「神々しい少女たちと現代の神話」つぐみ バラージさんの映画レビュー(感想・評価)
神々しい少女たちと現代の神話
市川準監督、牧瀬里穂主演の傑作。年に1回くらいは定期的に観返しちゃってるんで、確実にもう10回から数十回は観てることになる。
1990年の映画だが何かの理由で映画館では観逃し、レンタルビデオで観た。その時ももちろんとても面白かったし、その後も中古ビデオ、さらには低価格再発売ビデオを買ってやはり何度も観たんだが、なんというか00年代末にDVDに買い換えてからのここ10数年での面白さは、それ以前とはちょっと異なるように感じている。それはおそらくそこに“郷愁”という要素が加わったからなんだろう。
市川監督のデビュー作『BU・SU』なんかもそうなのだが、市川準の現代劇にはその時代の雰囲気というか空気とか世界をそのまま切り取って映像の中に封じ込めたようなところがある。だから映画を観ていると、その中に“あの時代”がそのままあって、特に『つぐみ』や『BU・SU』の、自分にとっての青春時代である80年代後半から90年の“あの頃”、“あの風景”がたまらなく懐かしくなり、思わず画面に飛び込んで映画の中の世界に行きたくなってしまうのだ。画面の向こう側は1990年の“あの世界”で、そこに行けるような錯覚を起こさせてくれる。そんな映画だ。なんか『カイロの紫のバラ』の逆パターンみたいですが。
牧瀬里穂と中嶋朋子、白島靖代の3人の女優も、20歳前後の少女特有の美しさが見事なまでに映し出されており、輝かしくも神々しく崇高なまでに美しい。もちろん最初に観た時から彼女たちは美しくて、僕はこれで(だけではありませんが。デビューしたばかりの当時、ハイシーLのCMに出ていてとても印象に残っていた)牧瀬ファンになっちゃったわけだし、アラフィフになった今でも牧瀬さんはとてもそうは見えないほど若々しく美しいんだが、今観るとなんというか美少女とかそういうレベルではなく、“存在そのもの”が美しいのだ。観てて思ったのだが、この映画に描かれているのはある種の“現代の神話”だ。思春期の少女の一種の“神聖不可侵”なものを感じさせる。そんな映画なのだ。もちろんそこには原作の力もある。だがやはり牧瀬里穂の存在抜きには語れないだろう。撮影現場を見学に来た原作者の吉本ばななが、「まるで自分の作り出した人間にしか思えない。あんな人がいるんですね」と言ったそうだが、本当につぐみという少女そのものだった。それにしても、つぐみのケツをハエ叩きみたいので引っ叩いてた子供も今はもう40代くらいなのだろうか? そう考えるとなんだかすごく不思議な気分になる。