トキワ荘の青春のレビュー・感想・評価
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背番号0
BSPにて鑑賞(初見)。トキワ荘についてはほんの少し知識があるだけだったので、寺田ヒロオがどんな作風なのかもわからなかった。時代は漫画全盛期となる70年代より以前の話。俺らの頃はジャンプ、マガジン、サンデー、キングが四大誌だったな~などと、ちょっと遠い目。
今風に言えば高度経済成長期におけるサブカルチャーだったトキワ荘。藤子不二雄が実は二人で一つのペンネームだった事実を知ったときは驚いた記憶も蘇り、アパートを去った手塚治虫の部屋にその二人が住んだことも感無量だったろうことも想像できる。
手塚治虫はこの頃から神様のような存在だったこともわかるし、敢えて描写を控えたのだろうか、ちょっと寂しい気もした前半部分。みんなトキワ荘の住人がみんなベレー帽を被っていた理由もこの作品だけではわからないし、つのだじろうや水野英子といった漫画家もちょい役程度だったりして、エピソードを切り刻んだだけの映画になってしまった気がします。
石ノ森章太郎の作品が後に漫画が市民権を得るきっかきになったこと。赤塚不二夫は売れていなかったこと。マンガの聖地となったトキワ荘でこのような青春時代があったのだと、ノスタルジックに浸ることができる映画ではありますが、何かが足りない。寺田(本木雅弘)が言う「子どもたちに夢を与える」理想と、商業主義に走った漫画との違い・・・時代の流れが激しいこともグサリとくるものじゃなかったような。
全体的には寺田ヒロオの作品「背番号0」の意味がそのまま芽の出ない野球選手を表しているようだったし、哀愁を強調するようだとだとあまり夢を与えてくれる内容じゃないよう!ちなみに、石森・赤塚の二人が中川家だと感じたことは内緒です。
小さな佳作。世代によるね。
時代の変遷と同じく、漫画もアニメも日々更新変化されていく、紙の少年漫画誌の衰退もあるだろう、今後も
だから昭和の漫画家の大物、スター漫画家を輩出したトキワ荘を描いたこの映画も世代によるだろう、受け止め方は。
それにしてもあの一世を風靡した赤塚不二夫にあんな低迷期は驚きだし、つげ義春と親交があったとは意外。
どうでもいいですけども、今の若い人。「つげ義春」結構シュールでいい感じだから「ねじ式」だけでも一読をオススメします。図書館によっては置いてあるところ有るから。
映画の話に戻ると
静かな映画だけれども、見やすく仕切られた穏やかな構成で、和ませる映画である。
時代背景も昭和30年代初頭から中盤の前あたりまでで、
やはり世代により感想は大きく異なるでしょう。それほど昭和は遠くになりつつある。
平成生まれ以降の若い衆だったら、映画マニア、漫画マニア、レトロ好き を除いて当然「なんですかコレ」の世界であろうし、
昭和20年代、昭和30年代生まれだったら直球ど真ん中であろうし、昭和40年代生まれもほぼ理解できる世代だろう。
そう言う私は40年代生まれ、結構楽しめた。
確かに大きな動きの少ない静かな映画だ。でもそれが当時の、パソコンもスマホもテレビも派手な出版物もない時代の時の流れに則してリアルではないだろうか。同じアパート内でもすぐに売れっ子になる者、全く芽の出ない者、堅調ではあるが徐々に確実に時代から取り残されていく主人公。
ただ、世の中皆んな貧乏でモノ不足だから、皆同じ安アパート軒の下で、いい時代ではあるよねぇ。貧相なキャベツと葱の炒め物だけの宴会も楽しそうだなぁ。
暗くて退屈
令和の世に見るトキワ荘物語。
金は無く物も無い時代。今から見ればだけど、戦後10年以内の頃ですからねー。そこからは、高度成長期に御座います。人々が金とモノに取り憑かれ、万人参加が前提の競争社会は昭和30年代に幕開け。
何も無いと言う事は、逆に言うと才能や運に恵まれた人にとっては好機。トキワ荘と言う環境は、またと無い切磋琢磨の場であったのですね。
にしても、やたら染みる。何もかもが。昭和ノスタルジーってヤツですか?
25年前の邦画。その後有名になる男優さんが揃っている事。タッチ全般が旧い邦画の流儀に沿っていた事。などは感慨深く眺めさせていただきました。
既に。昭和が「失われた世界の話」になってしまっている事を、改めて感じてしまう映画でした。
染み方が、半端無かった。
良かった。とっても。
【”人が人に対して優しい心を持っていた時代” 梁山泊の様なオンボロ”トキワ荘”から昭和の名作漫画の数々は生み出された。そして、皆、夢を持ち、優しき心を持っていた・・。 】
ー デジタルリマスター版という事で、冒頭にとても素敵なコメントを本木雅弘さんが観る側に優しい笑顔を浮かべながら、話しかける。
現況を踏まえた、とても優しい言葉を・・。ー
■感想
・本木雅弘さんが演じたトキワ荘の兄貴的な立ち位置にいた寺田ヒロオの、自分の書く漫画が時流に乗り遅れていく事を自覚しながも、自らの漫画道を究めようとする姿。
そして、大好きな野球を草野球していた子供に土手で投げてあげるラストシーン。
ー 本木さんの演技が、どこまでも抑制した優しさを湛えている。ー
・トキワ荘から売れっ子になった手塚治虫が、引っ越すシーン。そして、その後の日本漫画を牽引する事になる、若き漫画家の卵たちが次々にトキワ荘に引っ越ししてくるシーン。
石ノ森章太郎、藤子不二雄ペア、赤塚不二夫・・。
ー 滔滔たるメンバーであるが、淡々と描かれる。カット割りも短い。当時のノンビリとした雰囲気が漂ってくるようだ。ー
◆沁みたシーン
・行き詰まり、編集者(きたろう)から、”誰かの模倣の漫画だ、才能がない。”と言われてしまった赤塚不二夫。その編集者が、売れっ子になっていた石ノ森章太郎の原画を取りにトキワ荘に来た際に、さりげなく”彼、こういうの、意外と得意なんですよ・・”とアシスタントとしても使っていた赤塚の原画を見せるシーン。
そして、連載が決まった赤塚が石ノ森の部屋の前で、蹲りながら”有難う・・”と小声でお礼を言う姿。
ー 何気なく、お互いの状況をトキワ荘の住人達はみていたのであろう。ー
・皆で、夕食を取っている時に、売れっ子になっていた石ノ森章太郎と藤子不二雄が編集者達に呼び出され、赤塚も手伝いに・・と席を外し、最後、寺田と森安だけが、部屋に残るシーン。
ー 残酷なシーンをさり気なく取る市川準監督の手腕。ー
・鈴木はアニメーションの道を選び、森安は夢半ばにして”誰にも言わずに”トキワ荘を去り、そして寺田も・・。ー
<過酷な生き残り状況なのに、トキワ荘の住人達は、常に他の住人達を見守っている。その心優しき梁山泊のような所から、戦後の数々の漫画が生み出されていったのだ。
市川準監督が、淡々としたトーンで、熱き漫画を突き進む青年たちの成功と挫折を描いた作品。>
<2021年5月8日 刈谷日劇にて鑑賞>
初見だが懐かしい映画
2021年映画館鑑賞25作品目
3月8日(月)フォーラム仙台
元になった『まんが道』はまだ読んだことがない
当時は映画館で映画を観る習慣は無かった
公開後ソフト化された際に今は無き英知出版の『ビデオボーイ』というエロ雑誌に今月の一般作の一つとして紹介されこの作品の存在を知った
記念撮影した際の写真が載っていたが寺田ヒロオ役のモックンだけイケメンであとは変な顔の知らない人たちだった
彼らは当時小劇団の若手俳優でテレビや映画にあまり出たことがなかったらしい
それがのちの古田新太であり生瀬勝久であり阿部サダヲであり鈴木卓爾なのだ
初めて観る映画だがどこか懐かしい
もちろん自分が生まれるかなり前の時代の話である
何よりも懐かしいのは水野英子役の松梨智子である
映画監督を辞めて熱海の宿で仲居をやっているらしいが映画界に復帰してくれないものか
本編始まる前にモックンの挨拶
当時を振り返り作品と監督への思い
そして当時の自分の演技に対する後悔
『あの頃。』でも本編前に出演陣(恋愛研究会)が揃って挨拶したが舞台挨拶しにくい昨今こういう試みは悪くない
作品内容は眠くなるような内容だ
平坦でとても静かだ
小津安二郎監督を師事しているのだろうか
自然な芝居に拘ったのかセリフが聞きづらい
藤子不二雄も赤塚不二夫も石森章太郎も作品は大好きなのになぜこの映画を観なかったのか
忘れていた
僕は市川準監督作品が昔から苦手だったのだ
この作品を観てそれを思い出した
漫画家の青春を描いた作品なら『バクマン。』の方が断然面白い
チョイ役で桃井かおりや時任三郎が登場するが無駄遣いだ
心に染み入る
日常ですね
何度見ても泣ける
いい人を描いた真面目な映画の礼儀正しい演出タッチ
漫画家を目指す若者が生活を共にしながら確実に成長していく過程を静かにゆったりと描いた市川準監督の抑えた演出タッチが勝る映画。テレビ見学では作者に申し訳なく感じる程、真摯に映画を創作している。ただこの物語の語り口として、これが最も面白いやり方なのかの疑問が残る。昭和30年代の雰囲気は良く再現されているだけに、脚本と演出がもっと主張してもいいのではないか。主人公寺田ヒロオの善人性が突出しているのに対して、他の登場人物の個性が其々描き切れていない。また脇役に桃井かおり、時任三郎と出演しているが、なくてはならないシークエンスにはなっていない。
主人公を奇麗ごとだけではない視点、漫画家仲間から尊敬される人間性と違う一寸人間臭い側面も取り入れたならば深みが出たと思う。映画表現からも、食事シーン、編集者との関係、漫画創作カットと丁寧に描いて欲しかった。
映画的なメリハリは一切といっていいほど排除されています
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