2/デュオのレビュー・感想・評価
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別れないってことはまあ一緒にいたいんだよなぁ
気を使いすぎで見てる方がイライラしてくる柳愛里と、すごい頭悪い話し方をする西島秀俊が演じる若い男女の閉塞感感じる恋愛ドラマ。
仕事から疲れて帰ってきた彼女に夕食作らせてる段階で二人がこれからどうなるか推測できるが、二人のセリフがリアルで聞いているだけでも楽しかった。
柳愛里演じる優はとりあえず何に関しても様子見の愛想笑いでイライラしてくる。無理をしている生き方は接客時もそうだし同僚と話している時もそうだし家で彼氏といる時もそう。友人と話している時だけほんのちょっと本音を覗かせる。
西島秀俊演じる圭はまじアホで、電話かけてきたときはどこにいるかわからないし時計持っていたくないから約束してんのに時間もわからない。チャラいけど行き過ぎではなく絶妙なレベルのトーンで話し、一つ一つのセルフが本当に見失っているというかあほで感心した。
当時そろそろカムコーダーが普及し始めていたと思うのだが、リアルさを出すためか、おそらく意図してボヤッとしたり、不意に黒い映像化挟まれたりするが、時折本当に見えなくてあれは少々やりすぎかな、と思った。今だったらスマホ映像みたいな感じか。
それと優はホラー味があり圭はコメディ味があってどっちつかず。どっちもありうると言えるほど器用でもなかった。
それと二人がどうしても一緒にいたい感をあまり感じなかった。とはいえ題名が二人とかではなくデュオなので多分デュオとしてあの関係を作り出しているものと解釈した。
ブティックの販売員としてバリバリ働く柳愛里と役者の卵(ほぼ無職)の...
ブティックの販売員としてバリバリ働く柳愛里と役者の卵(ほぼ無職)の西島秀俊。
前半は西島の情緒不安定さが目立つ。
笑っていたかと思えば突然ブチ切れる。
それを愛里が健気に支えていた印象だったが、後半は愛里が壊れる。
若い男女の同棲生活というのは大変だ。
途中にちょくちょく出てくるインタビューは誰がどういう趣旨でやっているのだろう。
また、時々画面が暗転しているにも関わらず、同じシーンが再び現れてくるが、何の意味があるのか。
ラストはわずかにハッピーエンドっぽい気配が漂っていたのが救い。
簡単な物語ながら完璧に二人の愛情トラブルを表す
いつもアクションで主人公の情報を述べる。長回しの機能は 観客がちゃんと二人のアクションと表情を見て、さらに二人の悩みを感じる。
コツコツ仕事してる彼女 俳優の夢なのにいつも失敗の彼氏
もともと幸福みたい生活が、結婚しようって一言で暴れる。
これから、彼女は幸福の夢を守りたいが、今の二人なら未来がないと思う。だから、いつも悩んでる。最後、家出する。一人で暮らして、待ってる。
彼女うが家出してから、俳優の夢を諦めて、仕事をして、社会人になる。あの日、偶然自転車に乗る彼女に出逢って、最終二人が仲直りをする。
なんで
思った通り同じ生活が来る。
外国人だから、話の違いがたくさんあるが、ご迷惑をかけてすみません。
~広すぎる部屋で演技する~
この作品は何度も改稿した脚本を捨て、現場の役者の即興の演技で撮られた。この判断はこの作品に独特の世界観と緊張感をもたらした。
優と圭の関係がもつれていく様をモキュメンタリータッチで描いた。自然な会話や仕草は心の内から不意にでるのでよりリアルな生活を垣間見られて共感できる。二人を映し描くときゆっくりとした横移動のパンがある。特に暮らしている部屋だとその効果は二人の心理描写まで引き出す。始め、圭が金魚鉢に適当に餌を投げるシーンから別れの予兆が表象し始める。洗濯物を投げつけるシーン、喧嘩をしながら部屋を散らかすシーン、友人と食事するシーン、横の空間を一気に凝縮してフォーカスを合わせる。無駄な余白など存在しないのだ。しかし、優が出ていくと部屋はとたんに無機質になる。部屋に圭が一人しかいなくても空間は圭の心を写している。埋める人がいなくなり一人でなってやっと間取の広さに気付く。逆説的に言えば部屋を二人で満たすことができないぐらい大きかったこととなるのではないだろうか。
部屋の大きさがもたらす効果もあったが、即興演技から自然の中にも演技があることは分かった。特に喧嘩するシーンでは優は圭に悟られないように強がり、メロドラマのような必死な「行かないで」アピールもする。それに対して圭は本心からかは定かでないが、横暴な態度、子供じみたいやがらせ、殴るフリをする。日常生活で怒るシーンはあれどこれほどまでのことは多くの人はないだろう。よりしぼって「喧嘩」や「別れ」の場面ではどうだろう。自分自身にたような言動を取っていたような気がする。おそらく、より自分が相手より上に立とうしたい欲望や焦りなどの心理が働いて、自己正当化と負い目を隠そうと「演出」をしていたと気づかされた。紛れもなく普段はしない演技が出てしまう瞬間を目撃した。自然体だとよりその部分が誇張される。
ただ、映画内に散りばめられた効果をうまく出し切れていない気がする。シーン内に挟むブラックビデオやインタビューは正直この作品に必要だろうか。第三者の視点としての「自覚」の要素は面白い試みだが、この作品では返って興ざめした。個人的には綺麗な別れかたと思ったのに、優が帰ってきてしまい、人間的に成長してないというか、単純な関係だなと思ってしまった。その優は最後まで報われていない。金はせびられ、八つ当たりされて、平謝りされて、理不尽な屈辱しか受けてないのに、帰ってきてしまったら「共依存」になってしまう。ひどい言い方をすると「アル中夫と別れられない嫁」の映画のこてこての構図と一緒にしか見えない。その結果圭も反省したそぶりを見せているが最後まで改心したと思えないし、優の見方も変わっていないだろう。このカップル、物語後は長くは続かないと伝えたいのか、それとも離れられない二人と言う再生を暗示させたかったのか、そこが最後にして最大の疑問だった。
決まりきったものからの逸脱
第40回ぴあフィルムフェスティバルにて。
20年以上前に多分月刊カドカワでこの映画について語る柳愛里のインタビューを読んだ。ようやく映画を観ることができたので意味もなく安堵している。
即興で撮った事は知っていたが、カメラワーク含め(カメラマンたむらまさき追悼特集で観たから余計かもしれないが)、予定調和感が全くなかった。初っ端から柳愛里は西島秀俊に完全に被り、かと思ったらカメラから消えてしまう。最後の方では暗すぎて表情が全く見えないという状況になる。ある種緻密な映画では起こり得ない事ばかりなのだが、観ていてもそこに違和感は感じない。
物語は、壊れた男女(特に壊れゆく女)を残酷なまでに捉えており、観ている間中緊張感が抜けず、一切の弛緩がない。分かりやすい壊れ方なのにリアリティが凄まじかった。特に、柳愛里の笑い。当然自然に出てくる笑いなのだが、あれが不自然なまでに自然だ。人ってああいう風に笑うんだな、と思った。
西島秀俊は今の彼のファンが見たらキレそうなクソ男役でしたが、完全に自分で自分を持て余している感じを強烈に発散させていて、とても良かった。
ラストが意外でした。
デュオ、なかなかいいよ。 大好きだった人の18年前の言葉が浮かんで...
デュオ、なかなかいいよ。
大好きだった人の18年前の言葉が浮かんできた、昨日の朝。
「 2/デュオ 」調べると、監督の新作公開記念の特集で、なんと昨日が上映の日でした。
観たい欲が加速したけど、上映には行けないので、ネットで鑑賞。
18年前の自分には響かなかったからこそ、今観るタイミングがやって来たのかも。
映画をよく観る方だけど、他人との距離感とか、関わり方とか、まだまだ未発達な自分を痛感させられます。
18年前のあの時、緊張しすぎて、炉端風な店のカウンターにぶちまけた焼酎が、紅乙女だったのか紅雀だったのか?他愛もない記憶の中に、自分の資質を垣間見ました。
アドリブの面白さ
売れない役者とそれを支える女が結婚を考えたのをきにお互いに心が微妙に変化してくる。それを脚本としてではなく2人の生の感情とセリフで展開させる。きっと好き嫌いが出てくると思うのですが私は気に入りましたね。
たしか『サード」の脚本(寺山修司)も似たような感じじゃ無かったかな?寺山関係の本でそんなことが書いてあったような気がします。
これってアドリブでやってくれってことだよね、要は。だから物凄く生々しい。
そういうこともあるので、マニア人間の私は超オススメ!ということにしておきます。
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