人間の條件 第3・4部のレビュー・感想・評価
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単なる社会主義礼賛の反戦映画ではないことを終盤で証明していた
次の台詞を聞いて大爆笑した
そして背筋が凍った
どっかに人間を解放する約束の地がある
国境の向こうにもっといい世界があるというんだ
それこそ人間を人間として扱ってくれる世界さ
なんという恐ろしいブラックジョークだろう!
脳天気にも程がある
しかし本人達は至って真面目に全人生をかけてこの台詞を言っているのだ
国境の向こうとはスターリン体制下のソ連の事なのだ
それがどれ程恐ろしい意味を持つことか21世紀の私達は知っている
しかし主人公達は本作で描かれる日本軍の軍隊生活などはスターリン体制下のソ連と比較すればむしろ天国と言うべき、人間性など微塵もない世界が国境の向こう側に展開されていたことを何も知らないのだ
当時の人々が如何に社会主義思想に夢を見ていたのか、空想的に理想化していたのかが良く分かるシーンだ
いや、未だにこの当時のままの考えで固定されている人々もまだまだ多くいるくらいだから、それは宗教的な迄に信じ込んでしまったものなのだろう
哀れだ
そのマインドセットで軍隊生活の日常を見た光景が本作では描かれる
第四部で国と国が武力を持って知力と体力の限りを尽くして、ぶつかり合う戦争においては、思想も人間性もなにもないのだ
国家というものは共産主義であろうと社会主義であろうと関係ない
国家戦略、軍事戦略の利害のみで動くのだ
共産主義国家であっても軍国主義であり帝国主義なのだ
むしろ共産主党独裁はファシズムと変わりはない
ソ連はそうであり、現代の中国も北朝鮮もまたそうであることを私達は知り尽くしているのだ
であるならば一人の人間として生き残るために必要なことは何か?
それは武器と戦う為のスキルを獲得することだ
各人にそれを持たせ訓練し、組織として機能できる規律を持たせる
それを修羅場に於いても活かせるように骨身まで叩き込まれた方が、実は本人に取っても良い、正しいことがハッキリしてしまうのだ
それが現実だ
本作は驚くべきことにそれを描いている
本作は単なる社会主義礼賛の反戦映画ではないことを終盤で証明していたのだ
終盤の戦闘シーンはそのスペクタクルさ、リアリティーに於いて、後年のベトナム戦争の現実を扱う米国映画の数々にも決して負けないものがある
日本映画でもこれ程のものが撮れたのだ
単なる反戦映画でしょ、と忌避していたらもったいないことだ
"人間とは何か"
関東軍に召集された《梶二等兵》事あるごとに古参兵から“可愛がられる”
人間とは何か?
高い理想を持つ梶にとって“軍隊の規律”とゆう高い壁が彼の行く先に立ちはだかる。
第三部の前半部分で、いつもみんなの足を引っ張ってしまう田中邦衛のキャラクターを観た人は思う事だろう。
「キューブリックの奴パクリやがったなぁ〜」…と(笑)
この第三部に関しては、似た様な題材として勝新太郎主演の『兵隊やくざ』が在る。
上官からどんなに制裁を受けても、常に顔を前に突き出す《勝新=大宮二等兵》とゆう、映画史に残る強烈なキャラクターだ。
正直に言ってしまうと、滅茶苦茶に面白い『兵隊やくざ』と比べてしまうと些か分が悪い。
しかし、だからと言って決して本作品の出来が悪い訳ではありません。
生真面目に戦争・軍隊批判を打ち出してしまっているが、娯楽性に満ち溢れた『兵隊やくざ』の様なアプローチこそ、観客を笑わせながら軍隊の不条理をより炙り出せていると思えるからですが…これは本来他の作品と比較するのは意味の無い事では在ります。
あくまでも個人的な見方としての意見でご容赦を…。
「会いたい人にはいつかきっと会える気がします」
梶の理想に共感を覚える人達が彼の前を通り過ぎて行く。
第四部ではいよいよ戦況が悪化の一途を辿る。
上等兵となり部下を持つ身となる《梶上等兵》
“彼の理想”は古参兵との軋轢を悪化させてしまう。
ここまでの第一・二部での山村聰。そして第三部同様に、この第四部でも彼の考え方に共鳴する上司や部下が多数現れる事で“孤立感”が生まれずに、映画的な面白味は若干ながら薄まってしまってはいる。
特に第一部で脇役出演し、直属の上司となる佐田啓二に何度となく哀願する事でその思いは強まる。
とは言っても第三・四部併せ、たっぷりと極上の3時間はまたしてもあっという間に過ぎ去ってしまった。
いよいよ日本は泥沼へと足を踏み入れる。
全六部作のクライマックスが近づいている。
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