「本当の主題は主人公たる板倉信雄9歳の成長の物語なのだ」泥の河 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
本当の主題は主人公たる板倉信雄9歳の成長の物語なのだ
泥の河
日本映画のオールタイムベストの上位に、必ずリストされる名作
これほどの傑作はそうない
昭和31年の大阪、それも安治川河口
つまり底辺も底辺
戦争が終わってまだ11年そこそこ
泥の河
それは両岸をコンクリートの堤防に挟まれた運河のような河
題名どおりヘドロが深く溜まり、いやな臭いのあぶくが吹き上がる
そんな泥の河を舞台に、6月半ばから7月の末頃までの9歳の少年の物語だ
題名や舞台、時代、そして白黒撮影
それらから下層貧民の苦しい暮らしぶりを社会主義的な視線で描く
戦争の癒えない傷跡を見つめて反戦メッセージを放つ
そのような映画のイメージがあるだろう
もちろん本作にはそのような側面もある
しかしそれはその時代の物語が共通に含むものでしか無い
それは本作の主題ではないのだ
本作の本当の主題は主人公たる板倉信雄9歳の成長の物語なのだ
あどけない児童に過ぎなかった男児が、宿船の家族と知り合ったことで成長し大人になろうとしている
その苦しみ、もがき、自我が目覚めた自己嫌悪
大人の世界への嫌悪
そのような様々なものが9歳の少年の中で渦巻いていく
その過程を丁寧に活写する事に監督は全精力を注ぎ込んでいるのだ
僅か1ヵ月半そこそこ
外見には何も成長はない
しかしラストシーンで、艀に曳かれていく宿船を見送る彼の内面は大きく成長を遂げているのだ
その前のシーン
まとめようにもまとまらない考えで、悶々と苦しむ彼を、ただ不機嫌なだけかと田村高廣が演じる父が見下ろしている
しかしやがて父は息子が何に悶々としているのかに思い当たり表情が変わる
そして、ただの子供だとばかり思っていた息子が大人になろうとして苦しんでいる
そのことに気がつくのだ
ついこの間までは、馬車に轢かれて死ぬ男、ゴカイ穫りで誤って河に転落して行方不明になった老人
二つの死を間近に目撃しても、その重大な意味に衝撃を受けないほどの子供であったのに
そのきっかけは息子にとり残酷であったかも知れない
しかし宿船の一家のこと、そして父母の過去のこと
京大病院で死間近な病床にある、かって父が母と知り合う以前に、父と関係のあった女性のもとに連れていかされて、信雄は初めて複雑な大人の世界を感じる
人の生死、運命、性
様々な事がまいまぜになって一斉に、9歳の少年に襲いかかったのだ
今彼は大人になろうとしている
その事に父は気がついているのだ
宿船が石造りの二重アーチの石橋をくぐって去って行った時、彼の顔はもはや児童ではなくなっているのだ
観終わった後に残される感動の涙
ネオリアリズモの名作「自転車泥棒」にも似ている
しかし本作ではより純粋に少年に焦点が最初から最後まで当てられているのだ
宿船の一家
同い年で友達になる松本喜一、その姉11歳の銀子、二人の母を加賀まりこが演じる
加賀まりこと藤田弓子との強烈な対比
銀子が主人公の母は「石鹸の匂い」がすると言う
しかし自分の母のことは言葉を飲み込む
喜一に火を着けられる小蟹は、彼らの家族と同じ三匹
最後の一匹は火に苦しんで船べりを横に走る
その蟹が彼ら一家の本当の姿を主人公に教えてくれるのだ
薄々感じていた疑念は、少年の心に衝撃を持って真実の姿の焦点が合うのだ
逃げ帰る彼を喜一は追わない
彼は敢えて小蟹を燃やす事で、自分達家族を否定したかったのだ
信雄を羨ましく思う感情が、自分達一家の悲惨さを蟹に火を着けるこてで見せようとしたのだ
せっかくもらった天神祭りのお小遣いをポケットの穴のせいで落としてしまう
二人で祭りの人出でごった返す道を散々這いつくばって二枚の50円硬貨を探し回るのだが見つかる訳もない
そのあまりの惨めさ
繕いものをしてくれなくなった母と、小遣いをくれた信雄の母
その違いが喜一を苛立たせていたのだ
許せない程に惨めだったのだ
信雄の家の夕食に姉と一緒に招かれたとき、彼は死んだ父が酔った時に良く歌ったという軍歌の「戦友」を一生懸命に直立不動で歌う
父を誇らしく今も慕っているのだ
しかしその母はどうか
それでも姉と自分が生きて行けるのはその母が体を売っているからなのだ
帰り道、橋の上で銀子と出会う
銀子は信雄の表情から、彼が一家の本当の姿を理解してしまったことを感じ取っている
そして彼との交流の全てが終わったことも
銀子は米に手を突っ込んで暖かいと幸せそうに言う
夏なのに?と不思議そうに信雄は問う
母が体を売って得た金で買う米とは信雄は無邪気にも何も分かってはいない
銀子はその米で自分と弟は生きている
その米に手を埋めることだけが、母の愛を感じる術になっていたことを、その時の信雄は知らない
しかしもう知ってしまったのだ
銀子はこの現実の悲惨さによって、もはや子供をとっくに強制的に終わらされていたのだ
喜一ももう分かっている
そして信雄も分かってしまった
その諦めが彼女の全身から立ち上っているのだ
信雄の母から貰ってワンピースを返したのは、自分達には貰う資格が無いと卑下していたからだ
宿船が去っていく
それは銀子が母に頼んだに違いない
そういうことも、去って行く宿船を見送る信雄にはもう理解できるようになっている
何故なら、そのときもう彼は大人になっていたのだから
宿船を見送る彼の後ろ姿は大人のそれだ
こうした三人の子供達の心
取り巻く大人達、特に父の心
それらが圧倒的な重量で胸にのしかかる
涙が自然に流れていました
初めまして、フォローありがとうございます。
あき240さんのレビューを拝見していると、もう一度じっくりと観たくなりました。
宮本輝さんの小説も昔から好きなんです。
これからもよろしくお願いします。