肉弾(1968)のレビュー・感想・評価
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これぞ映画。
引き込まれた~。のめり込んだ~。
なんだろ?一つ一つの場面が新鮮だ。一兵の戦争への道を純粋な気持ちと葛藤と未来への希望をコミカルに作られてる。コミカルゆえに悲しい出来事の場面もせつなく画かれていてのめり込んで観てしまった。この作品を観て物に溢れた今の時代より当時の時代の方が人間生き生き出来るような気がしました。当時は戦争で貧困と死への恐怖の時代だがなんか人間の希望や知恵、生きると言う価値観を体全体で感じてる気がして羨ましいと思いました。もちろん戦争はいけない事ではあるが平和が当たり前のような現代もいけないような気がしました。この映画はそう言う気持ちにさせてくれる映画でした。後当時高校生だった大谷直子さんの体を張った演技は圧巻でした。無論寺田農さんの演技も良かったです。
「戦争に負けたらひどい目にあう」
太平洋戦争後の日本に生まれた私はいわゆる「戦争を知らない子供たち」世代で、近年の湾岸戦争やイラク戦争も、全く対岸の火事だ。メディアの発達により、「情報」としての「戦争」は知っていても、「体感」としての「戦争」は想像もつかない。
本作は名もない“アイツ”という一般兵の物語だ。戦争は国家間の争いで、勝敗により、国の未来が左右される世界的規模の出来事だが、一般人にはそんな大きなことはわからない。今の生活が戦争によって左右される家庭的(個人的)出来事なのだ。防空措置のされている部屋で、机上の論議を戦わせている首脳陣とは違う。今にも死ぬかもしれない状況だ。それは爆撃によってだけでなく、食糧難や物資難による餓死や凍死なども含まれる。恐ろしいのはそんな状況下に置かれながらも、国民たちは「神の国」のために戦うこと、お国のために死ぬことを教えられるのだ。
『肉弾』の素晴らしさは、そんな一人の兵士の悲劇を、コミカルかつファンタジックに描いたことだ。いくらでも陰惨に描ける戦争映画を、コミカルに描くことで、主人公“アイツ”の、心情を的確に表現している。人間、悲惨な状況下に置かれれば、悲劇的になるよりも、滑稽めいてくる。さらに、未来に希望が持てなければ、自暴自棄というよりも、何か諦めに似た無感覚(?)に陥る。それが冒頭のナレーションでも頻繁に使われる「たいしたことはない」という言葉と、主人公ののんきさに繋がるのだ。さらに、主人公のおかれている悪夢的状況をおとぎ話めいたファンタジックな表現で包み込むことによって、よりいっそうリアルな感情を見ているものに投げかけられる。
この主人公の一種の無邪気さ・のんきさは、目の前に迫る“死”への恐怖を振り払うために他ならない。それは本屋で買った聖書(分厚くてすぐには読み終わらないけれど、それなりに面白い本)を読むことや、因子分解の数式を暗唱することや、わらべうた「うさぎ」を口ずさむことに如実に表される。
さて、本作でも、「戦争に負けたらひどい目にあう」という認識が根強く市民の間にあることが記されている。その顕著な例が、無教養な賄い婦の描写だ。彼女は高い教養も、特別の愛国心も無いが、日本が戦争に負けると聞くと、“アイツ”のピストルで自殺を図ろうとする、扱い方もわからないのに・・・。結局はうまくいかないのだが、彼女は、日本を占領する外国人に対しての恐怖をこう話す。「ヘソまで見られちまったようで、恥ずかしいだよぉ・・・。」一般生活者が、敗戦により自決するのは、プライドや責任からではない、恐怖や羞恥心からだ。
戦争は、市民たちの生活を奪う、初恋を奪う、未来を奪う、理性を奪う、感覚を奪う。いきなり「戦争が終わったから、もう殺しあうな」と言われて、素直に実感がわくか?“アイツ”がそれを聞いて最初に感じたのは、喜びでも安堵でもなく、憤りだったのではないだろうか?戦うことに疑問を持っていた彼が、それでも命がけで戦っていた。初恋の相手を蒸し焼きにされても・・・。「何のために!?」“アイツ”はそう思ったはずだ。「何のために!?」。「たいしたことはい」と無感覚を装ってきた“アイツ”の憤りが、20年後の平和なビーチに漂う、盥船の中に凝っている・・・。
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