「Because the world is round it turns me on. アリスが導くのは、真実の「美」に通じる不思議の国か!?」アメリカン・ビューティー たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
Because the world is round it turns me on. アリスが導くのは、真実の「美」に通じる不思議の国か!?
娘の友人に恋をした中年男の暴走と彼の周りを取り囲む人々の異常性を通して、この世界に満ちる「美」の正体を解き明かしてゆくサスペンス・コメディ。
監督は、当時舞台演出などを手掛けていたサム・メンデス,CBE。本作は彼の映画監督デビュー作であり、この作品によりオスカーを受賞した。
主人公である冴えない中年男、レスター・バーナムを演じるのは『ユージュアル・サスペクツ』『セブン』の、オスカー俳優ケヴィン・スペイシー。本作でオスカーの主演男優賞を受賞した。
👑受賞歴👑
第72回 アカデミー賞…作品賞/撮影賞/脚本賞/監督賞/主演男優賞!✨✨✨✨
第57回 ゴールデングローブ賞…脚本賞/作品賞(ドラマ部門)/監督賞!✨✨
第24回 トロント国際映画祭…ピープルズ・チョイス・アワード!
第5回 放送映画批評家協会賞…作品賞/オリジナル脚本賞!✨
第53回 英国アカデミー賞…作品賞!
な…なんじゃあこりゃああ!!!
いや、凄い映画を観てしまった。何考えてんだこれ!?
アカデミー賞で5部門を受賞している事でもわかるように、映画史に残る名作にして話題作。大ヒットもしたようです。
しかしその内容は非常に難解。いや、物語自体はとてもわかりやすいのだが、一体この映画が何を問い掛けたいのか、そして何を伝えたいのかが物凄く抽象的。こういう事なのか…?というぼんやりとしたものしか見えてこない。
喧しいほどの混沌と性的倒錯で観客を煙に巻き、そのままの勢いでどこか遠くへと走り去っていくような映画であり、そのパワフルさに圧倒され、なおかつ頭を渦巻く「?」の嵐に鑑賞後しばらく考え込まされてしまった。
娘の友人に性的な感情を抱いたレスター。どんどんその妄想が膨らんでゆき、彼の世界は良くも悪くも変質してゆく。
本作はウラジーミル・ナボコフの小説「ロリータ」(1955)に代表される、いわゆるロリコンものである。映画全体を覆う文学的な雰囲気と主人公の変態性が相まって、まるで谷崎潤一郎の作品を読んでいるかのよう。彼の作品の愛読者には喜ばれるのではないだろうか。
とにかく掴みどころのない作品であるが、考えようによってはロリコン文学の金字塔「不思議の国のアリス」(1865)の変形であると捉える事が出来るかもしれない。
主人公のレスターは作者のルイス・キャロル。セクシーな少女アンジェラはアリスかつ白ウサギの役割を担っており、彼を不思議の国へと迷い込ませる。妻キャロラインがバラの剪定をしているのも、ハートの女王をイメージしてのことなのかも知れない。
アルジェラに導かれ不思議の国を彷徨うレスター。しかし、この物語が「不思議の国のアリス」である以上、最後には目覚めなければならない。彼が死の間際に見る走馬灯は、現実の世界への帰還を示していると言うのは牽強付会に過ぎるのだろうか。
タイトルである「アメリカン・ビューティー」とは、バラの品種の名前である。映画とバラといえば、『市民ケーン』(1941)の名台詞「バラのつぼみ…」を思い浮かべる人も多いだろう。この「バラのつぼみ」の意味に関してはさまざまな考察が存在するが、実はこれケーンのモデルとなった新聞王ハーストの愛人、マリオン・デイヴィスの陰核を意味しているのだ、という説があるのが面白いところ。
レスターの妄想の中に度々現れるバラだが、これが自分よりも遥かに若い少女へ抱く愛欲のメタファーであることは明らか。若さを失ったキャロラインがバラをチョキチョキと切っているのも、この2人の対比を狙ってのことなのだろう。
そしてもう一つ、この「アメリカン・ビューティー」は、この作品のテーマでもある「遍在する美」のことも表している。このタイトルはダブルミーニングになっているのですね。
果たして「美」とは一体何なのか?というのが、本作が2時間をかけて描いている事。レスターを殺したのは誰かとか、そういうことは脇の脇。まるで重要ではない訳です。
「美」とは○○だ!と断定されていないので、この答えについては観客一人一人が考えなければならない。ただ一つ言えるのは、本作の登場人物は皆が皆、それぞれの幻影を追いかけているということ。レスターはアンジェラの執心しており、キャロラインはセールスマンとしての成功に取り憑かれている。アンジェラは自分が特別な存在だという妄想を抱き、隣人であるフランクはゲイである自分を隠し、「強く正しい父親」を演じ切っている。
唯一の例外はリッキー。彼が空を舞うゴミ袋を見ていて悟ったのは、「美」とはあるがままそこに存在しているのだということ。エリオット・スミスによる「Because 」のカバーが本作のエンディングテーマだが、ビートルズに引っ掛けて述べるのならば「美」とは「Here, There and Everywhere」なのだ。
アンジェラが処女であると知り、彼の中の幻想が一気に崩れ落ちたレスター。そこで彼が見出したのは、偽らざるものの持つ本物の「美」。それを最後に理解したからこそ、彼は表情穏やかに最後の時を迎える事ができたのだろうし、リッキーが彼に静かに微笑みかけたのもその遺体に宿った「美」に感動したからなのだろう。
前述したように、本作は殺人犯が誰かを探し出すミステリーではない。レスターを殺すのは誰でも良いのだし、もっといえば誰でなくても良いのである。
だからこそ、最後の最後で返り血を浴びたフランクを映し出したのにはちょっとがっかり。流石に犯人をはっきりさせておかないとマズイと思いこのシーンを入れたのだろうが、そこは最後までボヤかしておいて、観客の想像に任せるというオープンエンドにしておいて欲しかったところ。もしもそういうエンディングだったらもうこの映画言う事無しだったのだが…。
哲学的かつ文学的な内容だが、ジャンルとしてはこれ多分コメディ。あまりにもめちゃくちゃすぎて、ところどころ普通に爆笑してしまった🤣
味わいとしては森田芳光監督作品『家族ゲーム』(1983)に近い。要するにめちゃくちゃ面白い映画だという事です!
アカデミー賞を席巻したのも納得の大名作。これは観る価値しかない!!
…レスターの娘のジェーン。豊胸手術のためにお金を貯めていたようだが、その必要は全くないぞ。おっぱいデカ過ぎっ!!
着痩せするタイプだから、サム・メンデスも彼女のおっぱいを過小評価していたのかも知れない。
※ところどころめちゃくちゃ『ファイト・クラブ』(1999)っぽい。会社辞めるところとか凄い既視感。
『ファイト・クラブ』ってこの映画から影響を受けて作られたんだなー…なんて思っていたのだが、あとで調べてみてびっくり。この2作って同年同月の公開じゃん!!
1999年10月、ミレニアムまであと2ヶ月。世紀末には魔物が住まうのです。いや本当この2作が同級生って、つくづく1999年って凄い時代だったんだなぁ…。