痴人の愛(1967)のレビュー・感想・評価
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爆笑系ホラー映画というものを初めて見た。
譲治がやろうとしたことを、今やったら犯罪だよ。ストーカー・監禁・人身売買と紙一重。
でも、こんな関係に陥りそうな男女は、今もストリートにあふれている。相手を縛り付けるために、DVとかポルノリベンジとかやられそう。
原作は大正時代。映画は1960年代。でも、現代にもよくある話。
体の曲線美なんて、いつまでもつんだろう。でも、シャワーの水滴がその肌をころころと転がっていった80代のおばあさんを見たことがあるから、体のフォルムは変わっても、肌の美しさとかは、また別ものなんだろうか?
そのあたりのフェチはないのでよくわからないが。
古くは『源氏物語・紫の上』、外国では『マイフェアレディ』。
理想のパートナーを育ててみたい願望はわからなくもない。ひそかに、ファッションセンスや食べ物の好み、言葉使いやふるまいをチェックし、希望を伝えてというのは、どのペアも今もお互いやっていること。
でも、思い通りにはならないどころか…、というのがすごい。
傾城美人とは彼女のような人をいうのか。
できればアゲマンの賢妻を、妻をちゃんと性格も含めた”人間”として扱ってくれる夫を、パートナーにした方が、その生涯を通して幸せなんだろうけれど、ここまでのめりこめる相手に出会ったことは悲劇なのか喜劇なのか。
計算づくなのに、計算できない悲劇。なおみも自己中なら、譲治も自己中。自己中だらけの中で、譲治の母だけが哀れ。子育て考えなきゃいけない。
鑑賞していて今一つ共感できない。演出過剰とひいてしまう箇所もところどころある。
脚本も、演技も、演出も、徹底したおバカぶり・醜悪ぶりが展開される。突っ込みどころ満載、苦笑個所も満載。
小沢さんの徹底したまじめバカぶりとか、譲治を心配する上司とか、譲治母の抑えた演技とか、正和さんのフレッシュさとか、役者が面白い。
根底に流れているのは悲劇であり、愛欲におぼれる怖さ。ただ搾り取られて破滅していくのを待つのみ。へたなホラー映画より怖い。
切なく撮ることもできたはずなのに、これだけ馬鹿笑いできるとは。この演出恐るべし。
(原作未読)
谷崎+増村でつまらぬ訳がない
1967年増村保造監督作。谷崎潤一郎原作の三度目の映画化。
いやあスゴイ。増村監督の容赦ない演出に見事に応えた俳優陣。大楠道代の堂々たる脱ぎっぷり。そしてナオミに翻弄されまくる小沢昭一! 彼を見るだけでも大きな価値がある。ラストに至る狂気っぷりは並の役者にはできない。
あと若き田村正和も必見。
三人並び寝や馬乗りシーンなどキメショット多数。原作は未読なのでわからんのだが、60年代末という時代性にマッチさせたバージョンとして最高の仕上がりではないでしょうか。
まるでアザラシのようなナオミ
映画「痴人の愛(1967)」(増村保造監督)から。
谷崎潤一郎の同名小説ってこんな作品だったかなぁ、と
読んだ記憶はあるが、なかなか思い出せない。
単なるママゴトとしか思えない物語の展開に、
時代のズレを感じたが、1924年(約89年前)に書かれ、
1949年(約64年前)・1960年(約53年前)・1967年(約46年前)、
3回も映画化されたところを考えると、
その度に社会に対して、訴えるものがあったに違いない。
「ナオミ」という若い女性を自分の手で磨きあげ最後に結婚する、
日本版「プリティ・ウーマン」と言いたいところだが、
ほど遠い結末に、何か空しいものを感じて、苛立ちさえ覚えた。
しかし、じっくりメモしながら眺めると、意図して表現したのか、
制作者の遊びの部分なのか、思わず笑えるシーンがあった。
彼女の成長記録とでも言えそうな「ナオミ日記」は、
主人公のナレーションと、写真撮影当時のメモで表現するのだが、
水着姿のナオミの映像に被せたナレーションは
「ナオミ、ひと夏で泳ぎを覚えてしまう、実に美しくてたくましい。
まるでイルカのようだ」
しかし、映像に残された記録板に書かれたメモには、
「まるでアザラシのようなナオミ」と書かれていたからだ。
このギャップが何を意味するのか、私にはサッパリわからないけれど、
こんな発見は「メモ魔」としては、妙に嬉しいものとなった。
原作に書かれているわけないよなぁ、こんなシーン。
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