東京物語のレビュー・感想・評価
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心を豊かにするもの
70年前の作品で、町の様子は今と全然違うけど、人は変わらないと思った。
老いた両親が子どもに会いに来たけど、子どもたちは親身な対応をしない。
その一方で嫁は、義父母を観光に連れて行ったり、泊めてお小遣いを渡したり、義母を亡くした家族の喪失に寄り添う。
人間は自己中心的で、子どもたちのような対応は正直だと思うけど、他人のようなつまらない関係だと思う。
嫁のような行動の方が、人を温かい気持ちにして、人生を彩り豊かにするものだと思う。
嫁と義父母の心の通い合いに、観客の心が温まったように。
自己中心的であることが悪だというわけではないけど、他人への思いやりを持つ方が、人生はより豊かになると思った。
自分が東京にいる子供の立場なのでよく分かる
尾道から東京にやってきた両親。
すでに東京で自分たちの暮らしや家族がいる中で、両親の存在は、他人のそれに近いのかもしれない。
1953年という、戦後もそれほど経っていない時代。高度経済成長はまだない中でも、核家族化が進み、両親と暮らさない人たちが多くなる中で、両親の存在は単に手間がかかる存在として、現実問題としてあったのだろうか。現代の人にも通じる家族観でもあり、見につまされる気持ちにもなる。
しかし一方で、赤の他人にも近い存在(劇中では、戦死した次男の嫁、紀子)が、むしろ尾道からやってきた両親に親身になるということ。
それは人柄もあるのかもしれないが、独り身という家族の体裁がない人間であるから、両親がやってきた時に純粋な喜びがあっただけなのかもしれない。
いずれにしろ、血を分けたかどうかよりも、自分たちに親身になってくれる存在が、現代においてはより大事になる、そういうニュアンスがラストには感じられた。
実のところ、東京にいる兄弟たちと自分は同じ境遇ではあり、確かに共感するような部分もある。
母危篤の際に喪服を持ってくるとか、伊豆旅館に追い出すとか、そういうことは流石に極端なやり方ではあるが、
やはり子供の時とは違って、両親だけではなく家族ができるとそちらが大事になってくるのは、現代人でもよくわかる話ではないだろうか。
この映画に悪人はいない。ただ、大事にするものは年齢とともに変わるだけなのだ。
しみじみ
長男長女をかなりデフォルメして描いていると思うが、
長女の「喪服持って行くか、、、必要なければそれで良いのだし、、、」的な言葉もあり、ホッとした。
酔い潰れて自分の知らない人を連れて帰宅の、お父さんをちゃんと世話した事も。
紀子さんだけが愛する人を失った悲しみを、知ってる人だったのかな。
初めて見る原節子さんの美しさに、ハッとした。笠智衆さんの演技には余韻が残る。
東山千栄子さんも。あんなお母さんでありたいな。
それらを際立たせる、杉村春子さんとも思えました。
そして、アキ・カウリスマキ監督!と思う、重機が映る場面。旅館のアコーディオン隊も。
麻雀とか騒々しさが、まさか描かれるとは、やや驚いた。東京の混雑する駅の様子も、、、ここには息苦しさも感じた。
団扇、重要。不朽の名作に、異論なし。
親孝行
70年前の作品。
今よりもっとちゃんと親孝行するのだと思っていた。
滅多に上京しない両親が出て来るというのに、
実子の長男長女は、
初めだけであとはほったらかし。
旅行をプレゼントするが、
その旅館、他の客の宴会で遅くまでドンチャン騒ぎ、それが部屋までよく聞こえて来て寝られやしない。
体のいい厄介払い。
戦死した次男嫁が、仕事を休み自身のアパートに泊めてくれる。
故郷に帰る途中体調を崩した母。
危篤の知らせがあり、長男長女次男嫁駆けつけるが、
ちゃっかり喪服持参の実子たち。
次男嫁は、そんなこと毛頭思いつかなかった、と。
葬儀が終わりさっさと帰る実子たち。
一人義父の元にとどまる次男嫁。
義父は何を思っただろうか。
親子の普遍的な型
尾道から急遽、東京に汽車で上京してきた老夫婦。主体性がなく、可もなく不可もなくの町医者の長男。その嫁は手堅い感じ。美容室を経営する長女は、気持ちがすぐに表情に出てしまい、何でもあけすけに言うタイプ。その旦那は、思いやりがあるタイプ。次男は戦没して8年が経ち、その妻は独身を守り安アパートで一人暮らし。次女は、独身の教師で理想を語るが世間知らず。三男は、あまり頼りにならない甘えん坊っぽい。
老夫婦が東京に出てきたはいいが、長男は急な回診が入る、長女は仕事が忙しいで、老夫婦を案内する暇がない。(美容室は、従業員が一人いるが、任せられる程ではない)結局、亡くなった次男の嫁が、東京を案内するバスで同行してあげ、その晩も、義母を泊めてあげる。
どの家庭も特に核家族の場合は、家事、仕事、子どもの世話で、急な対応はなかなか難しい。東京に出てきて、都会の生活に順応していれば猶更。そんな中で、次男の嫁(原節子)だけが、老夫婦に親切にしてあげる。面倒を見てもらった義母は、涙を流して感謝する。
東京行きでの長旅、心境の変化が影響したのか、老母が体調を崩して危篤となり、子どもたちに看取られて、明け方に亡くなる。会食のシーンで、長女がいつになく家族の思い出話をしんみりとして、一瞬、家族の絆、まとまりが蘇ったかのようだった。しかし、それぞれが自分の生活を思い出した瞬間から、長男や長女は、自分の利を最優先するような人間に戻っていく。次女は、「兄も姉も自分勝手よ」と。次男の嫁「お仕事があるから。家庭を持つと、親からだんだん離れていくんじゃないかしら。自分たちだけの生活があるのよ。」次男の嫁は、愛情を注ぐ家族がないから、その分を義理の父母に注いでいるっていうことなのだろう。
家族の栄枯盛衰を、老夫婦、それぞれの子どもたちの事情や生活という形で表現しているかのよう。元型のようなものが表現されていると言ったらよいか。特に都市化、核家族化する場合は、これが普遍的なテーマですよって。
それぞれの画面は、障子や窓枠などで縦線が多く配置され、遠近感と視点の集中の効果を出している。また、陰影のバランス、人物の配置が計算され尽くされていて、日本的な様式美、能や歌舞伎に通じる芸術性が秘められているように感じた。普遍的な様式美と親子の形をリンクさせたかっただろうか。
更には、日本的な感情表出の元型とでも言ったらよいか、序破急という感じで、最後に感情的な爆発が表出される。一つ目は、東京への旅行。どこに行っても邪魔な感じ→長男長女の家を出ていく→老父の酒酔いと老母の涙。二つ目は、尾道の場面。皆が集まる→老母が亡くなる→残された老父と未来が不安な次男の嫁の感情の表出。「型や義理を守る生活→出来事が起こる→自分の感情が表出」と言ったらよいか。
これはおそらく通向けの映画なのだろうと思う。自分も知的には理解できるが、ベスト1にはならない。感情が大きく揺さぶられるという程ではないが、上記のような目で見れば、芸術性が高いのかなって。
平凡さから感じる喪失の怖さ
数ある映画の本やサイト、記事で名前の上がる映画はやはり面白いのだなと再確認できた作品。
現代のスピード感で考えると、頭の数分で鑑賞をやめてしまう人が多そうな、非常にゆっくりと進むストーリー。
しかし観ているうちいつの間にか登場人物に引き込まれ、終盤に呆気なく訪れた死別には、どんな映画よりもリアルさを感じ悲しくなりました。
小津監督のしみじみとした諦観の傑作
この小津映画は、これまで観てきた日本映画の中で溝口健二の「祇園の姉妹」と並ぶ最高傑作だと思う。小津安二郎監督独自の映画様式が映像美の極致に至り、人間の内面を洞察した深い思索が人生観を伴って人間愛となり、観客の心に訴えかける迫力を持っている。溝口監督とは違う作家としての演出法は、いつの世にも変化なく充分に理解され高く評価されるであろう。このような優れた作品に出会うと、映画を愛してきた幸福感に包まれてしまう。
ストーリーは簡潔にして分かり易いが、常に登場人物の言動は矛盾に満ちている。日本人が相手を思い遣る特徴として持っている本音と建て前を使い分けた大人たちの会話劇には、このような物語を傍観することで改めて気付かされる面白さを含んでいる。作品の時代は、まだ新幹線のない戦後の高度成長期の入口に位置する。舞台は尾道と東京だが、そう簡単に行き来できる距離と時間ではない。この隔たりがある前提条件を踏まえて観ると、より物語が描きたかったものが理解できるのではないだろうか。
尾道に住む老夫婦平山周吉と妻とみが、東京に住む長男長女の家を訪問する。子供たちは表面上如何にも歓待の様子を見せてはくれるが、実際は充分な心遣いが出来ない現実にいる。大人になった長男長女は其々に家庭を持ち子供の世話で忙しくて、老夫婦の期待通りの対応は叶えられない。時間に追われる都会の生活にいる長男長女と、老後の穏やかな時間にいる老夫婦の対比。しかし、次男の戦争未亡人紀子が、会社を休んで老夫婦を東京案内に招待する。
この前半の通俗的とも見られる現実描写から、後半のドラマは作家小津の枯淡の人生観が描かれていく。帰郷の途中に妻とみが体調を崩し大阪に住む三男敬三の下宿先で休養するが、尾道に帰って間もなく脳溢血のため昏睡状態に陥る。末娘の京子が兄弟たちに電報を打つ。今度は子供たちが故郷尾道に集まる展開だが、ここで長男長女のエゴイズムが露になる。妻を亡くした周吉の男一人身の寂寥感と諦観を前にして、長女志げの打算的な価値観と長男で医師の幸一の無慈悲な態度。家族が一つに寄り添う事がない脆さ、それが現実とする小津監督の諦観が厳しさと救いの境地に至る。戦争で夫を亡くして約10年経つ紀子が、もう時々にしか夫を想い出さないと素直に告白するシーンがある。しかし、その正直さと優しさを持つ紀子の人柄を褒める周吉がいる。戦後の復興成長する日本社会の中で、家族がどのように変化しているか、変化せざるを得ないかが見事に描かれている。
ひとりの人間が生きること、そして人生を終えることは、とても神聖なものであるが、人其々に生活がある限り、それを論じる時間はない。その心の余裕を持つことがその人の人生を豊かにするのではないかと作者小津監督の提言と捉えられる映画だった。役者では、淑やかで慎み深い日本的な女性美を体現した原節子の存在感と、現実的な価値観に生きる役柄を完璧な演技力で応えた杉村春子が、特に優れていた。エゴイズムとヒューマニズムの完璧な傑作。
1978年 6月14日 フィルムセンター
公開当時の日本での評価は大絶賛ではなかった。最も厳格な批評家飯島正氏の選定では、「あにいもうと」「雨月物語」「日本の悲劇」に次ぐ順位である。ただし、普遍的なテーマが持つ分かり易さと小津演出の様式美の両面から、国内外で作品に相応しい評価を受ける様になる。特にイギリス映画界の反応が顕著なのが挙げられる。兎も角、この時代の小津安二郎、溝口健二、黒澤明の諸作品は素晴らしい映画ばかりで、未だに忘れられることはない。時代と作家に恵まれた映画界と言えるだろう。
個人的な話をすると、カメラと8ミリ撮影が趣味だった父は、小津映画の演出に深く感銘を受けていた。「晩春」の感動を聴かされたこともある。子供時代は、父が制作した旅行記録や冠婚葬祭記録の上映会を家族や近所の人たちとよく楽しんだものだ。私が主人公の作品もあった。対して私は、小津監督に感銘をうけると同時に溝口監督の演出が好みでは上回る。これは例えて僭越ではあるが、淀川長治さんと共通する。結局、日本映画に於ける小津監督と溝口監督が別格の位置にいることには違いないのだが。親子でも好みが違うのだから、好き嫌いを言い出したらキリがない。その好みを排して、この映画に深く心打たれた若い時の記憶は私にとってとても貴重な経験であった。
ちょっとわびしい
血の繋がった子供より(香川京子を除く) 、血の繋がっていない原節子の方が優しいというストーリー。
1953年の映画なのに、今でも共感できるストーリーだ。それに、海外でも評判が高いと言うのは、海外でも共感できるストーリーだからだろう。
笠智衆の友人が、酔っ払って、親が子供を殺すこともあると言うセリフがあるが、今ならそういった事件も多いが、この頃も珍しくはなかったんだなと改めて驚く。
杉村春子がちょっと薄情なのに対して、原節子が余りにもいい人すぎるのは、ちょっと嘘っぽいが、その嘘っぽさを取り消すためなのかどうか、お葬式の後の笠智衆との会話で、「私ずるいんです」と何度も言ってるところが面白い。
あと、失ったものへの侘しさを痛感する。まだ銀座を通っていた路面電車、屋上の物干し用ベランダ台、原節子の住んでいる6畳一間のアパート、尾道の瓦屋根等。この頃は、熱海が若者の来るところだったとは。それに、この頃まではまだあった日本語の会話の美しさ。バスのガイドさんの案内まで、美しく響く。
この映画では地味な役の香川京子であったが、翌年、溝口健二監督の「近松物語」でおさん役を演じて、強烈な印象を残すことになる。
父は、今も昔も変わらない
随分前にテレビ(だと思う)で観た時は、あまりに抑揚が無い展開に寝てしまった記憶がある。
今回ネットフリックスにあがっていたので、字幕付きで観た(古い邦画はデジタルリマスターでも音声が聞きづらいので、字幕付きがおススメです)。
面白かったっていうか、感慨深かった。
70年前も今も、親の気持ちは同じなのだ。さらに、その親は子どもを戦争で失っているシチュエーションで、究極の反戦映画なのではないだろうか。そして、原節子の最後の独白も素晴らしい。
医者目線だと、トミの死因は脳卒中であろう。今はカテーテル治療や手術、薬物など、さまざまなセレクションがあるが、当時は氷嚢を頭にのせているだけだったのだ。医者同士で使っている言葉も全部ドイツ語というのも時代だなと思う(私は58歳だが、自分が医学博士をとる時には英語とドイツ語の試験があった、今はドイツ語の授業すらない)。
一番、感銘したのは、戦後間もないためか、死が誰にも訪れて、仕方ないという捉え方である。
現在は90歳寝たきりの患者が、急に亡くなっても「老衰」では納得しない家族が実際に詰め寄ってくる。そういう意味では医師としては、良い時代かもしれない(でも、往診などは、しっかりしているから、大変ではあったと思う。現在の在宅医療の原点)。
ジム・ジャーウィッシュを始め、皆がオマージュする理由がやっとわかった。
子供は親が思うようには育たない…
自身そうなんだろうし、子もそうなんだろう‥親子は甘えがあり、他人の方が思いやり、大事にする。誰しも生活があり忙しいが、生きているうちに親孝行、それに気付けた人が幸せ。映画は派手さはなく、淡々としながらも何気ない親子の会話や、生活を通して、メッセージ性があった。
老夫婦の幸福
東京における子供たちの暮らしぶりに直に触れ。老夫婦は子供たちの今現在一番大切なものが親である自分たちではなくなったことに一抹の寂しさを覚えるものの、その数倍の幸福を感じたはずだ。そこにはまっとうな営みがある。大切な幼子たち、大切な仕事、連れ合い・・・。守るべきもののために奮闘する子供たちの姿がかつて自分たちがそうであったことを思い出させ更に老いて一線を退いたことを再確認させたに違いない。自分たちの手を離れ子供たちは各々立派に城を築いたのだ。 逆に言えば上京した自分たちを相手する余裕がある紀子にはその守るべきものがないことの証左。寂しくとも気楽であると気丈に女の一人暮らしをしていたところに未来の理想図ともいえる優しく仲睦まじい老夫婦が訪ねてきては穏やかではいられなかっただろう。さらに肉親同士の遠慮抜きに言いたいことを言い合える様など見せられれば尚更である。どんなに強い人でもおっぱいが恋しくなる。それを見取った老夫婦に再三次男のことは忘れて新しい人生を歩みなさいと言われれば言われるほどまた紀子は切なくなる。自分が老夫婦を大切にすればするほど彼らは自分のことを心配する構図があるからだ。自分のことに心を砕いてくれた義母に安心してもらう間もなく逝かれてしまう紀子の口から「仕方ないのよ皆そうなるのよ」と京子を諭させるシーンは心動かさずにはいられない名場面だ。
戦争そして家族からの二人の旅立ちの物語?
尾道、東京下町、熱海と、舞台の移動テンポがとても小気味よい。家の中の縦に狭められた構図は好みではないが、風景の切り取り方は何らかの角度がついていて、とても素敵。
映画全体に関しては、1回見ただけでは主題は勿論、原節子の紀子の人物像がさっぱり分からず、2回強見てようやく少し理解ができた様な気になった。説明が最小で、なかなかに手ごわく且つ奥の深さがある映画である。
義母がアパートに泊まった夜の紀子の覚醒は、義父との最後の会話のイントロであり、変化への熱望の自覚なのか?翌朝、義母の頭上にガラス戸の割れ目が来るのは、勿論偶然ではなく、暗号、即ち死の病が頭内で起きてることの象徴か?
ラスト、義母の時計を貰い受けた紀子はそれをしっかりと手で包み込む。時計の音らしきものが響き渡り、同時に笠智衆の周吉も家族から離れ孤独を噛みしめ一人立ちするやに、出航する船の映像と時を刻む音が重なる。戦争で夫を亡くし言わば時間が止まっていた紀子と過去としがらみに縛られ惰性で生きてきてる平吉、もしかして小津監督?の心の琴線が言わば共鳴し合って、時が動き始め、細々と、しかしけなげに音をたてて前に進んで行く素敵なエンドに思えた。
"家族とは何か"を問い掛ける不朽の名作!
紀子三部作第3作。
Blu-ray(ニューデジタルリマスター)で4回目の鑑賞。
家族。人間ならば誰しもが抱え、関わり続けなければならない普遍的なテーマを扱った不朽の名作。世界中の映画監督が選ぶ映画ランキングの第1位に輝いています。
本作で描かれているテーマがどんな時代であっても変わらないものであるが故に、世界中の人々が揃って共感することが出来ると云うことの証明だと思いました。
笠智衆と東山千栄子が演じる老夫婦の、穏やかな仕種に垣間見える悲しみが、多くを語らないだけに痛ましかったです。
久しぶりに会った我が子たちは、はじめは両親との再会を喜びましたが、日常に追われる中で次第に持て余し、最後は熱海旅行にかこつけて追い出してしまいました。
騒がしい旅館で一夜を過ごす老夫婦は、どのような想いで床に就いていたのか。考えるだけで胸が痛くなりました。
初鑑賞ではとても薄情な光景に思えましたが、何回も観ていくと子供たちにも生活があって、そうしてしまう気持ちも分からなくはないなと云う感想を抱くようになりました。
親は大切な存在であると云う想いは変わりませんが、老夫婦の子らに共感してしまった自分自身に正直驚きました。
そんな子供たちとは対象的に、戦争で死んだ次男の妻・紀子は、体良く追い出された老夫婦に対し、謂わばすでに他人であるにも関わらず、本当の子以上に甲斐甲斐しく世話を焼いて心をつくしていました。私はこの描写を見て、深く考えさせられたのでした。人の心の清い部分が紀子を通して描かれ、それ以外の部分を老夫婦の子らの姿で描き出したのかな、と…
家族とは何か?
考えれば考えるほど、心に沁みる。
味わい深い名画だなと思いました。
[余談]
東京と尾道とでは、流れる時間の速さが全く違う。
流れる時間が人を変えてしまうのでしょうか?
都会の喧騒と慌ただしさの中にいると、ふとした瞬間、大切な何かをポロッと落っことしてしまうのかもしれないなぁ…
[以降の鑑賞記録]
2019/10/25:Blu-ray(ニューデジタルリマスター)
※修正(2023/07/16)
喪失と合理主義について
私なんぞがグダグダ言う必要のない、問答無用の世界的傑作。グダグダ言いますけど。
小津の代表作でもあるわけですが、その理由として、本作には小津が描こうとしてきたであろう頻出する2つのテーマが過不足なく、きちっと描かれているからだと思います。
【小津の頻出テーマ】
①喪失と向かい合うこと
誰かを失うということは、本当に苦しく悲しく辛いです。離別もそうですが、死別はなおさらのこと。だから、我々は悲しみから目を逸らそうとします。
しかし、小津は悲しみから逃げても何も変わらないことを静かに、しかしきっちりと描こうとする人だと感じています。そして、喪失が描かれる作品では、必ず小津はポジティブな印象を与える人物に悲しみと直面させます。
小津が喪失の物語を繰り返す理由は、おそらく戦争体験でしょう。不条理に悲惨な現実に巻き込まれ、大切な人々との関係を断絶させられる。小津自身も大切な人を亡くしているのかもしれません。喪失との直面を描くことは、小津にとっての癒しの作業、つまりサイコマジック(byホドロフスキー師匠)の実践だったのかもしれません。
本作では、未亡人・紀子が相当します。彼女は先の戦争で夫を失っており、8年もの間ひとりで暮らしています。
終幕近くにて、紀子は「私は狡い」と独白します。亡き夫を愛しているが、彼を思い出さない日が増えてきている、と。愛しているが忘れていく罪悪感、そして将来の自分の生活の心配や展望を描きたい気持ちがないまぜになり、彼女を苦しめます。
小津は、このように苦しみ悩むことこそが、拭いきれない悲しみを真の意味で癒し、そのプロセスが人間を人間たらしめている、と強く主張しているように思います。身を引き裂かれるような痛みを超えることが、その人を成長させると考えているのではないでしょうか。
また、悲しみを語り痛みに向かい合うためには、誰かが必要です。しかし誰でもよいわけではなく、心のつながりのある人でなければならない。本作では老夫婦に当たるでしょう。東京にやってきた老夫婦に対して、紀子だけが心の交流を行ってました。だから、紀子は彼らに語れ、彼らも紀子を受け止めたのです。
このような心のつながりがあるからこそ、人は人として営めるのだ、と小津は語っているように感じます。だからこそ、彼はつながりの象徴である家族を描いてきたのだと思います。
②合理主義・プラグマティズムへの怒り
本作では二項対立が描かれています。それは、人間的なつながりを持ち、悲しみと向かい合える紀子や京子、老夫婦のポジティブサイドと、日々の忙しさに追われ、悲しみと向かい合うことのできない兄や姉のネガティブサイドです。
ネガティブサイドの人たちに対しては、紀子に「仕方ないのよ、私たちもああなるのよ」と言わせてますが、小津は仕方ないなんて微塵も思っちゃいない。明確に「フザけんじゃねぇ!」と怒っています。
小津は合理主義を、自身が考える人間的な営みを破壊するものと捉えている様子が窺えます。人から時間を奪い、その結果余裕を奪い、人間にとって最も大切な人とのつながりと情緒的な生活を奪う。すなわち、合理主義に人間性を奪われた人は、喪失の痛みにのたうち、悩み苦しむこともできなくなるのです。
兄と姉は喪失ができない。一瞬悲しむも、悲しみを抱えることはない。確かに忙しいし、常識的には致し方ないことです。しかし、小津はこの価値観にはっきりとNoと言っているのです。
だから、小津は終生サラリーマンをdisったのだと思います。
しかし、本作はネガティヴサイドの人々をdisったりしません。兄や姉は、悪でも虚無でもありません。そのあたたかさが本作を大傑作にたらしめているのでは、と感じています。
作中にて、兄と姉は昔は優しかったと語られます。つまり、彼らは合理主義によって人間性を奪われた存在、として描かれています。システムを憎んで人を憎まず。
美しいタイトルですが、表題の東京とは、もしかすると合理主義を象徴させているのかもしれないな、と思いました。小津の抵抗・反抗のアティテュードを感じざるを得ません。
本作は家族のつながりの崩壊を描いていると思います。合理主義に侵食され、その結果核家族化が進み、つながりが失われる世界を予言していたようにも感じます。小津映画は古き良き日本を描いているというイメージが流布していると思いますが、それって合理主義以前の豊かな情緒的つながりのことなのかなぁ、なんて想像してます。
しかし、小津が嫌うような人間性を奪うイズムはいつの時代にもあるし、戦中なんて命を奪う軍国主義があった訳ですし。小津は懐古主義というより、理想郷とか人のあるべき姿を描きたかったのかもしれません。
したがって、本作は単に昔を懐かしむような作品では決してなく、現代にも通用する普遍的な物語だと感じました。だから世界的に評価されているのかもしれません。
やっぱり、子どもの方がええのう
映画「東京物語」(小津安二郎監督)から。
東京で働いている子どもたちに会いに、20年ぶりに上京した老夫婦。
そこで待っていたのは、自分たちの生活が優先で、
久しぶりに会った両親をゆっくり歓迎する余裕のない子どもたち。
これが1953年、60年近く前に製作された映画と知り驚いた。
現在の私たちに警鐘を鳴らしている、と言っても過言ではない。
日本を代表すると言われている映画監督、小津安二郎さんは、
もしかしたら、予言者ではないだろうか、と思わせるほどだった。
それくらいに「家族、親子、兄弟姉妹、嫁姑」について、
「理想と現実」を組み合わせながら、高度成長期の激動を映し出している。
また、これから日本の問題になるであろう「高齢者の孤独感」も、
ラストシーンの「時計の音」と「一人になると、急に日が長くなりますよ」
の台詞だけで、私には充分に伝わってきた。
そんな多くのメモから、私が選んだのは、やっぱり親だなぁ・・と感じた
老夫婦の会話。
東京での10日間を振り返り「孫もおおきゅうなって」と妻、
「ウム・・よう昔から子どもより孫の方が可愛いと言うけぇど、
お前、どうじゃった?」と夫。
それに続けて「お父さんは?」「やっぱり、子どもの方がええのう」
「そうですなぁ」・・ただ、それだけの会話であった。
自分たちの突然の上京に、子どもたちに迷惑がられていたのも感じ、
なおかつ「大きくなって変わってしまった子どもたち」を実感しながら、
それでも「孫より子ども」と言い切った老夫婦に、拍手を送りたい。
映画「東京家族」(山田洋次監督)に続けて観ることをお薦めする。
小津安二郎監督の偉大さが、よりわかるはずだから。
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