つぐみのレビュー・感想・評価
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メメントモリの物語ーー切なさを担保する“ずるさ”と美しさ
35年前の1990年公開の映画。原作は吉本ばななさん。デビュー作「キッチン」がベストセラーとなり、当時、村上龍・春樹と並んで、新しい書き手のトップに華々しく躍り出た記憶がある。
ただ、僕自身はなんとなく今日まで未読。読んだことがあるかもしれないけれど、村上2氏には当時夢中で読んだのに、吉本はたまたまそうはならなかった。
今回、公開35年目のリバイバル上映での出会いで、何度も観たくなるであろう1作になった。もう、なかなか観られる機会はないだろうけれど。
ダブル村上も吉本も僕らバブル世代から、同時代の「私たちの作家」として認められ、熱狂的に支持された作家だ。人気だからこそ、嫌いだと公言する人も多かった。消費社会の文学とかみたいに言われたこともあったけれど、今この映画を見ても、同時代の映画「私をスキーに連れてって」などで描かれたバブル期の高揚感とか、ちょっとタガが外れた社会の雰囲気とは一切無縁で、時代を超えた普遍性がある。
特にこの映画は、明治でも大正でも昭和でも成り立つ舞台とキャラクター設定で、時代劇を見ているような感覚にもなる。れっきとした平成に発表された同時代の物語なのが、見終わった今もちょっと意外な感じがする。
冒頭で、今はなき築地市場が都会の風景として映されて、そこから舞台は西伊豆のひなびた漁港、松崎へと移る。港前旅館を経営する家の病弱な娘・つぐみ(牧瀬里穂)が主人公である。
イントロダクションが終わり、西伊豆のつぐみを映し出したところから、もう物語は、儚い美しさに満ちていて、何か特別なものを見ているという感覚にさせられる。
なにしろ、主人公が病弱でやっと10代後半まで生きてきたけれど、いつ寿命になってもおかしくないという設定。これはちょっとずるい。設定にメメントモリが埋め込まれているから、つぐみの一挙手一投足が儚く美しく意味あるものになる。つぐみはわがままで困った変人なのだけれど、周囲の人はそれを時に持て余しつつ、温かく見守るように接しているのも、いつ壊れるか分からない危うさがあることによることが、しっかり描かれるし、僕もそれに共感した。この
この、ちょっとずるい設定の、つぐみの魅力的な変人キャラクターを説得力を持って描き切り、普遍的な物語に仕上げたところが、原作の力でもあるし、市川準監督と主演の牧瀬里穂の力量でもあると思う(この年、牧瀬は「東京上空いらっしゃいませ」でも主演し、賞レースを総なめの活躍だった。)。
物語の終盤、地元のグレた若者達が、つぐみと真田裕之演じる恋人に許し難い悪行を働く。可愛がっていた犬を殺してしまうのである。
子悪党にしては許し難い犯罪行為である。ここは僕も怒りが込み上げたし、どんな処罰をしてもしたりないと感じた。つぐみはジョン・ウィックがそうしたように悪党共を一掃するべきだと感じてしまった(全く別の種類の映画になってしまうけれど)。
そしてつぐみは実際に、彼らを抹殺するために病弱な体に鞭打ち、一人ひっそり計画を始動させる。ここから物語は、さらに死の影が強く漂い出し、目が離せないけれど見続けるのが辛いという気持ちにさせられた。
この感覚は物語の終盤まで続き、そして物語の最後にオチがある。よかった。ほっとした。見事な結末だ。
憎まれっ子世に憚るではないが、つぐみは案外、長生きして、もしかしたら35年後の今も元気に生きているのではないか…。そんな気持ちで見終わることができて、ちょっと救われた思いである。
今回、神保町シアターに初めていった。名画座が東京から消えて久しいが、この映画館含めて、関東にはいくつか古い映画を見ることができる場所があることを置いてあるパンフレットで知ることもできた。
時間ができたこれから見て回りたいと思う。当時見逃したけれど、あるいは生まれる前だけれど、今見る頃で公開時とは別の価値が見えてくることもあるし、過去の時代のものを見ることで、自分の原点となったような何かを見出すことができるような気がしている。
旅館に泊まってみたい
・10年ほど前に観て、見返したいと思い2度目の鑑賞。ラストにつぐみが、生きてた!っていうのと、旅館が風情あっていいなぁくらいでほぼ忘れてて、楽しく観られた。
・記憶よりも暴力的なシーンが多くて驚いた。逆恨みで犬のパンチのシーンや、バイクを事故らせたられたり。小さそうな島なのに、人が多くて賑わいが羨ましかった。70〜80年くらいに作られたんだろうなぁって建物が元気だった頃の日常に行ってみたくなった。
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