長崎ぶらぶら節のレビュー・感想・評価
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序盤から花街芸など私的に興味ない映像が続く。話もなかなか展開せず、...
序盤から花街芸など私的に興味ない映像が続く。話もなかなか展開せず、あまり面白く思えなかった。
渡哲也と小百合様のラブロマンスがメインなのでしょうが、あんな関係ありえないでしょう。いくら時代とはいえ、いしだあゆみの役が哀れすぎる。その他の話も少々の展開を見せるもまあどうでもいいかな(笑)
原田知世と高島礼子は単なる添えもの。これ、どこまでが実話なんだろう?
本作、まずまずのヒットだった模様。それもまた時代なのかもしれない。
BS12
吉永小百合と渡哲也 この二人が、実は本作の30年前結婚しようとまでした恋仲であったのです
10歳くらいで長崎の花街丸山に売られて来た娘
それから40年後、愛八という名前の50歳くらいの年増芸者になってから、数年間の物語です
吉永小百合 55歳、渡哲也 59歳
この二人が、実は本作の30年前結婚しようとまでした恋仲であったことを知らずに観たなら、本作の本当の醍醐味がなんであったのか、本当のテーマとは何であったのか、少しも理解できないと思います
34年前の1966年、二人は「愛と死の記録」という作品での共演から相思相愛の仲に発展したのです
二人は同年の「白鳥」、翌1967年の「青春の海」の都合3作品で共演しました
しかし当時既に大スターであった彼女は父親を始め周囲の大反対にあい、とうとう結婚を断念してしまったのです
渡哲也がその後一般女性と結婚してしまうと、吉永小百合は、泣き暮らしたといいます
そして、ふた周りも年上のテレビ局の離婚経験のある男性と突然結婚してしまうのです
これは映画関係者や映画ファンなら、有名なお話です
それから約30年後、二人は本作の2年前の1998年「時雨の記」で、また共演を果たします
本作はそれに続いての、またもその二人の共演です
この因縁を知っていれば、この二人の間に何か有ることが、劇を超えて迫ってくる事が分かると思います
是非、本作は「愛と死の記録」をまず観た上で、「時雨の記」と本作をセットでご覧になって頂きたいと思います
この二作品はプロデューサー、監督始め製作陣の全員が、そのことを知っての上で配役され、脚本が書かれているのです
そしてもちろん当の本人達も
「時雨の時」は吉永小百合の持ち込み企画で、熟年の男と女の二十年ぶりの再会がふたりの心に火をともしたという内容です
彼女が長年愛読してきたという原作の映画化権を、彼女自身が版権元と交渉して買取ってまでしています
その上で相手役に渡哲也を彼女自身が指名しているのです
そしてまた渡哲也もそれを受けて立ち、この二人で映画製作を渋る東映社長を説得に行って、その作品の製作を実現させたものでした
本作でも、二人はそれ周囲が何を期待しているのかを百も承知で受けてたっているのです
というか本人達が何かを期待していたのかもしれません
30年後・・・
10年後なら、まだまだ生々しい
20年ならまだお互いに40代
顔を合わせてしまえばどうなってしまうか分からない・・・
しかし30年後なら?
もうお互いに初老に入ってしまいました
もうこの歳で色恋もなかろう
そしてもうすぐ21世紀、時代も変わろうとしているのです
また会ったからといって、どうかなることもない
いや、もしかしたら?
ひょっとしてどうかなってしまうかも知れない・・・
その危うさが、劇中の中の二人も、それを撮影する製作陣も、それを鑑賞する観客にもハラハラとさせるのです
脚本もまた、そのギリギリの崖っぷちの上を歩かせるのです
ぶらぶら節を探す一泊旅行のシーンは正にそれです
そしてまた吉永小百合は実生活で子供を産んでいないのです
それもまたお喜美と雪千代のお話と絡ませてあるのです
本作の2年前の「時雨の記」は吉永小百合からの、30年後のラブレターだったと思います
そして本作は、渡哲也からの返信だったのだと思います
本作の劇中で二人は、一つ布団で抱き合いながらも、男女の中にはなりませんでした
ラストシーンは、「抱いて」という台詞ともに幻想的な蛍の群舞で終わるのみです
結局、30年後の吉永小百合のラブレターへの返事は、今はもうただの友人だということを確認したというのが結論でした
それが本作であったように思えました
本作の中で愛八の吉永小百合は、古賀の妻に頭を下げて何も無いことを態度で示し、いしだあゆみが演じた妻もまたそれを信じて帰るのです
そこが本作のクライマックスだったように思いました
今日は2020年10月
本作からさらに20年が経ちました
吉永小百合と渡哲也が結婚を断念して、いつしか50年もの歳月が過ぎ去ってしまいました
渡哲也はつい先日の2020年8月10日にお亡くなりになりました
それだけの時間が過ぎ去りました
二人の胸の奥底に押し込められた想いは、とうとうそれっきりとなりました
長い長い50年に及んだ恋愛も遂に閉じられたのです
音丸役の内海桂子も、2020年8月22日に亡くなられてしまいました
彼女は、愛八の運命を予感させる大事な役でした
この映画に出演された二人の訃報に接して、本作を観ずにはとてもおられません
そして吉永小百合と渡哲也
この二人の悲恋の因縁を頭に、もう一度本作を観たとき、今渡哲也さんの訃報に接して、吉永小百合さんの胸中に一体何が去来しているかを考えざるを得ないのです
それは本作のラストシーン
そのものなのでは無いでしょうか?
渡哲也さんを偲んで 梅
内海桂子師匠も偲んで
原作未読
2000年公開だから今から20年前の作品
その年の大ヒット作
初めての鑑賞
吉永小百合当時55歳くらい
渡さんは小百合より二学年上
この作品で小百合は2001年の日本アカデミーとブルーリボンW受賞
黒沢映画の『雨あがる』が高く評価され『バトルロワイヤル』が話題になった2000年邦画業界
芸者さんたちのバチバチとした対立が面白い
全体的にそういう話かといえば全くそんなことはない
渡哲也さん演じる古賀といっしょに長崎を歩き回り古い歌について調べる物語
自分で自分のことを「老兵」と自嘲する小百合にちょっと胸が痛くなる
ブラブラしているだけではなくしっかり芸者の仕事はやるし肺病の妹分の世話もする
御座敷で四股を踏むシーンあり
ちょっとだけど入浴シーンのサービスもあり
永島は明らかに本人が歌っていないのが残念
小百合と原田は本人が歌っているけど
うーん自分向きの映画ではない
芸者の衣装は艶やかだが話としては地味
でも星3つの評価が妥当
あと藤村志保の本名と旧芸名でもある結婚前の本名がとても珍しい事実を知ってしまった
演じた役の名前を芸名にするのはよくある話だ
藤村志保の藤村は志保役で出演した作品の原作者藤村藤村から頂いている
吉永小百合の映画を観たくて、この映画を観た
・この映画は、実在の芸者:松尾サダ:愛八(1874.10~1933.12)がいて、
それをモデルに書いた本が、1999年直木賞受賞した。
それで、映画化された。
・書籍やテレビと映画では、内容が異なるので、映画を主体に
凄いと思った点や、感心した点、等を記述する。
11分、古河十二郎(渡哲也)の芸者遊びが、華やかで凄い
25分、愛八(吉永小百合)が、海軍軍人の前で土俵入りの芸を披露
→ 吉永小百合が土俵入りの芸をするとは、珍しい
書籍によると、愛八は、相撲が好きで土俵入り芸は、得意芸
42分、愛八は、古河に誘われ長崎の歌を調査開始 → 約2年間続く
80分、愛八が足袋等を質入れ=足袋のコハゼが純金製 → 何気に凄い
105分、愛八は、妹分の梅次(原田知世)に、「花月で古河先生が待ってる」
と言われたが、行かない → 意地っ張り
107分、古河は、愛八が教えた芸者、雪千代(旧:お雪)の芸を観る
・芸歴や女優の格なら、吉永小百合が圧勝なのだが、
映画の中の芸比べや、美人度では若手女優に軍配が上がるかな。
吉永小百合(1945.3生:55才)より、
高島礼子(1964.7生:36才)の方が美人かな。
それは、順番だから仕方ないか。
・原節子、岸恵子、高峰秀子、往年の大女優も年齢を重ねれば
美人度では、後輩に譲ってきたものな。
・この映画の1番ポイントは、「長崎ぶらぶら節」の歌詞を発見する所と、
同、音節を思い出す所だと思うが、弱者を助ける場面も重要。
・愛八が、お雪、お喜美等、貧者の面倒をみる話は、少し泣ける。
・他人の為に、散財したり、活躍する人の映画は、心が洗われる。
・最後に映画の総合評価の件 → そこそこに良い映画だと思いました。
小唄に同名の唄があったから
公開されてわりとすぐに映画館に見に行ったと思う。小唄の「長崎ぶらぶら節」が好きだったから。踊りと三味線と唄に集中した。ストーリーも良かった!
女の子を立派な芸妓に育てるための稽古の場面がいい。曲は「越後獅子」で吉永小百合が三味線と唄をつけて、女の子が踊る。吉永小百合、えらいなあ、貫禄あってそれらしく見えた。その女の子は実際にも、日舞の尾上流のお嬢さんでプロだから、踊りなんてお茶の子さいさい。まだ若くて愛らしい。下手に踊るのも難しいだろうなあ。
渡哲也すごく良かった。着物が似合うし、無口だし、一本筋が通った男で。この映画に限って、渡哲也と弟の渡瀬恒彦を混同してしまう(不器用で無口は弟のイメージで、渡哲也は石原裕次郎系のテレビ番組イメージ)。
吉永と渡の二人が長崎をめぐって、人を訪ねて古唄を収集するシーンはとても良かった。吉永が、自分を囲ってくれている旦那に別れてくれと言う気概もかっこよかった。そして、渡哲也の妻役のいしだあゆみの演技と台詞がこの映画の中で一番心に残った。
思わずこの映画のDVDまで買ってしまった。
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