人間の條件 第1・2部のレビュー・感想・評価
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現代では到底つくれない良作だった。しかし一方 随分、冷めた目でも観...
現代では到底つくれない良作だった。しかし一方 随分、冷めた目でも観ていた。当たり前のことだけれどもやはり❝映画❞なのである。理想主義の梶は能力のほか、気力、体力、腕力があった。兵隊に引っ張られる前は三千子という愛し愛される妻もいた。梶演じる仲代達也の風貌もいい。 三千子も美人だ。良きものを与えられた上での設定なのだ。感動させられるのも当然である。では それらをひとつでも欠いて 満州の戦場に赤紙1枚で引っ張られた者はどうなるのか・・・・・・・・・・・。
人殺し
軍と民間企業という立場の違いから、ざっくりと戦争という言葉で片付けてしまいがちな戦地の様子を多層的に示す。慰安婦も政治問題化される以前だろうか。オブラートに包まず有りようをそのまま示す。
三作品に通底する点であるが、立派な人たちの不断ぶりと、自らに規律を求めることなく、弱者にマウントすることで体制への恩を示して枕を高くするクソ野郎がここでも顕著に描かれる。捕虜を預けておいて時々やってくる陸軍は、結果として現れる諸問題の根本をよく表す。
処刑シーンでの宮口精二が印象に残る。
日本人が本作を観て過去の反省を活かすならば、今この瞬間のヒューマニズムを見失わないようにしなければならない
映画としての出来映えは素晴らしい
撮影、演出、美術、豪華俳優陣の熱演
どれもこれも文句のつけ様はない
本作の舞台は太平洋戦争の末期の満州
あれから75年近く時は流れた
21世紀の現代では皮肉なことに中国人自身が、ウイグル人や少数民族、政治犯や法輪功などの宗教人をこのような収容所に閉じ込め、この映画以上の苛烈なことをなしているのだ
八路すなわち中国共産党がそれを自らしているのだ
それほどまでに時は流れたのだ
ヒューマニズムを見失わないことが人間の條件なのだ
この言葉は21世紀の今では、中国自身にこそ向けられるべき言葉だ
日本人が本作を観て過去の反省を活かすならば、今この瞬間のヒューマニズムを見失わないようにしなければならない
中国の逆コースの現実を見てみないふりをすること
中国のこのような不都合な姿を擁護するようなことこそ、本作の反省を活かしていないと言うべきだ
香港の若者達の姿は本作の収容所の特殊工人に重なって見えるはずだ
収容所の中国人のリーダーの王、もちろん中国共産党員だろう
彼は梶にこういう
人間は誰しも間違いは誰しもある、しかし決定的な瞬間の誤謬は犯罪だと
傍観していることは人道主義の仮面を被った殺人狂の仲間になることだと
恐ろしい皮肉だ
日本映画界が、世界に誇れる超ド級の骨太作品
最近の映画を観ていると直ぐに退屈して寝てしまう。
話のつまらなさ、くだらなさに加えて、出演者達の学芸会じみた演技の数々。何よりもその志しの低さはいかんともし難い。
「人間が人間を信用しなくてはいけない」
五味川純平原作。小林正樹監督による本作品には“その”高い志しの精神が溢れている。
だから1部・2部併せて3時間半もの長丁場なのにあっという間に過ぎて行ってしまう。
確か小学生の頃にテレビで断片的に観て以来だから、実質的には初見と言ってもよいかな。
この映画の主人公仲代達矢演じる《梶》とゆうキャラクターは、あくまでも“理想的”な人物像でしか無いと思う。
特に当時の戦時下に於いて、多少なりとも上層部に対して物言いが言えるとはとても考え難い。
寧ろ「君はヒューマニズムの列車に乗っていろ…俺は俺流にやる!」と言い放つ、山村聰の方が現実味に近い。
“理想像”であるだけに、廻りから裏切られた時の苦しみは計り知れない。
それは全て、“進め一億火の玉だ”“欲しがりません勝つまでは”等のスローガンを信じたばかりに、悲劇に向かって突き進んだ過去の反省に基づいていると言えないだろうか?。
《梶》とゆうキャラクターは、2度と悲劇を繰り返してはいけない為に生まれたキャラクターであり、我々日本人1人々々に架せられた“足枷”なのだ…と。
出演者達の素晴らしさは今更言うのも野暮だろう。
特に素晴らしいのは、何かにつけて事なかれ主義で責任逃れをする所長役の三島雅夫に、娼婦館の女主人の淡島千景。更には憲兵役の安部徹に古屋役の三井弘次。
これに中国人役の宮口精二に、班長役の小沢栄太郎。。勿論相棒役となる山村聰に奥さん役の新珠三千代等々、挙げだしたらきりがない。
東野英治郎や佐田啓二を始め、名だたる名優達が単なる脇役出演なんだから、その凄さが分かって貰える筈です。
日本映画界が、世界に誇れる超ド級の骨太作品です。
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