東京物語のレビュー・感想・評価
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淡々と、ただ淡々と
人生において何度目かの鑑賞時、
「長男長女の気持ちもわかる!彼らに共感できる」と感じた時に「自分も大人になったものだなぁ」と思った。
長男長女は決して薄情なわけではない。ただ、両親をもてなす事より先にどうしても優先せねばならない事があるだけなのだ。
子供達の学習、目の前の仕事。顧客との信頼関係。
それらには「今、その時にせねばならないタイミング」というものがどうしてもある。違う選択をしてしまったらえらく遠回りになるか最悪は望む未来を断念せねばならないかもしれない。
長男長女も決して両親を疎んじたり蔑ろにしているわけではない。
ただ、どうしてもそれ以上に大切な事が1つ2つあるだけなのだ。
母、とみが倒れた時、長女が「喪服を持っていくか悩み、結局持っていく」という選択をするシーン。
これは本当に身につまされた。
心情的には「絶対、助かって欲しい!」と強く願うならば喪服を持参するのは言語道断かもしれない。
しかし、もし「万が一」の事態があった場合には、東京に喪服を取りに戻る金銭的余裕も時間的余裕もないのだ。
有り余る財力があるならば、飛行機で取りに戻る事も現地で調達する事も出来るだろう。だが、そんな事が出来るのは一部の富裕層だけだ。
医師だろうが美容室経営だろうが、子供達に充分な教育を与えたいと思ったら生活費にゆとりなんかない。
長男長女も、日々精一杯の努力を重ねて家族を守り育てているのだ。紀子が甲斐甲斐しく老父母に尽くせるのは、彼女にはそれら(守るべき城)が無いからだとも言える。老父母に尽くす事が今は亡き最愛の夫との絆を保つことでもある。
「私もやっぱり、喪服を持っていくだろうな」と思ってしまった時、「東京物語」という名作の凄さに近づけた気がした。
笠智衆演じる父・周吉もそれを充分に理解してくれていると思う。「子供達の現在」は、かつて自分も通ってきた道に違いないからだ。
子供達がきちんと巣立ち、彼ら自身の城を築いている事は、親として最大の幸せだと思う。
今、自分が人の親となった時、自分自身は子供達に何も求めない。
子供達に様々な経験や学びを(情・知・体すべて含め)与えてあげられることこそが最高に幸せだと思う。
巣立ちの日、繋いできた手を離すために。
当時の背景を思えば、大家族から東京に象徴される核家族化によって失われるものへの哀惜も描かれてはいるだろう。その一抹の寂しさはあれど、周吉もとみも子供達の現在に対して肯定的だと思う。
すべてを達観した周吉の眼差しに、観客は古今東西、人類が繰り返してきた日々の営みを見るのだろう。
悠久の歴史の中で幾億幾兆と繰り返されてきた家族の姿。生きるという事。
大空や大地、満天の星々を眺める時のような不思議な感覚に身を任せ、時間の海を揺蕩う。そんな感情を抱かせてくれる本作なのである。
いやはやとてつもない名作だ。
家族の喜びと寂しさの交差する物語
海外の、それも映画業界に携わる人の評価は高いが
国内ではどうなのか?どう捉えているのか?
知っているのか?といつも思ってしまう。
カメラポジションとか古い日本とか
そいういレベルの話では無く
世界の誰もが共通する「家族や人間」
その評価であって欲しいと願っている。
それは時代を超えて
家族である喜び
家族である悲しみ
家族であるはかなさ
そんなものがサァ〜ッと
風のように通り過ぎる映画。
そう思って鑑賞している。
※
笠智衆さんの演技を引き出した演出
「PERFECT DAYS」の主人公「平山さん」からの連想で再び見ることにしました。
前に見たことがあったはずなのに、東京旅行のところしか覚えていませんでした。同じ映画でも、見る時期によって感動も受け取り方も変わるものですね。
息子さんがお父さんに病状を告げるシーンの笠さんの演技は、ほんとに心に染みました。
お母さん役の女優さんもよかったです。
もしも、この映画を見て、笠智衆さんに興味を持たれた方は、ぜひ、ドラマ「ながらえば」を見てください。NHKオンデマンドで見ることができます。DVDもあるので、レンタル等にも、まだあるかもしれません。映画ではありませんが、この「東京物語」と同じように、笠さんの演技に胸を打たれます。
尾道も東京も変わったが、尾道は僕の世代でも見たことのある風景だった...
尾道も東京も変わったが、尾道は僕の世代でも見たことのある風景だった。大林宣彦監督の映画の影響だと思うが『転校生』『さびしんぼ』でこの映画のカットが使われていると思う。日頃から思っていたが、日本に於ける小津安二郎の継承者は大林宣彦監督だった様な気がする。少なくとも、松竹の山田洋◎監督ではないと思う。彼には弱者に対する愛がないと思う。貧困を扱うかおうとするとき、俯瞰した目で見つめ、そういうものを直そうとする。
彼の中に流れる価値観は『東大卒』でしかない。
この監督の後継者ではない。
変化する其々の内面を描写した映画。
内容は、上京した老夫婦と家族達の姿を通して、家族の絆、親と子、老いと死、人の一生等々を冷徹な客観的視点で表現した作品。小津安二郎の畳の目が見える様な畳上30cmの煽り撮影は物憂げで生活感のある表現に親近感を覚える。印象に残った言葉は『東京はのう、人が多過ぎるんぢゃ』正直な感想が人が変わってしまう根本的な生活の変化に違和感なく感じてしまう恐ろしさであったり。『親孝行したい時に親は無し、せれとて墓に蒲団も着せられず』分かるけど行動に移さず結果後悔してから気付く人の業みたいなモノが心象のスケッチとして描かれて素晴らしいと思うばかりです。最後の紀子の台詞『私ずるいんです。ずるいんです』は主観的ではなく客観的で観客其々が相剋する矛盾に静かに光を当てられた様でドキッとします。静かな物語の中にも其々のキャラクターの作り込みがしっかりしているので、メリハリがついて共感も誘う様で素晴らしいと感じます。戦後間も無く訪れた変化に翻弄される人々と社会の移り変わりと共に心模様の移り変わりの対比は、全く時代が変わった今でも胸に詰り言葉にならない物語です。正に名作と言われる所以です。
平凡さから感じる喪失の怖さ
数ある映画の本やサイト、記事で名前の上がる映画はやはり面白いのだなと再確認できた作品。
現代のスピード感で考えると、頭の数分で鑑賞をやめてしまう人が多そうな、非常にゆっくりと進むストーリー。
しかし観ているうちいつの間にか登場人物に引き込まれ、終盤に呆気なく訪れた死別には、どんな映画よりもリアルさを感じ悲しくなりました。
共感する引き出しがあまりに多くて,これは自分の家族を描いた映画では...
共感する引き出しがあまりに多くて,これは自分の家族を描いた映画ではないかと思ってしまうほどだった.昔酒癖が悪く母に迷惑をかけていたものの,人生の終盤に差し掛かり角が取れて好々爺然としている父親.ぼんやりと忘れものばかりしていて体の節々を痛めながらも献身的に働いている母親.両親よりも自分の利害を中心に計算して,見え透いた言動を繰り返す長女.自分の仕事を優先して,両親のことを軽視している私.映画を見ていて自分の姿と彼らの悲哀を感じて悲しくなるものだ.次の帰省の時には一緒にお酒を飲んで,何か大事なことを話すことができたらいいと思うのだけれど.
語れないほどの感無量
何回も見ています
見れば見るほどに素晴らしい
自分が歳をとった分だけまた
余計に素晴らしい
そう感じる映画です
この映画に感想を言うなぞ
恐れ多過ぎますが、
生きてきた中でいちばん心に残る
大好きな作品です。
小津監督のしみじみとした諦観の傑作
この小津映画は、これまで観てきた日本映画の中で溝口健二の「祇園の姉妹」と並ぶ最高傑作だと思う。小津安二郎監督独自の映画様式が映像美の極致に至り、人間の内面を洞察した深い思索が人生観を伴って人間愛となり、観客の心に訴えかける迫力を持っている。溝口監督とは違う作家としての演出法は、いつの世にも変化なく充分に理解され高く評価されるであろう。このような優れた作品に出会うと、映画を愛してきた幸福感に包まれてしまう。
ストーリーは簡潔にして分かり易いが、常に登場人物の言動は矛盾に満ちている。日本人が相手を思い遣る特徴として持っている本音と建て前を使い分けた大人たちの会話劇には、このような物語を傍観することで改めて気付かされる面白さを含んでいる。作品の時代は、まだ新幹線のない戦後の高度成長期の入口に位置する。舞台は尾道と東京だが、そう簡単に行き来できる距離と時間ではない。この隔たりがある前提条件を踏まえて観ると、より物語が描きたかったものが理解できるのではないだろうか。
尾道に住む老夫婦平山周吉と妻とみが、東京に住む長男長女の家を訪問する。子供たちは表面上如何にも歓待の様子を見せてはくれるが、実際は充分な心遣いが出来ない現実にいる。大人になった長男長女は其々に家庭を持ち子供の世話で忙しくて、老夫婦の期待通りの対応は叶えられない。時間に追われる都会の生活にいる長男長女と、老後の穏やかな時間にいる老夫婦の対比。しかし、次男の戦争未亡人紀子が、会社を休んで老夫婦を東京案内に招待する。
この前半の通俗的とも見られる現実描写から、後半のドラマは作家小津の枯淡の人生観が描かれていく。帰郷の途中に妻とみが体調を崩し大阪に住む三男敬三の下宿先で休養するが、尾道に帰って間もなく脳溢血のため昏睡状態に陥る。末娘の京子が兄弟たちに電報を打つ。今度は子供たちが故郷尾道に集まる展開だが、ここで長男長女のエゴイズムが露になる。妻を亡くした周吉の男一人身の寂寥感と諦観を前にして、長女志げの打算的な価値観と長男で医師の幸一の無慈悲な態度。家族が一つに寄り添う事がない脆さ、それが現実とする小津監督の諦観が厳しさと救いの境地に至る。戦争で夫を亡くして約10年経つ紀子が、もう時々にしか夫を想い出さないと素直に告白するシーンがある。しかし、その正直さと優しさを持つ紀子の人柄を褒める周吉がいる。戦後の復興成長する日本社会の中で、家族がどのように変化しているか、変化せざるを得ないかが見事に描かれている。
ひとりの人間が生きること、そして人生を終えることは、とても神聖なものであるが、人其々に生活がある限り、それを論じる時間はない。その心の余裕を持つことがその人の人生を豊かにするのではないかと作者小津監督の提言と捉えられる映画だった。役者では、淑やかで慎み深い日本的な女性美を体現した原節子の存在感と、現実的な価値観に生きる役柄を完璧な演技力で応えた杉村春子が、特に優れていた。エゴイズムとヒューマニズムの完璧な傑作。
1978年 6月14日 フィルムセンター
公開当時の日本での評価は大絶賛ではなかった。最も厳格な批評家飯島正氏の選定では、「あにいもうと」「雨月物語」「日本の悲劇」に次ぐ順位である。ただし、普遍的なテーマが持つ分かり易さと小津演出の様式美の両面から、国内外で作品に相応しい評価を受ける様になる。特にイギリス映画界の反応が顕著なのが挙げられる。兎も角、この時代の小津安二郎、溝口健二、黒澤明の諸作品は素晴らしい映画ばかりで、未だに忘れられることはない。時代と作家に恵まれた映画界と言えるだろう。
個人的な話をすると、カメラと8ミリ撮影が趣味だった父は、小津映画の演出に深く感銘を受けていた。「晩春」の感動を聴かされたこともある。子供時代は、父が制作した旅行記録や冠婚葬祭記録の上映会を家族や近所の人たちとよく楽しんだものだ。私が主人公の作品もあった。対して私は、小津監督に感銘をうけると同時に溝口監督の演出が好みでは上回る。これは例えて僭越ではあるが、淀川長治さんと共通する。結局、日本映画に於ける小津監督と溝口監督が別格の位置にいることには違いないのだが。親子でも好みが違うのだから、好き嫌いを言い出したらキリがない。その好みを排して、この映画に深く心打たれた若い時の記憶は私にとってとても貴重な経験であった。
歴史的名作であり歴史的偉業なのだと思います。
これまでちゃんと見たことがなかったのですが、初めて通しで鑑賞。
どうしても、世界的名作という評価と、どこかで読んだり聞いたりした著名人の推しコメントがこびりついているので、何らかのバイアスゼロというわけにはいきません。
今見て面白いか?
と問われたら正直、うーむ、と唸るしかありません。
でも凄さは十分に伝わってきます。
この映画で描かれているテーマはすべて、今作られているたくさんの映画たちも、色々と設定や形を変えて懸命に描こうとしている普遍的なものです。
太平洋戦争で日本が降伏したのが1945年8月。
この映画が作られたのが1953年。
戦後復興と生きることに必死になっている時代にですよ、日常生活の中にふと訪れる虚無感とか焦燥感とかを、実に鋭く切り取って、映像に落としているのです。
登場人物の中で一番成熟した大人のように感じる紀子ですら(というより紀子だからかもしれません)、日常が日常として何事もなく過ぎていくことに、時として耐え切れずに泣いてしまうわけです。
『私、歳を取らないことに決めたのです』なんてセリフから窺える〝無理してる感〟が終盤になって明らかになってくる展開はサスペンスと言っても過言ではないほどです。
戦後の変わっていく家族関係
1953年頃、尾道で暮らす周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の老夫婦は、東京で暮らす子どもたちを訪ねるため上京した。しかし医者の長男・幸一(山村聰)と美容院を営む長女・志げ(杉村春子)は自分の生活が忙しく、両親の相手が出来なかった。戦死した次男の妻・紀子(原節子)だけが優しい心遣いを見せ東京の観光案内までしてくれた。そして、東京から帰る途中とみの具合が悪くなり大阪の三男・敬三の所に寄ってから尾道に帰ったが、帰宅後に体調が急変した。危篤の電報を受け帰省した息子と娘も、とみが亡くなり、葬儀が終わるとさっさと東京や大阪に帰ってしまい、次女京子(香川京子)と暮らす父のもとに残ったのは我が子ではない紀子だけだった。そんな親、実子、嫁といった家族関係を描いた話。
戦後の日本の家族関係が戦前とは変わっていった様子を描きたかったんだろうと思った。それまでは「家長が」とか、「長男が」とかだったのが、戦後は平等というある意味無責任な親子関係になっていったのだろうと思った。
原節子を初めてスクリーンで観たが、鼻は大きいし、美人というほどじゃないと思った。香川京子や三宅邦子の方が綺麗かも。
戦後たったの8年後に撮影された東京の復興がすごくて驚いた。尾道は現在ともあまり変わらない感じだった。
なんとも言えずほのぼのとした良い作品だった。
時代や国が違っても同じ思いを馳せる
個人評価:4.2
親と子の関係や距離、いつの時代も変わらないと感じる。親子だから冷たくドライにできる。他人だから相手を気遣い優しくできる。身につまされるこの感覚がなんとも切なくなり、実家にたまには帰ろうかと我が身を振り返る。
時代が変わっても普遍的なテーマであり、また国が違っても同じ思いを馳せると感じる。
ちょっとわびしい
血の繋がった子供より(香川京子を除く) 、血の繋がっていない原節子の方が優しいというストーリー。
1953年の映画なのに、今でも共感できるストーリーだ。それに、海外でも評判が高いと言うのは、海外でも共感できるストーリーだからだろう。
笠智衆の友人が、酔っ払って、親が子供を殺すこともあると言うセリフがあるが、今ならそういった事件も多いが、この頃も珍しくはなかったんだなと改めて驚く。
杉村春子がちょっと薄情なのに対して、原節子が余りにもいい人すぎるのは、ちょっと嘘っぽいが、その嘘っぽさを取り消すためなのかどうか、お葬式の後の笠智衆との会話で、「私ずるいんです」と何度も言ってるところが面白い。
あと、失ったものへの侘しさを痛感する。まだ銀座を通っていた路面電車、屋上の物干し用ベランダ台、原節子の住んでいる6畳一間のアパート、尾道の瓦屋根等。この頃は、熱海が若者の来るところだったとは。それに、この頃まではまだあった日本語の会話の美しさ。バスのガイドさんの案内まで、美しく響く。
この映画では地味な役の香川京子であったが、翌年、溝口健二監督の「近松物語」でおさん役を演じて、強烈な印象を残すことになる。
父は、今も昔も変わらない
随分前にテレビ(だと思う)で観た時は、あまりに抑揚が無い展開に寝てしまった記憶がある。
今回ネットフリックスにあがっていたので、字幕付きで観た(古い邦画はデジタルリマスターでも音声が聞きづらいので、字幕付きがおススメです)。
面白かったっていうか、感慨深かった。
70年前も今も、親の気持ちは同じなのだ。さらに、その親は子どもを戦争で失っているシチュエーションで、究極の反戦映画なのではないだろうか。そして、原節子の最後の独白も素晴らしい。
医者目線だと、トミの死因は脳卒中であろう。今はカテーテル治療や手術、薬物など、さまざまなセレクションがあるが、当時は氷嚢を頭にのせているだけだったのだ。医者同士で使っている言葉も全部ドイツ語というのも時代だなと思う(私は58歳だが、自分が医学博士をとる時には英語とドイツ語の試験があった、今はドイツ語の授業すらない)。
一番、感銘したのは、戦後間もないためか、死が誰にも訪れて、仕方ないという捉え方である。
現在は90歳寝たきりの患者が、急に亡くなっても「老衰」では納得しない家族が実際に詰め寄ってくる。そういう意味では医師としては、良い時代かもしれない(でも、往診などは、しっかりしているから、大変ではあったと思う。現在の在宅医療の原点)。
ジム・ジャーウィッシュを始め、皆がオマージュする理由がやっとわかった。
子供は親が思うようには育たない…
自身そうなんだろうし、子もそうなんだろう‥親子は甘えがあり、他人の方が思いやり、大事にする。誰しも生活があり忙しいが、生きているうちに親孝行、それに気付けた人が幸せ。映画は派手さはなく、淡々としながらも何気ない親子の会話や、生活を通して、メッセージ性があった。
戦死した次男の嫁(原節子)が聖女のようでいて人間くさくもあり素敵だ...
戦死した次男の嫁(原節子)が聖女のようでいて人間くさくもあり素敵だった。人物描写が細かくて時の流れが凄い伝わる。
尾道から東京に出てきた老夫婦、息子たち側で何かしてやらねば、なんだけれどそれぞれ家庭の事情がある。三男は大阪。
「誰だってみんな自分の生活が一番になってゆくのよ」っていう台詞があって大きな流れはそんな感じ。
「いいえ、私は一人で生きていくんですの」っていう原節子。
「一人になっちゃったなぁ」の笠智衆。
どこにでもあるようなこの話に、二人が深みを与えている。名作です。
いつ観ても傑作
大人になると「家族」の形が知らぬ間に変化する、今回はなんだか身に染みて悲しくなりました。血が繋がっていない方ができることや言えることがあるなんて、素敵だけど悲しい。「ありがとお」「もう、やんなっちゃうな~」など東京物語ごっこが我が家で流行りました。
今にも十分通じるストーリー
一言「地味だけど、最後心に沁みる」。
小津安二郎監督作品、初めてです。
デジタルリマスタリング版を見たので、画像も綺麗で新鮮でした。
正直シンプルな内容で、人によっては「単調でつまらん」かもしれません。
これは私のように地方在住、東京へ行くなんて一大事!。
な方には、時代は違えども両輪の気持ちがわかるかと。
東京に住む子供たちのところへ行ったけれど。
子供たちもすでに親になっていて、家庭がある。
そういつまでも相手はしていられない。
両親の会話の奥には「もう子供たちは、大きくなった。それでいい」。
2人のおっとりとした会話の中に、そういう意味合いもあったのかな。
最後に笠智衆さん演じる父親の言葉が、良かったなあ。
それまでは「そうじゃのお〜」なんて、のんびり口調だったのに。
原節子さん演じる義娘にかけた言葉に、ジーンとホロリ。
ちゃんと義両親は、未亡人になった義娘のことをしっかり見てたんだなあって。
東京から尾道へ帰る「鉄道乗り場」のようなシーンなど、時代を感じさせる箇所が。
どこか懐かしい描写でした。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「そうか、もうみんな帰るかい」
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