「荒唐無稽さと戯れよ」ツィゴイネルワイゼン abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)
荒唐無稽さと戯れよ
鈴木清順監督作品・大正浪漫三部作第一作。
意味が分からない(好き)。
海にうち捨てられた女の死体を大衆が上手に移動してから、カメラもレールで移動するカメラワークが意味分からなくて、好き。
鈴木清順は本当に奇才なんだと思う。
序盤のレコードが鳴るところから、映像と音声はかろうじて同期されていることが宣告され、全編にわたるアフレコは、セリフの同時性をまったく気にしない。ショットは、意味ありげで無意味に連なり、そこに物語世界にありえなさそうなモーター式の船や電気信号が登場してもカットしない。アクション繋ぎもされず、同じアクションが繰り返される。
けれど、なんと不思議なことでしょう。物語が生成されているのです。
もうその荒唐無稽さなんて気にならない。次のショットがどのようなものか全く予想できない。子どもがおもちゃのびっくり箱に驚くように、観客も驚愕する。だって眼球をなめることも鍋いっぱいにこんにゃくが入っていることも、豊子と三途の河を渡る船と灯りも想像できないでしょ。しかも電話のシーンで空間を異にしているはずなのに、移動ショットで二人をつないでしまうのも意味が分からない。ワンカットで、二つの時系列や生死の世界を描こうとするのも、そしてそれができてしまうのも意味が分からない。
そう考えると荒唐無稽にみえるカメラワークや演出、編集が、生死の世界の境を攪乱させる魔法になっているのかもしれない。
結局、あのシーンであの登場人物は生きているのか死んでいるのか、識別不能だ。しかし3人の盲目の琵琶奏者がどのような関係かみる人によって変わるように、私たち鑑賞者はリテラルに本作をみて、「真実」を識別しないといけないのかもしれない。