どついたるねんのレビュー・感想・評価
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生命燃やして生きているか?ただ生き長らえているだけか?
ボクシングでしか生きられない不器用な男。たとえ命の危険があろうとも俺にはこれしかない。もしこれで死んだとしても本望だ。自分を抑えて生き長らえてもそんなのは生きたことにはならない!
カムバックを決めてからの英志は全身でこう訴えかけているようだった。
自分をかけるものが見えていて、それに無心に打ち込む姿はほんと眩しい。
俺は無為に生き長らえているだけじゃないのか?そんなのは生きていると言えるのか?
自問自答した。
少年たちにボクシングを教える左島。連れ戻しに来た母親。
左島に英志を止めて欲しいと懇願する貴子。そんな権利は誰にもないと佐島。。
男は闘うことが本能にあるんだろうな。
女は逆に生存することが本能にあるんだろうな。
本能が刺激され熱くなる映画であった。
・赤井のサンドバック練習が凄い。ハードパンチで高速連射。やっぱり本物は違う。
・本物じゃないのに凄かったのが原田芳雄!何この人ボクシングやってたの?
腕の筋肉や広背筋も凄いやん。一番驚いた。
しかし、じゃりん子チエを実写でやるならテツ役は赤井しかいないな。(笑
高校生の時に感動した
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試合で大怪我をして再起不能と言われたボクサーの赤井。
強引で一本気な性格のため、ジムの経営に失敗し、現役復帰を決意。
元チャンピオンの原田芳雄をトレーナーに迎え、練習開始する。
で再起戦、ボコボコにされて、セコンドが思わずタオルを投げ入れる。
その瞬間ラッキーパンチがヒットし、相手がダウン。ここで終わり。
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高校生の時に見て、めちゃくちゃ感動した映画。
当時は赤井英和を知らなかったが、何とかっこいい男かと思った。
そしてその頃は赤井秀和の人生を描いた映画やと思い込んでいた。
今考えたら単なる作り話やったんやけどね(場)
赤井英和って今はただのオッサンやけど、実はこんな熱い男なんやって、
嫁に熱っぽく語ったことがあるらしい、あんま覚えてないけど(場)(場)(場)
減量に苦しむ対戦相手のジムの前で見えるようにハンバーガーを食うシーン、
その時の赤井のイヤらしい顔が勝負の世界の男を象徴していて良かった。
そして自分も減量中なのでその後で無理矢理吐くシーンの悲壮感も良かった。
でも当時と違い、これが創作とわかってしまったせいか、
改めて見た今回は、昔ほど感情移入することはなかった。
まあ高校生で今よりは血の気も多かったから、今より共感できたのもあったろう。
今見ての感想はと言うと、赤井が余りにも精神的に成長しないのがもどかしい。
奇跡のカムバックって言っても実際ボコボコにされとっただけやし、
減量して試合に出ただけで、それが奇跡かって言うと、奇跡ちゃうよなあ。
その赤井と対照的な、理性的で人間的に謙虚な元チャンピオンの原田芳雄。
当時としてもむしろこの人に感情移入していた面があるのを覚えている。
いやあそれにしてもこの人、味のあるいい演技やったなあ。
素であり迫真である
人気ボクサーだった安達英志は、世界戦目前に頭部の怪我で引退。ジムを開いて、元チャンピオンの佐島をコーチに引き入れる。しかし英志のむちゃなやり方に皆が去ってしまい、ジムは閉鎖。英志は再びリングに立ちたいと佐島にコーチを頼む。
赤井英和の自伝小説を、本人の主演で映画化。ただのボクサーだった赤井の、素であり迫真である演技にちょっと驚きました。
阪本順治の初監督作品。演出の熱量に監督のボクシング愛を、ひしひしと感じました。
やっと見れた。歴史的話を見ておこう
なんとなくリアルタイムで、浪花のロッキーを知っていたけど。
こんなことがあったんだなあ。
自伝が原案なので、どこまでが本当の話なのか。
気になるところだけど。
昭和テイスト満載なのが、たまらない。
【”才能か、努力か・・。”前半は赤井英和のタドタドシイ演技が気になるが、後半は一気に嵌る作品。命を懸けて何かに取り組む人の姿は尊いと私は思うのである。】
■試合中にまさかのKO負けをし、意識を失ったボクサーの安達(赤井英和)。
開頭手術の末に回復するが、リングには立てないと医師に宣告される。
ジムを開くも上手く行くはずもなく、自暴自棄の毎日。
そんな時、元チャンピオンの左島(原田芳雄)と出会い、再びボクサーになると決意。
過酷なトレーニングを始めるが…。
◆感想
・ご存じの通り、今作の主人公は安達英志となっているが、まんま赤井英和氏である。年代的にこの方の試合は見たことがないのだが、”浪花のロッキー”と言われていた事は微かに覚えている。
・”ボクシング映画にほぼ外れなし”と私は思っているが、今作の特に後半はそれに値すると思った作品である。
ー 私事で恐縮であるが、10年前に、愛知県の企業交流の場として一年間、普段とは違う経験をする組織に入ったことが有る。
その中で、或る月に名古屋でも有名なボクシングジムに一日体験入学をした。私は、当時登山をガンガンしていたので、楽勝であろうと思っていたが、大違い。
シャドー・ボクシングだけで大汗。”縄跳びなんか楽勝だぜ!”と思っていたがキツイのなんの。(皆さん、20分、休みなしで縄跳びをやった事はありますか?)
で、スパーリング。勿論、こちらがコーチのミットに打ち込むだけなのだが、これが又、キツイんだよね。今でも覚えている。
この実体験以降、私はボクシング映画に出演する俳優を心から尊敬するようになった・・。(単純である。)-
・物語としては、前半は凡庸であるが、何しろ赤井氏自身が経験したことであるから、文句の言いようがない。
・役者としては、矢張り吃音の元ウエルター級日本チャンピオンだった左島を演じた故、原田芳雄さんが群を抜いて良い。
公開年を見ると、ナント30年以上前である。
だが、この作品から伝わる”熱量”は年代を越えている。
明らかに、そして絶対的に越えている。
<今作後、日本でも様々なボクシング映画が公開されている。
私は、その一部しか観ていないが、凡作と感じた作品は無い。
何故なら、俳優さんは出演のために過酷なトレーニングを積み、(身体を見れば分かる)作品に臨んでいるからであろう。
今作の赤井氏もそうであるが、命を懸けて何かに取り組む人の姿はとても尊いと私は思うのである。>
ピンチとチャンスは背中合わせだ
生まれて初めて一日に2回も映画館に足を運んでしまった。赤井英和親子が挨拶に来るということと「どついたるねん」をスクリーンで観られるというのをたまたまネットで知り、「えっ?嘘でしょ(うそやろ)」ということであわてて新宿から立川に駆けつけた。この映画の懐かしさと赤井英和を生で観られるなんてそれだけでただただ嬉しい。
知ってるかな?この映画に出ている二人の本物のボクサー大和武士(清田)と大和田正春(友田)は実際のリングで戦っている(日本ミドル級タイトルマッチ)。大和田が逆転KO勝利するんだけど、大和田はその試合を最後に網膜剥離で引退するんだよ。映画に関係ない話でごめんなさい。
それから相楽晴子が可愛い。大阪の下町の娘って感じがぴったり。あしたのジョーのサチと紀ちゃんを混ぜた感じ。はまり役だ。
この映画から33年も経ったんだね。
もちろん映画もとても面白いです。
この映画の背景を知るとピンチってチャンスなんだなとつくづく思える。
赤井英和という掘り出し物の原石
再々…見。
赤井英和の掘出し物の原石的な美しさに依る処は大きい。
この尊大に見えて実は優しい、に見えて実は只尊大なキャラは好きではないが。
原田芳雄の怖くて冒頓な屈折の気配が全篇を締める。89年、絶頂期で数年後には弾けたバブルの空気が確かに在る。
"浪速のロッキー"
触るモノ皆傷つける、まるでマンガに出て来そうな破天荒キャラを、赤井英和が自で演じる。
怪しい美川憲一をはじめ、コミカル要素満載な雰囲気の中、不器用な男の真っ直ぐしか見定められない人生と強情さに見え隠れする弱さと甘えをどストレートに捉え、役者としての巧さより魅力溢れる人物像で押し通す阪本順治の目の付け所が素晴らしい。
良くも悪くも真面目一辺倒な粗い演技の赤井英和、バランスを取るように原田芳雄のコミカルな存在感が、映画としての本作を際立たせる。
実際にプロボクサーとしての赤井英和を終わらせた大和田正春とのシャドーは鳥肌が立つし、タオルを投げるラストシーンは逸品だ。
肥大したプライドが本人をおしつぶすのだ それが美意識であるのかは見方しだいだ
阪本順治監督は名作竜二で助監督を務めた人
本作もまた不純物がない純度の高い映画だった
誰しも人には限界がある
才能の限界、本人の慢心、環境の未整備、運、様々なことで将来の栄光を本人も周囲も確信していたにも関わらず、成功への階段を踏み外ししてしまうことがある
ほとんどの人間は階段を踏み外すものなのだ
ごく一握りの人間だけが階段を登り詰めることができる
それを踏み外したとき、認めることができるのか
努力で再起できる場合もあればそうでないこともある
決定的な破滅にまで至らないと認めることができない人間もいる
主人公がそれだ
肥大したプライドが本人をおしつぶすのだ
それが美意識であるのかは見方しだいだ
ポスターはそれだ
まるで戦前の日本と同じナイーブさなのだ
一方、原田芳雄が演じる元チャンピオンの左島コーチのように敗北を認めて、その中で自分を活かせる新しい道を探せる人物もいるのだ
本作は時代を超えた普遍性を持っていると言えるだろう
本作公開は1989年、ちょうど団塊の世代が40歳となった時期であった
そのことが本作のヒットに大きく影響したのではないだろうか
彼らは最早若くなくなった
いつまでも現場の花形ではいられなくなっていたのだ
一握りの上級管理職になれるのか、そのまま現場に埋もれてしまうのかの岐路に立たされていた時期であったのだ
だからこそ本作は彼らの琴線に触れ大きく共振したのではないだろうか
彼らは主人公のように敗北を認めずあがいてあがいてあがき抜いたのだ
主人公は彼らの姿そのものだ
本作から数年後に襲来したバブル崩壊
彼らはそれからも敗北を認めず居座り続けている
老人になった今でさえも
主人公の姿は団塊の世代のあがきと二重写しに見えて仕方なかった
本作の登場人物達と同様に彼らに随分と振り回され迷惑を掛けられた人はさぞ多いことだろう
ラストシーン、タオルを投げ入れられたにも関わらず、若手の顔面にパンチを炸裂させる
それは団塊ジュニア世代を失われた世代と呼ばれる悲惨な境遇に突き落とした彼らの所業そのものなのだ
まっすぐであることは、愚かで、バカらしい。 まっすぐ生きることは素...
まっすぐであることは、愚かで、バカらしい。
まっすぐ生きることは素晴らしいことだとも言い切れない。それでいいのだと思う。
そもそも、生き方に白黒つけようとすることがおかしいのだ。
この映画のクライマックスは、まっすぐ生きる人々への皮肉でもあり、叱咤激励でもある。
「お前は、それでもまっすぐでいれるか?」という問いかけでもあるのだと思う。
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