「笠智衆さんの演技を引き出した演出」東京物語 Mさんの映画レビュー(感想・評価)
笠智衆さんの演技を引き出した演出
「PERFECT DAYS」の主人公「平山さん」からの連想で再び見ることにしました。
前に見たことがあったはずなのに、東京旅行のところしか覚えていませんでした。同じ映画でも、見る時期によって感動も受け取り方も変わるものですね。
息子さんがお父さんに病状を告げるシーンの笠さんの演技は、ほんとに心に染みました。
お母さん役の女優さんもよかったです。
もしも、この映画を見て、笠智衆さんに興味を持たれた方は、ぜひ、ドラマ「ながらえば」を見てください。NHKオンデマンドで見ることができます。DVDもあるので、レンタル等にも、まだあるかもしれません。映画ではありませんが、この「東京物語」と同じように、笠さんの演技に胸を打たれます。
私も映画PERFECTDAYSから、小津監督映画を見始めました、東京物語、泣けました、笠智衆さん役は、平山さんにも似てますよね、
小津監督映画は、何作か見ましたが、昭和のホームドラマの原点のような気がしました
親がややこしい、となった場合、回復することばかりを願い、神仏にも頼り、それ以外考えが及ばない人間、と、不幸ごとの先回りした算段を優先して考える人間との違いかな、と自分の体験から思いました。親が必死に育ててくれたにもかかわらずです。
さらに上京して来た時はまだしも、葬儀という永遠の別れに際してもあっさりし過ぎに感じました。長男長女共仕事を抱えているにしてもそれを理由にというか大義名分のごとく帰って行く、長男長女将来自分たちもそのような目に遭うのだろう、と思いました。
じーっと考えていましたが、
次男嫁の紀子さんは、次男が健在で紀子さん自身仕事を持っていて子供が2人ぐらいいる生活環境であっても、両親が上京する以前に仕事をやりくりして両親を招き入れもてなしたと思います。
実子だからこその遠慮なさがあったとも考えられますが、本作血の繋がりだけが親愛の情に関わるものではないと言いたかったのでは、と。監督が選ぶ世界一の作品らしいですが。
嬉しいコメありがとうございます〜。
2021年公開の「名もない日」はご覧になられましたか?
名古屋を舞台に永瀬正敏主演、オダギリジョーが公演する日々遊一監督の傑作ですが上映館が少なくてあまり知られておりません。
この映画では、永瀬が喪服を持ってこない描写があるのですが、それは「経済力があればこその選択だよな」と感じたシーンでもありました。
人並みの稼ぎがあっても、真剣に子育てしていたら余裕なんかない。
理想、現実、親子、家族。
普遍的なテーマを見事に描き出した驚嘆の一作ですよね。
毎週、数多くの映画が封切られ、ドンドンドンドン映画が増えていきます。その上、まだ見ていない「名画」と言われるものも数多く、なんかぼっーとしてしまいます。
一生の間にどれだけの映画を見ることができるのか、予想もつきませんが、限りある時間ですから、なるべく心に残る映画を見ていきたいなあとは思っています。
Mさんへ、
22歳まで真剣に映画を観ていた私も社会人になると仕事最優先で、その後家庭を持つと更に映画からは離れていきました。子供が5歳になると一緒にアニメ映画や怪獣映画、アメリカの娯楽大作を観るようになって気楽に映画を楽しみました。転機は退職してから自由な時間が増えて、昔の誤字脱字だらけの駄文をこちらのレビューに校正して載せるようになってから、また映画を真摯に鑑賞するようになりました。
そう言えば私が中学生の時、内地の陸軍に徴兵された父が日本各地を廻りながら記録した日記を母屋から30年振りに発見し歓喜し、当時を想い出しながら書き足して印刷所で本にしたことがあります。なんか似ていますね。「舞踏会の手帖」ならぬ、「戦争の手帖」そして「映画の記録」みたいなものです。
それでも新しい映画にもいいものがあるので、刺激を受けることは楽しいです。見逃した名作もまだまだ沢山あります。人生はこれからだ、とポジティブ思考でいきましょう。
私は映画に興味をもったのが昨年からなので、うらやましい限りです。
高校の文化祭で、素晴らしい作品を見て、感動したのですが、自分自身は全く関係のないまま過ごしました。もったいないなかったなあと思っています。
写真やフィルムの記録が多くあって、私自身が映画に興味を持ったのが必然だったと今思います。素人の趣味レベルでも真面目に打ち込んでいて、感化された私も学生時代8ミリ作品を制作していました。その点ではとても感謝しています。編集したり音楽を合わせたり、面白かったですよ。
返信が遅れてすみません。
観ようとすれば観れるものもあるかも知れませんが、実家の納屋の奥にしまい込んだままです。映写機が壊れたままで修理してないので、今見返すことは有りません。
Mさん、共感ありがとうございます。
家庭用ビデオが普及する1980年頃まで父は8ミリで沢山作品を制作していました。タイトルも映画会社の真似をして〇〇プロダクションと苗字そのままに使用していました。私が小さい頃の話で記憶にあるのは、旅行記録の時、写真カメラでない8ミリカメラで撮ろうとすると、カメラの方に顔を向けて立ち止まる人がいて困ったことです。動いているところを撮りたいのに、可笑しいですよね。今思い出すと小津映画を参考にしたような説明ショットをキチンと入れていました。