林トシ子、杉村春子等の名前を観るだけで期待が高まります
ギターの悲しい音色が涙腺を緩めます
物語は1955年の現代から始まり、回想シーンを本編とします
回想は1897年の秋とその翌年の正月前後、春、夏、秋と進みます
悲恋の哀れな結末に涙させられます
確かに語られる悲恋は身分違いに因るものでしょう
しかしその当時でも周囲の助けが有れば絶対に乗り越えられなくも無い障害でありました
本人達があまりに若過ぎ、回りの大人達の下衆びた心根や人間性の欠如が悲劇を産み出したのです
それゆえに大人になって子供をもつ歳にもなると、刺さる痛みも違ってきます
複雑な味わいを醸し出す名作だと思います
回想シーンは楕円形のスコープを覗くような映像となります
良くみられるありふれた手法ですが、ほぼ全編に渡って使われるのは大変珍しいと思います
ラストシーンで野菊の花を回想のスコープで捉えたものが、そのスコープだけが消えます
視界を制約していたものがいきなりなくなるという秀逸な演出が見事だと思います
信州の山、川、自然は60年経とうとも、そのままそこに何も変わらずに在ります
1955年には完了した農地改革という半革命により、大地主は消え身分違い等というものは消えてなくなりました
それを示しているのだと思います
本当のテーマはこれだったのかも知れません
しかし千曲川の流れも信州の山々の姿は何も変わらないのです
若き日の美しい思い出も変わらないのです
本作公開から60年以上経ちました
21世紀の現代に老人が1955年当時を回想してこのような悲恋が成立しえるのでしょうか?
きっと今もこれからも変わらず在るのだと思います
なぜなら山と川が変わらず在るように人の心も変わりはしないからです
心の中に変わらずいつまでも在るのです
リンドウの花言葉
「悲しんでいるあなたを愛する」だそうです
至宝の名作
幼いころ、隣席の母親から「おまえはおませだね」と言われて意味が判らなかった、初めて泣いた映画である。
渡し船に乗る老人(笠智衆)の回想シーンから物語が始まる。いつも読んでもらっていた昔話の「昔々、あるところに・・・」で始まるような導入部は違和感なく子供の心に響いたのであろう。もとより恋愛感情など判る筈もなく泣いたのは大切な人を失うというショックの方だったと思う。リメイクもされた悲恋物の名作だが、人間を描かせたら天下一品の木下恵介監督の脂ののった時期の作品、余人を以って代えがたい。
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