劇場公開日 1984年6月9日

「白石さんのインパクト。」天国の駅 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

1.5白石さんのインパクト。

2021年7月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

単純

寝られる

かなり前に見た映画。
『百物語』の白石さんを初めて意識した映画。
あれだけの登場で、すべてを持っていく。
今映画を思い出しても、「ああ、あの白石さんの」という印象。
 そこから、ポツポツ、、周辺の場面を思い出していく。

西田氏の怪演もすごかった。
好青年のイメージが強い三浦氏の悪役も新鮮だった。
でも、西田氏は作り込みすぎ、昭和世代の典型的な役柄・演技。
三浦氏は小悪党ぶりが良かったけれど、及第点に見えてしまう。”普通”の役が一番難しいと聞くから演技力の証明なんだけれど。
 白石さんの前では霞んでしまう。

そして、吉永さんの演技。
戦後”唯一”の死刑囚(解説から)・初の悪役と呼び声が高かったけれど…。
 吉永さんを、これでもかと美しく女神のように見せるための演出。
 それが功を奏して、美しすぎる、悲しすぎる、運命に翻弄された女性の映画になってしまった。

でも、死刑囚を題材にした映画。これで死刑になるか?
 死刑の前に、ルージュを希望した、その心理がどうの、こうのというインタビュー記事を読んだ記憶があるのだけれど。
 解釈の違いなんだろうけれど、この映画のかよが、死ぬ前に望むものってルージュか?腑に落ちない。腑に落ちるように演技で作ってくれたのならいいのに、それもない。
 予告に「美しすぎるゆえに、翻弄された…(思い出し引用)」人生の最後に望むもの。最後の言葉「私きれい?」それをどんな思いで口にしたのか。
 映画途中でのターボとのやり取り。「私はきれいではありません(思い出し引用)」。それって単なる造形の美醜・見た目のことじゃないよね。
 そのうえでのルージュ。表情が”女優”。『モンスター』のセロンさんのように、顔を役柄に合わせて作り変えることなんて思いもよらぬのだろうな。そこまで役にのめり込むこともないのだろう。

映画のキャッチコピーは「いのちより愛」。この話で?愛にどん欲な場面とか、愛によって覚悟をきめた場面なんてない。
もう一つのキャッチコピー「天国の駅は、たった独りでしか乗れない」も、映画で納得させてもらえず、コピーだけが浮遊している。サユリストの「僕がお供したいのに~」という憐れ・同情を煽っているように見えてしまう。

「吉永さん、初の悪役」に興味を持って鑑賞。罪を犯せば悪役か?人を殺せば悪役か?
運命に流されるだけで、状況を自分の力で変えることをしなかったことが悪なのか?
そう見えるけれど、男に翻弄されるか弱い女性に甘んじることで、男どもを翻弄させて不幸にしたことを”悪”として表現しているつもりなのか?

実際の事件設定だけ借りて、実際の人物のいやらしさを示すエピソードは全く書き換えられている。
サユリストが作ったサユリストによるサユリストのための映画。サユリストが望む範疇を決して出ない。

心の中に潜む闇を演じられないのか。
きれいなんだけれど、イプセンの『人形の家』のノラにしか見えない。

とみいじょん
talismanさんのコメント
2021年10月9日

同感です。日本の映画界の「吉永小百合・現象」は日本のオジサン・偉そうにして・若い人や女性を尊重し育てない・現象に重なってると思います。

talisman