劇場公開日 1938年8月21日

「本当に、本当に、貧しかった時代」綴方教室 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0本当に、本当に、貧しかった時代

2025年1月15日
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鑑賞方法:映画館

高峰秀子は大正13年生まれ。私事で恐縮だが昭和6年生まれの亡くなった母の7つほど年上になる。母は生涯を通して「デコちゃん」に憧れと親しみを抱いていた。今回、改めて子役時代の彼女の作品を観たが、なるほど14歳にして凛々しく気品を感じさせる一方で、何とも言えない愛嬌や親しみやすさがある。
自伝を読むと、波乱万丈を超えて奇妙な、といっても差し支えない少女時代をおくった人である。そして生涯、映画界というよりも撮影所で過ごした人であった。
この映画が作られた昭和初期は、世の中には三種類の人間しかいなかった。ブルジョワジーとプロレタリアート、そしてインテリである。撮影所はまさしくその三種類の人間が交差する場所だった。
本作は東宝撮影所で製作されているが(チーフ助監督は黒澤明)東宝の会社幹部、撮影所幹部はブルジョワであり資本を管理していた。一方、製作者たちは皆、プロレタリアートであり、監督ですら一介の労働者でしかなかった。
そして、原作者というか、綴り方の書き手である豊田正子や、先生のモデルである大木顕一郎は、後に共産党にオルグされるなどしてインテリへの道を進む。
高峰秀子のようなスタアたちは、この三者の綱のひきあいの中で、あちらへとこちらへとたゆたう立場にあった。
この作品は、というよりはこの頃の世相、庶民の生活を描いた作品は皆、撮影所の中の三者の力関係、言ってしまえば妥協の産物であったと言って良い。子どもの何にもとらわれない、ありのままの日々をそのまま正直に書いた綴方こそ尊い、これは自然主義文学の血筋を引く鈴木三重吉から連綿と引き継がれてきた思想である。正子の担当教師はその思想にのっとって正子の綴方を褒め雑誌に投稿したりもする。でもだからといって正子の立場が変わることはない。小学校を卒業すれば女工になるしかない、少しでも良い生活がしたいのなら芸者になるしかないのである。プロレタリアートである山本嘉次郎監督が表現したかったのは恐らくそこである。でも声高に主張すれば映画資本から製作を止められたであろう。
リアルな庶民の生活は、この状況よりまだ悲惨だったのだと思う。これでも今の我々から見ると充分衝撃的だけど。

あんちゃん